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こんな雨の夜には・・・

2014-06-11 21:22:42 | 独り言






 外は雨。

 この天候のせいか、ここ数日あちこち痛みだしてきたんですが、今日の夕方から遂にダウン。

 弛緩剤&痛み止めMAX飲んで、先程まで転がってました。

 やっと少し楽になってきたけど、足がついてこず歩きづらいのなんの(^_^;

 大分慣れてきたとは言え、やはり冬と梅雨時はキツイなぁ。。。


 こんな日には、自分の体の状態を嫌でも思い出させられる。

 ちょっと凹んできたりもw



 横になりながらぼんやりと考えてたんですが、気がつきゃあの事故から5年近くが経過。

 過ぎてみればあっという間だったと言えるけど、やっぱり長い時間だったなぁとも。


 2009年の秋、出勤時に乗ったタクシーが追突事故を起こし、頚椎挫傷。

 まあ、オレから見てても避けられない不運な事故だったし、傍から見たらほんの軽い事故。


 当初はちょっと肩痛い程度と思ってたのに、搬送先の医者に指摘されて即MRI。

 頚椎挫傷で結構まずい状態と言われた時も、全然ピンとこなかったっけw


 この時点では、どうせすぐ治るだろうと思ってましたw

 それでも医者の指示に従って、毎日リハビリに通ってたんですよね。


 とっとと治して、早い所走りに行かなきゃ♪って思いながら(爆


 が。。。本人の予想以上に具合が悪く、1ヶ月後位には驚く程体が動かなくなり、杖なしでは歩行もまならない状態に。

 そして2ヶ月後には、たった100mの距離が自力で移動できなくなり、家を目の前にして相方に迎えに来てもらう始末(苦笑


 これは流石にまずいんでは。。。と、「なんでもない。もう治った!」と言い張る当時の担当医と揉めに揉めてやっと他所で検査。


 自分でもある程度覚悟してたけど、予想以上に麻痺がひどく、全身に広がっていた。

 で、もう症状は改善しない、このままでは起き上がる事も出来なくなる、唯一の手段は成功率の低い手術しかないとの事。

 そして手術を受けたとしても、麻痺が治る事はない。


 まあ。。。正直かなりショックだったし、何より手術を受けるにしても、成功率の問題も。

 この手術、リスクが非常に高かったんですよ。。。

 説明を聞いて理由は理解出来たものの、ハッキリ言えば博打w

 成功しても現状維持も難しい、ダメなら寝たきり、もちっとダメならバイバイと、分が悪すぎじゃね?と言う状態w

 てな具合で、県内でも手術してくれる所が殆どねえってな事も判明。

 幸い大学病院で受け入れてくれるとの事で、どうします?とその場で判断を迫られた。


 でも。。。受けないという選択肢はなかった訳で。

 成功すればこれ以上悪くはならないし、放置すれば間違いなく寝たきりになる瀬戸際。

 やるしかないですわなぁ(^_^;



 で、保険屋が横槍を入れてきて無駄に半年待たされ、麻痺も更に進行。

 やっと手術を受けれた頃には、もうお爺さんよりヨタヨタプルプルしちゃってたっけw

 自力での移動もほぼ不可、上半身にも麻痺が広がり、茶碗やコップも落としまくり、箸も持てない程に。

 だいぶ早い段階で、エリミをサイドカー化して復活するぞと決めてはいたけど、自分の体の状況を理解すればする程、これは無理なのでは。。。と諦めかけたりも。

 まあいつも最後には、絶対に乗るぞ!となってたんですけどねw
 

 この辺りが自分では1番きつかったかなぁ。。。

 ただひたすらに、当たり前の事すら出来ない自分が情けなかった。。。



 で。。。やっと保険屋からの返答があり、手術日が決定。

 緊急と言われた手術を半年も引っ張ってくれた保険屋さん、なんだかなぁと今でも思うよw


 幸運にも1番のやり手と言われる担当医が執刀してくださり、手術は無事に成功。

 チタンのプレート&ボルトを首に埋め込み、Ver2として無事に生還w

 でも骨とボルトが中々くっつかず、首の装具が外せるまでに一年半掛かったっけ。



 骨とボルトがつながるまでの間、外出時はほぼ車椅子。

 てか転倒や衝撃は絶対不可と医者からは言われてたんで、本当は絶対安静と言われてた様な気も。。。w

 まあ、自分じゃろくに動けない上に運転も出来る状態ではないんで、相方に大変に迷惑をかけてたなぁ(汗



 その合間にも、ひたすらリハビリの日々。

 病院側からは現状維持の保存療法を薦められたけど、喉元過ぎてしまったオレは欲張りまして(^_^;


 「なんとか動けるようになりたい。そしてサイドカーに乗るんだ!」

 たとえ歩けなくても、もっと動けるようにはなりたかったし、また走り出したかった。

 
 で、無駄だと医者にとめられながらも、なんとか歩行訓練&回復のリハビリを行ってもらえる病院を紹介してもらい、ひたすらリハビリ。

 オーバーワークで先生に良く怒られてたっけなぁw


 ここで切れた神経影響で動かなくなった箇所を、代替の筋肉を使って動かす訓練を教えてもらい、これが唯一の望みに。

 勿論出来ない部分も沢山あるし万能ではないけど、ほんの少しの可能性でも、絶対に諦めたくなかったんですよね。


 一から体の動かし方を脳に学習させて行くんだそうですが、最初はどうやっても上手く行かずかなり苦労した。

 でもなんとなく、ホンの少しずつだけど段々と成果が出てきて、なんとか自分でもこの方法を理解できるように。

 まずは動かせなかった左腕も、これで大分動かせるように。

 この方法を覚えたお陰で、今の骨盤歩行も覚えられたし、目で見て動かす手の使い方も出来るようになった。

 まあ。。。その分代替の部分に大きな負荷を掛ける事にもなったんですけどね(汗

 やり過ぎは何事もダメと言う事で(^_^;

 でも床を這う生活から、つかまり立ち出来る生活になったのは嬉しかったw

 平地の短い距離なら、車椅子から2本杖へと移行出来たし。



 この病院には障害認定が降りるまでの間お世話になりました。

 認定後は先生の勧めもあり、更に踏み込んだリハビリをすべく今の病院に転院。


 今の病院でリハビリと治療を進め、先生が薦めてくれる動かし方や歩き方、、そしてリハビリのお陰で、仕事にもいけるしサイドカーにも乗れるように♪



 まあ。。。週一回ブロック注射とトリガー注射は必須なんですけどね。

 今の状態はある程度は動かせるけど、他の箇所にかなり負荷が掛かってるそうで、非常によろしくないみたい(^_^;

 と、言うか、常にオーバーワークの状態なんで、怒られてます(苦笑

 上半身は常に筋肉や腱が炎症越してるようなもんですしね(汗

 ほっとくと体が固まってしまい、あっという間に丸まって動かなくなるんで、注射もリハビリも一生欠かせない生活。

 それでも2本杖から1本杖へ、そしてサイドカーの運転も無理しなきゃ出来るようになったし、キツイとはいえ冬や梅雨時でも以前よりは遥かに動けるようになった。

 そして今の先生はいろんな症例を調べてきては教えてくれたり、新しい治療法を試してくれたりと、ほんと頭が上がらないくらい色んな意味でお世話になってるなぁと。

 なんで。。。ちゃんと先生の言いつけも守らなきゃね。。。(滝汗


 と、こんな感じであっという間に月日は流れ、今年の秋で丸5年に。

 いろんな事があったけど、やっと色々と片付きそうだし、日々リハビリ頑張っていかなきゃなぁと改めて思った訳で。

 しっかり頑張らないと、サイドカー乗れなくなっちゃうもんねw

 ダラダラと書きちゃいましたが、雨の夜にふと思い出したって事でw








 


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