昭和丸出しゴトーくん

 

以前の記事にも書いたことですが、幼稚園から小学校の６年生の途中まで、私は阪神沿線に住んでいました。

私の家のあった場所は安普請がごちゃごちゃと軒を連ねていて、同じ沿線でも当時通っていた私立小学校近辺の庭に緑の多い家並みと比べると、そこはかとなく場末感の漂う町でした。

家は駅から徒歩３分。どこかの会社の小さな事務所と安っぽい美容院にはさまれた、ちょっと変わったつくりの二階屋。この家のことをたまに思い出しますが、そういうときには間取りはもちろんのこと、家具の配置、タンスの上や母の鏡台に置かれていたこまごまとした物、引き出しの中身、床の間に積み上げられていた父の本やその他の雑多な道具類、夕方ごろ、まだ灯りをつける前の部屋のほの暗さ、窓の磨りガラスの模様やねじ込み式の鍵の手触りまでかなり具体的に思い出せるのには、自分でも驚きます。子どものころのこういう記憶は、死ぬまで残るのでしょうか。

 

その家から歩いて５分くらいのところに、古い木造のアパートがありました。アパートと言ったら今は各戸にそれぞれ独立した玄関があるのが当たり前ですが、そのアパートは共同玄関でした。建物の正面に金属の太いバーが斜めに取り付けられた磨りガラスの扉があって、その扉を開けるとすぐに靴脱ぎ場があり、二間に流し付き程度の小さな部屋に通ずるドアが、暗い板張りの廊下の左右に三つか四つずつ並んでいるのです。たぶんお風呂は無かったでしょう。お便所も部屋ごとには無く、共同便所だったかも知れません。

そんな古いアパートに、ゴトーくんという人が住んでいました。

 

私の兄は、後に私と同じ小学校に転校することになるのですが、二年生くらいまでは近所の公立小学校に通っていました。ゴトーくんというのは、その公立小学校時代の兄の同級生でした。兄の友だちということでなんとなく名前は知っていましたが、ゴトーくんと私は親しく話したことはありません。

ときどき道でみかけるゴトーくんは、たいてい緑色がかったねずみ色のシャツと黒いズボンというおよそ小学生らしくない殺伐とした色合いの服を身につけ、黒くて分厚い前髪のすぐ下に太い黒縁の眼鏡をかけていて、まるで小さなおっさんのような人でした。

 

ある日駅前広場を歩いていると、向こうの方から「ズー・チャッ、ズー・チャッ」と、奇妙な音をたてながら奇妙な足取りで歩いて来る人がいました。ゴトーくんでした。近づいて来たところを見ると、ゴトーくんはいつもの小汚い服装に、足もとは下駄履きなのです。ドブの水が何度かひっかかったような、褪せた赤い鼻緒の女ものでした。そしてその右足の鼻緒が片方切れていて、そのせいで下駄はゴトーくんの足の下で斜めにずれて、ゴトーくんのかかとは下駄の外にはみ出しているのでした。下駄のおもてに描かれた紅梅が、半分見えました。

 

ゴトーくんは私に向かって「Ｋくんの妹やろ」と言いました。ゴトーくんは近くで見ると、黒縁眼鏡の向こうの目が糸のように細く、いい人のようなズルい人のような、やっぱり小さなおっさんのような人でした。

私は「うん」と答えました。

ゴトーくんは持っていたカップアイスの残りを木のさじでこそげながら、また「ズー・チャッ、ズー・チャッ」と駅の方へ歩いて行きました。

 

 

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画像はまねっこ「文化人形」。

「文化人形」とは大正から昭和にかけて量産された布製の人形。

古い人形の写真集で見て、可愛かったので自作してみた（かなり前の話）。

左右の鼻の穴の間隔が開き過ぎてしまったけれど、なんとなく気に入っています。

まつげは…上向きです（笑）。