一連の耐震偽装の事件および発覚により、建築基準法が去る6月20日(2007)に改正された。
改正の主旨は、要するに
「きちんと設計しなさいよ」
という事である。
関わる設計者全ての記名、資格者の証明、構造の安全証明 と
責任の所在をはっきりする事を求められる事になった。
それに関しては、なんら異議はない。
「責任をもって仕事をしています」と今まで言っていた事だから、なにも書類に名前を書こうがどうしようが、設計については『責任』がある。当り前の事だ。
『どんぶり』と言われているこの業界。
仕事をとった者が一番上で一番利益が大きく、下に行く程利益は減る。そうゆう仕組みで成立っている。
しかし、今回の改正およびこれから建築士法、施工業法等が改正されていくなかで、それぞれに責任が明確になるとともに申請等業務における作業量が増え、または保証の責任が大きくなる事になる。
となると、今度は下からの利益の積上げが、総予算となっていく事にもなるだろう。
今までできた予算ではこれからはできなくなる。
「きちんと設計しなさいよ」は
施主・事業者・国民ひとりひとりにかえってくる。
それも「自己責任」?・・・
そう言われても現実には厳しい。。
けれど、やっていかなければいけない時代になったのだ。
みんながそうゆう意識を持ち勉強し判断できるようにしていかなければいけない。
でも、そこに、「疑い」が基準であっては、つらい。
建築について言えば、施主がわからないからその代理として建築会社や設計事務所があったわけだけど、今度はそれを監理(監視?)する業務が必要になってくる。そのうち、またそれを監理(監視?)する業務が・・・
業種も予算も増えて、かつ、ますます端と端の距離は広がる。
それでは本末転倒になる。
住宅に限っていえば、施主と実際工事する職人が近いのは、いい事だと思う。自分の現場をほとんど見ない人もいると聞くが、自分の家をどんな人が作っているか、それを知っているから家に違いがでるかどうかわからないけれど、少なくても、現場に足を運び「感心」したり「喜んだり」したら、現場の人達はうれしい(表面には出さなくても)のだ。そうゆうふうにお互い顔が見えれば、「喜んでもらいたい」と思うのが普通であり、それが、「よい家」を作る事にもつながっていくと思う。
今回の改正はおおげさにいうと「性善説」から「性悪説」に変わったような部分があるのだが、結局、「ひと」と「ひと」がつながらない『ものづくり』には『心』がかよわない。それは、どんな事しても変わりようがない。
構造設計事務所は、元請け、または施主と契約書を交わさなければならなくなった。
施主と直接契約するのがいいと思う。きちんと構造設計者を知る事は、職人を知る事と同様に大切な事だと思う。
誰も「疑われて」仕事したくなんかない。相手の顔が見えれば「あの人のために」という部分はでてくる。単純な事だと思う。
みんなを『やる気』にさせる事が 施主の『責任』となっていくのだろう。
それは、単純なようで、一番難しいかも・・