
猿沢池から見る興福寺!
興福寺の前身山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものだそうです。
その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされたそうです。
さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられる事となりました。

サハンド・へサミヤンのオブジェ。
興福寺には沢山の建物と仏像が収められています。
その殆どが国宝!!

まずは南円堂(重要文化財)

弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願ってお建てになった八角円堂です。
基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎(わどうかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)をまきながら築き上げたことが発掘調査であきらかになりました。
この儀式には弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が深く係わったことが伝えられます。
現在有るのは創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建されました。
八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、本瓦(ほんがわら)葺きの建物ですが、その手法はきわめて古様だそうです。
堂内には本尊不空羂索観音菩薩像、四天王(してんのう)像(いずれも国宝)が安置されます。
次は、三重塔(国宝)

康治2年(1143)に崇徳(すとく)天皇の中宮(ちゅうぐう)が創建されましたが、治承4年(1180)に被災し、間もなく再建されました。
北円堂(ほくえんどう)とともに興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦(ほんがわら)葺き。
鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の建築様式を伝えます。
初層内部の四天柱(してんばしら)をⅩ状に結ぶ板の東に薬師如来(やくしにょらい)像、南に釈迦如来(しゃかにょらい)像、西に阿弥陀如来(あみだにょらい)像、北に弥勒如来(みろくにょらい)像を各千体描き、さらに四天柱や長押(なげし)、外陣(げじん)の柱や扉、板壁には宝相華(ほうそうげ)文や楼閣(ろうかく)、仏や菩薩(ぼさつ)など浄土の景色、あるいは人物などを描いています。
東の須弥壇(しゅみだん)に弁才天(べんざいてん)像と十五童子像を安置し、毎年7月7日に弁才天供が行われるそうです。
五重塔(国宝)

古都奈良を象徴する塔です。塔は仏教の祖釈迦の舎利(しゃり)(遺骨)をおさめる墓標です。
天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等(ふひと)の娘光明(こうみょう)皇后がお建てになったもの。
初層の東に薬師浄土変(やくしじょうどへん)、南に釈迦浄土変(しゃかじょうどへん)、西に阿弥陀浄土変(あみだじょうどへん)、北に弥勒浄土変(みろくじょうどへん)を安置し、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経(くじょうこうだらにきょう)を安置していたと伝えられます。
その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃に再建されました。
高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦(ほんがわら)葺きの塔です。
軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残していますが、中世的で豪快な手法も大胆に取り入れた、大変に力強い塔だそうです。
初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置してあります。

こんな所に何故牛が??って、思ったら、雄シカさんでした(笑)
東金堂(国宝)

中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂で、西向きの建物です。神亀3年(726)に聖武(しょうむ)天皇が叔母元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を願ってお建てになったそうです。
創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来(やくしにょらい)の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界がこの世にあらわされていました。
以来6度の被災、再建を繰り返し、今の建物は応永22年(1415)に再建されました。
正面7間(25.6m)、側面4間(14.1m)、寄棟(よせむね)造り、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、前面を吹放(ふきはなし)とし、木割(きわり)が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。
堂内には本尊薬師如来(やくしにょらい)像、日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)像(以上いずれも重要文化財)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像と維摩居士(ゆいまこじ)像、四天王(してんのう)像、十二神将(じゅうにしんしょう)像(以上いずれも国宝)が安置されています。

パンフレット等無かったので、興福寺のホームページより転記させて頂きました。
姉が仏像が大好きで、ここの阿修羅像が鹿児島の黎明館で展示されたとき、初めて姉妹で観に行ったの。
お姑さんのお世話と、小企業の会計を小さい身体で頑張ってた姉。
あの時、本当に嬉しそうだったなぁ!!

興福寺を出た周辺から、鹿が増えて来る。
奈良公園に続く広場では、音楽祭?

この後、他の所でも色んな音楽が披露されていました。

シカちゃんにおせんべい買ってあげたよ♪♪
少しずつあげようね♪♪って、やってたら………

おばさ〜〜ん、美味しそうな紙袋持ってるやん!!
ケチケチせんといて!!ガブリ!
あらら、アナのお土産の袋齧られた(^_^;)
すぐ、取り上げましたよ!!

し〜〜ら〜〜悪いのは人間だ!!
中国人観光客、カラー刷りのパンフレット、シカに食べさせてた!
ババみたいに取られたのか??そこは不明(−_−;)
またまた続きます!
バスガイドさん以上に詳しい、ふかーい説明・・・
わたし、自分が仕事で行ってた以外のトコは、ホント何にも知らないから・・・
神社仏閣、大好物だし、2回読んじゃった(笑)
あともう何回か読むかも・・理解力が乏しいもんですからね(^_^;)
阿修羅像、わたしももちろん見に行きました!
太宰府の国立博物館に展示されたので、プライベートで一回、
お仕事で行った時にも2回、見に行きました~
ホントに多かったから、係の方が号令かけて・・
なんて言うんだろ? 360度展示? 周りグルグル、10秒ごとに一歩ずつ移動してました(笑)
ママさんにとっては、お姉さまとの大事な思い出なんですね・・
わー、三重塔や五重塔も見たいなー・・
興福寺、行ってみたいです!
続きも見に来まーす!
パンフとか食べさせたら駄目だよね~!
国宝とかたくさんですごいわ。
北海道では美術館でも博物館でも国宝ってみたことないよ。北海道には無いんだよきっとw
間違った事書いたら行けないから、ホームページのを短く書いてみました。
興福寺の栄枯盛衰も書きたかったけど、長くなるから割愛しました。
鹿児島なんて、国宝無いんじゃないかしら??
興福寺なんか、国宝の山ですよね。
鹿児島に来る前九州国立博物館で展示があったんですよね、確か!
元気なら、姉を連れて来たかったんですけどね。
是非キャンプしながら、見に行って♪♪
私もまたゆっくり行きたいわ!
私の紙袋、ダメって怒ったら、すぐ離したからね。
あのパンフレットもダメって怒ったら、離したはず!
本当ね、周りに日本人の声より、アジアの人の声が多い。
鹿児島も北海道も建物の国宝無いね。
美術品や遺物が1点、国宝になってるだけだよ。
奈良は、歩けば、国宝に当たるって感じだね。
以前、阿修羅像が来福して大ブームでした。
私も友人と行きましたが、やはり興福寺に行ってみたいなぁと思いましたよ^^
先日こちらの博物館で、ほんとはこんなだった的な極彩色の阿修羅像をみて、全然イメージが違いました(笑)
お姉様との素敵な思い出がおありなんですね。
この鹿はまだ子供?バンビちゃんですか?
奈良には修学旅行の他に、個人旅行で何度か行ってるけれど、その時はブログUPしてなかったから、写真ないの~。
ハリーママさんのブログで、また旅行気分だわ♪
あ、奈良の鹿・・・・。
私行った時、丁度発情期で雄が気が立ってるんで気を付けてねって鹿せんべいのお店の人に言われて、小鹿に上げてたら、でっかいオス鹿がくれくれ煩くて、無視してたら、お尻かじられた。( ̄_ ̄lll)
セクハラ鹿め~~~~っ。
でも、奈良公園の方が大人しいかな?
宮島の鹿はドンドン迫って大変だったから。(-_ー;)
私もあの時、姉と奈良まで見に行けたらなぁと思ってました。
あら、そんな阿修羅像の展示があったんですか?
確かにその頃は鮮やかな像だったんでしょうね!
本当、姉にみせたかったです。
斑点が有るのは、子鹿と言われますが、結構大きなコ居ましたよ!
昔の事だから、名前や宗教名等、よく分からないよね。
書きながら、自分で納得してるよ。
前のブログで京都旅行してたよね〜。
奈良も行った事有るのね。
電車やバスを乗り継いだのか、大変だよね。
あはは、雄鹿大きいものね〜!
煎餅もってると寄って来るからね。
今回は発情期じゃ無かったから、これぐらいで済みました(^_^;)
宮島行った事ない!行きたいわ!
ここもシカさん居るんだ(^_^)v