horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

去年今年(こぞことし)

2003-01-02 13:56:00 | 日記
  去年今年つらぬく棒の如きもの     虚子

感性的に分かるような気もするが、さて考えこむと作者の本意は何なのか、受け取り方は読む人次第という性質の句みたいだ。あたりまえを詩的表現にもちこむコロンブスの卵か。

山本健吉氏の解説(日本大歳時記)を抄録してみる。かなり私流に縮めたものなのだが。

『「去年今年」はもっぱら俳諧の用語で新年の季語とされていたが、同じような言葉でも語感が微妙に違い、もう一つはっきりしない季語であった。だが、この古典的季題は、戦後間もなく虚子の一句によって命が吹き込まれた。川端康成が感嘆して随筆に書いてから一躍有名になった句だが、去年と言い今年と言い、目に見えない断層を人は感じるが、虚子はそのつながりを、一本の棒の如きものと断じた。禅僧の一喝に似て人生の達人の一種の達観に裏打された名句で、この句によってこの季題の価値が定まった。』


一本の棒が鉄の如く強靭なものか、木や藁の如く軟弱なものか、はたまた空洞のパイプみたいなものか、いづれにせよ、人の暮らしは年が改まっても変わるわけはない。
さりながら、暦が変われば気分も変わる、或いは変えようと思う人もあるかもしれぬ。
所詮、継続と変化、過程と転換、は日付の如何にかかわらず共生していくものなのだから、それが、たまたま元旦であってもいいわけなので。

マスコミ(ことにTV)や商店街のことさらめいた喧騒をよそに、老生の新年は旧知、新知や教え子たちから年に一度の賀状を頂くことに尽きる。老妻のオセチも年々手抜きが進む、今年は特に。

      若水や流るるうちに去年ことし   千代女

      命継ぐ深息しては去年今年     波郷