hoppenの韓的な日々♪

2004年・夏、イ・ビョンホンssiに出会ってから韓流へ~韓国映画&ドラマで刺激的になった日々を綴ります。

『永遠の0』:劇場鑑賞@イオンシネマ大宮(2014.01.08)

2014-02-05 18:49:59 | 日本映画のレビュー

永遠の0
(2013.12.21日本公開)
公式サイト

*** 解説(映画.comより) ***
司法試験に落ち続け、
人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎と、
フリーライターの姉・慶子は、

実の祖父だと思っていた賢一郎とは血のつながりがなく、
本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵という人物であることを知る。
久蔵について調べ始めた2人は、祖父が凄腕のパイロットであり、
生きることに強く執着した人物であったことを知る。
そんな祖父がなぜ特攻に志願したのか。
元戦友たちの証言から祖父の実像が明らかになっていき、
やがて戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実にたどり着く。
******

私の父方の祖父は、1943年12月4日、戦死しました。
海軍に招集され、海で亡くなったそうです。
祖父の命日と沈没記録を照らし合わせると、「沖鷹」に乗船していたのかな。
冲鷹 (空母)-ウィキペディア

別の船に乗船していたけれど、撃沈されて沖鷹に救助され、
あと一歩で日本に着く前に撃沈されたようです。

この映画の冒頭、空母のシーンで、
祖父の姿を見た思いでした。

祖母のもとに届いた桐の遺骨箱には、
「紙切れ一枚だけしか、入ってへんかったわ。」

祖母は、祖父が戦死した後、女手一つで
当時7歳だった父を筆頭に、3人の男の子を育て上げました。

両親が共稼ぎだったため、私も祖母に面倒をかけました。
苦労話を聞かせてもらいましたが、
自分が子を持つようになって、なおさら、
祖母の苦労を思うと胸が詰まります。

晩年、少しの間だけ、私の家に来ていたことがあり、
「大宮駅に来たことあるわー。」と言ってました。
3人の子供を連れて、神戸から、祖父の故郷・青森へ疎開した時。
大宮駅で東北本線に乗り換えたんですね。

寝台列車で行くと、大宮から青森は9時間でした。
神戸の都会っ子だった祖母は、
どんな気持ちで雪国青森に降り立ったのか。
寝台列車・北斗星に乗った時、
明け方4時に青森駅に到着して、そんなことを思い返しました。

祖父が戦死した後は、軽井沢の親せきを頼って移り住み、
別荘番をしながら、働きに出ていたそうです。
冬は寒くて、家の中のタオルも凍っちゃうって。
一番下の息子がはしかになった時も、
置いて働きに行くしかなくて、
真っ赤な顔で涙をためながら、
窓から見えた顔が忘れられないって。

遺族にカニの缶詰が配られたとき、
近所の人にやっかまれて、嫌味を言われて、
「こんなんいらんから、お父さんを返して」
と、たたきつけてやったこともあったとか。

父たちは当然のように、高校には進学しませんでした。
特に、2番目の叔父は勉強が得意だったのに、
担任の先生が高校進学を頼み込みに来たのですが、
祖母は「無理です」と断るしかなかったそうです。
叔父は、就職してから、
働きながら大学まで卒業した努力の人です。

祖母は無宗教の人でしたが、
毎朝、祖父を祭る仏壇に、般若心経を唱えていました。
一日も欠かすことはなくて。
祖父へ話しかけていたのかもしれません。

不思議と、私たちも、ずっと祖父に見守られていたように感じます。

祖母と3人の幼い子供を残してこの世を去った祖父は、
さぞかし無念だったでしょう。
戦地から届いた絵葉書には、幼い父への言葉がつづられていて、
祖母は、それをずっと折りたたんで持っていたようです。

明治44年生まれの祖母は96歳で亡くなりました。
最後まで元気で、気丈な祖母でした。
戦地へ向かった時も入れると、65年ぶりかな。
ようやく祖父と祖母は会えたのでしょう。

近所の護国神社を通るたびに、
祖父と祖母に話しかけてしまいます。

つらつらと私事を書いてしまいましたが、
祖母の苦労や、祖父の思いを、何とか伝え残したい。
そう思っていた時期もありましたが、
文才のない私には無理で。

『永遠の0』は、まさに、その願いを叶えてくれる映画でした。
「あの頃は、同じ思いをしている人が、たくさんいたんだよ。」

原作の百田さん、ありがとうございます。
娘とも一緒に見ることができて、
祖父や祖母の思いを伝えることができて、良かった。


靖国神社参拝のこともあり、この映画が論議されているとも聞きます。

私自身も祖父を亡くしているので、
戦争に駆り出された日本兵も戦争の犠牲者だ思っています。

靖国神社を参拝して、
二度と戦争の悲劇を起こさないと誓うことが、
なぜ非難されてしまうのか。

隣国で政治的に利用されているように感じ、
腹立たしく思うこともあります。
反日思想の押し付けが目立つので、
反感を持ってしまいます。

ただ、日本軍の残酷な行為があったことは、
やはり否定はできないのではないか、
と思いなおす出来事がありました。

ラオス・カンボジア・タイなどのアジア諸国で、
小中学生への奨学金制度を進めている団体があります。

一般財団法人 民際センター

数年前から参加していて、
子供たちの生活を紹介する会報誌が送られてきます。

その中で、日本からの善意の奨学金を、
かたくなに断る人もいるという報告を読みました。

孫への奨学金を、祖母がこう言って拒んでいたそうです。
「7歳のとき、目の前で、自分の母親を日本軍兵に殺された。
日本人の残酷さを知っている。
日本人を信じられるわけがない。」

でも、現地のベトナム人スタッフが説得に訪れ、
戦後、日本がアジア各国へ支援をしていた事実を知り、
孫の奨学金を受け取り、感謝の意を示したそうです。

「私は一つのことを学びました。
日本軍と日本人は違う。
当時の冷血な日本の軍国政府と、
今の人々の気持ちは違うということ、を。
奨学金のおかげで私の心から憎悪を取り払い、
新しい人生を開くことができました。」

説得に訪れたベトナム人スタッフも、
日本人と結婚したことで、
可愛がってくれた義理の叔父から縁を切られたそうです。
その叔父さんも、小さい頃に、目の前で日本兵に両親を殺されたために。

これは、今現在も生きている方々の気持ちです。
日本軍の行為によって、大きな傷を抱えたまま、
今も生き続けている方が、アジア各国にいるという事実。

でも、ベトナム人スタッフは、
「日本人の親切・優しさを証明したくて」と、
片道4時間かけて、6度も足を運んで説得し続けたと。
しかも、自分の問題だからと、
バス代やレンタカー代も自腹で。

大好きだった叔父さんへ伝えきれなかった思いを
わかってもらいたかったのかもしれません。

戦後、日本人が平和を守り続けたことで、
戦争の大きな傷が、わずかでも癒されてきていることも
ひとつの事実です。

戦後、日本が復興の道をたどっている時、
隣国は内戦で国の全土が戦地となり、南北に分断しました。
もうひとつの隣国は、共産主義になりました。
それが、アジアの歴史です。

『永遠の0』は、戦争の犠牲になった日本軍の日本人を描いています。
私の祖父と重なる姿。
祖父が残した子供たちを祖母が守り抜いて、
今の私が生まれました。
その姿も描かれていました。

「子供は宝やで。」
祖母はそう言い続けて、私の娘もかわいがってくれました。

犠牲になった祖父たちのためにも、
子供を守り抜いた祖母たちのためにも、
これからの子供たちのためにも、
平和を守りたい。

その願いが、伝わりますように。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何度も読みました^^ (tubana)
2014-02-07 20:53:39
hoppenさん こんばんは☆

この映画ご覧になったんですね
お嬢様にも 伝わり 心に残るものが
あったと思います
日常会話の中ではなかなか
伝え切れないものがあるでしょうから

戦争に関して書かれたこと
本当にそうだと 共感しました
私も母から「戦争がなかったら・・」で
始まる苦しい体験を聞いて育ちました

この世に「いい戦争 正しい戦争」 なんて無い
と思っています

民際センター という活動は
初めて知りました
アジアに関してはきっとまだまだ・・なんでしょうね

で、こういう記事を
現政権のトップの方々に
読んで頂きたいなぁ・・と
何度読んでも 思ってしまいました

高校生の時 岩田豊雄の「海軍」で
特攻隊のことを読みました
感動して泣いて・・
後でそれが戦中に 戦意高揚のために書かれたと
知りましたが
きっかけはそれでも よかったと思っています
「きけわだつみの声」など
後から色々読んで分かったし・・

記事あげて下さったことに感謝しています

話し変りますが
今 韓ドラ「ゴールデンタイム」を見ています
釜山が舞台なので 映画祭の記事の写真を
思いだしながら楽しんでいます^^
返信する
>tubanaさんへ (hoppen)
2014-02-07 22:23:41
コメントありがとうございます。

この映画を見て、私の願いもかなえられて。
こんなふうに戦争のことを伝えることができるようになり、
諸外国にも日本の平和への思いが伝わり、
戦争での傷は癒えたのかなと思いました。
韓国や中国の政策的な反日思想に、いまだに戦争のことを持ち出されるのが、正直反感を覚えます。
捏造まであると聞きますし。
でも。
やはり、まだ、傷が癒されないままの方もいるんだと、思い知らされたんです。
それは、忘れてはいけないんじゃないかと。
その方たちの前で、靖国公式参拝をするべきだと言えるのかな、と。
日本の政治家も、犠牲になった人たちの思いを利用しているのかもしれないですね。
でも、私は祖父も祭られている靖国神社を参拝したいですから。
国の命令で戦争に駆り出され犠牲になった方への参拝は大切だとも思います。
難しい。。。

次の記事でも、韓国のことをまだまだ知らないんだなぁと思いました。
難しくても、互いに交流して、少しずつでも知りあっていく方がいいですね。

民際センターへのきっかけは、こちらの記事で触れたことがあります。
『闇の子供たち』:舞台挨拶&劇場鑑賞(2008.08.02)
http://blog.goo.ne.jp/hoppen_2006/e/8539ca4047d546109c94d3265e065011

国を作るには、子供の教育が一番大事ですよね!

『ゴールデンタイム』おもしろいんだっ!
見なくちゃ♪
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