口から出る言葉は同じ、重みは人それぞれ違う。
非難覚悟の上で、記事を書くが、
愛してるという言葉を一つとっても感慨深い。
:例えば:
家族や周囲の人々が癌になったとき、いくら悲しんでも、愛してると言っても完治はしない。
医者に任せれば、高確率で死が待っている。
愛しているのであれば、喪いたくないという一心で、
とことん真実を調べ上げるのが愛なのではなかろうか?
真実に辿りつけば、癌を完治させることは安易に可能である。
医者に丸投げをし、亡くなったあとで嘆いても仕方がない、ましてやありがとうの言葉まで。
少しの行動力と知識で言葉は力を持ち、重みを増す。
そこではじめて状況を変えることが可能となる。
大好きな人とより多くの時間を共有したいのであれば、
沢山の経験と様々な分野において、広く深い知識が必要となってくる。
それらを持たなければ各方面の真実は見えてこない。
国民、一人一人が物事や言葉を深く捉えられるようになったとき、主権者は国民となる。
追伸:絶大な影響力で米国の危険性を国民へと伝えてきた長渕剛氏、体調が気がかりである。