Duke's Blog

~海と・・そのスピリットと~

生まれ来る子供達のために

2008-12-26 | OceanLegendについて
新しくOpenした、Beach Boys達のブログが好評で、賑わってるみたいだから、俺は当分ブログいいかな~とサボっていたんだけど・・・そうはいかないらしい(すみません)

皆さんは、小田和正って・・・知ってるだろうか?
あの、いつまでも声変わりしなかった・・・というオヤジ・・・

昔の人ならオフコース・・・かな??

中学時代、僕は断然!アリスと井上揚水(今でもこれぐらいしか歌えない)
に夢中で、周りの女の子は確か皆オフコースのファンばかりだったのをよく覚えている。 

でも、最近(実際は随分前かららしい・・)は小田和正として活躍し、オバサンだけでなく、若い女性にも人気らしいのだ。

毎年『クリスマスコンサート』といってたくさんの女性ファンに囲まれて、コンサートを催し、それが25日のクリスマスの日にオンエアーされるのが恒例らしい。 
それで昨晩、僕が出張から帰ると、クリスマス休暇で遊びに来ていた、子供達とアメリカ育ちのBeach boys達がその小田和正のコンサートを観ていたのだ(驚いた)

俺も懐かしいな~と、何気に観ていたんだけど・・・

その時、今回のタイトルになっている歌の歌詞に釘ずけになった。

それが、↓の歌詞だ・・・・・

メロディーは、知っていたんだけども、歌詞をハッキリ聞いたのは始めて。
こんな曲だったんだ~と感動してしまった。

小田和正が70年代の後半に作詞した曲なんだけど、その時代に、こんな詩を書いていたなんて。驚いた! きっと聞く人によって色んな解釈のしかたがあると思うけど、既に70年代で、日本の、世界の行く先が不安だったら、現在ならどうなるのだろう?
もう手遅れなんじゃないかな~?? もちろんそうじゃないと願いたいけど・・・

僕は、息子達、そしてその子供達が将来生きていくであろう日本社会、地球の事、人類の行く先が不安でたまらない。 そういうのもあって、Ocean Legend を始めたんだけどね。 

歌手や物書き(小説家とか)はいいよね。人々に感動を与え、歌や文章にのせてメッセージを伝えることができるから。

僕は海をパドル(漕ぐ)することで、メッセージを伝えようとしているんだけど・・・やっぱり簡単じゃないよね。 


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生まれ来る子供達のために

作詞作曲 小田和正 


多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も戻れない もう戻れない
あのひとがそのたびに許してきたように
僕はこの国の明日をまた想う

ひろい空よ僕らは今どこにいる
頼るもの何もない
あの頃へ帰りたい

ひろい空よ僕らは今どこにいる
~生まれ来る子供たちのために何を語ろう
何を語ろう

君よ愛するひとを守りたまえ
大きく手を拡げて
子供たちを抱きたまえ

ひとりまたひとり 友は集まるだろう
ひとりまたひとり ひとりまたひとり

真白な帆を上げて
旅立つ舟に乗り
力の続く限り
ふたりでも漕いでゆく

その力を与えたまえ
勇気を与えたまえ


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カヌー文化の復活

2008-12-08 | 日本の海
長崎に野母崎・・・という昔漁業で栄えた、長崎半島の先っぽの町がある。
一時は長崎の県民平均所得の数倍もの所得の高い漁師が沢山住んでいた場所だけど、今は漁獲高も減り、過疎化の進む町だ。

その港町に先日久しぶりに行ってきた。
『航海用のカヌーを作りたい』という地元の人達の相談を聞きに行ってきたのだ。

この野母崎の港には昨年”Hokule'a"が寄港して地元の子供達から年老いた漁師まで、港町の皆が出迎えて、唯一行政が全く関らない形での素朴ながらも、心温まる歓迎会(BBQ)が満天の星の中おこなわれた。 ”Hokule'a”のクルー達も、昔のKauwai島の港町の様だ・・・と口々に言っていた緑が豊かで海のきれいなこの港町で、僕は何か自分にできる事はないか?・・・Hokule'aがこの港にやって来たという形跡を将来に残す事ができないか・・・と”Hokule'a”がハワイに帰ってからも何度か野母崎の海や海岸に、港に足を運び考え続けたが、その時は僕の心をときめかす話や、共感して実際に行動を共にしてくれる仲間も一握りで、具体的に事を興せる信念が僕にはなかった・・・。
僕にとってそんな感慨深いこの野母崎で、造船業を営む家族と大工さんが中心となり真剣に、自然に優しい航海用のカヌーを作りたい・・・と言い、Hawaiiにまでカヌーの作り方を調査に行ってきたりして本格的にカヌーを建造しようとしている。

未だこれからどのような方向で何の目的としてそのカヌーを使うのか、この場では伝える事はできないけども、自然環境にとっていい事・・・なのは確かである。

また、同じ長崎の大村湾に面した田舎でも・・・”Hokule'a"に出合った人達を中心に同じような海を中心とする自然と共存した生活ができる村を造ろうとする計画がある。便利な都心に疲れ、人間らしく生きたいと願う人達が訪れる街・・・その核にもカヌーがある。

便利になりすぎた今、経済発展の末、知らないうちに陸と海の境を全てコンクリートで覆われ、忙しくて自然に見向きもしなかった人達も町の経済の衰退とともに、若者がいなくなり、観光客も来なくなり、自分を見つめる余裕が出てきて自然と向き合う事で、初めて自分達にとって本当に大切な事は何なのか・・・という事にきずいたのだろうと思う。お金の為ではなく、自分達の住む海を中心とする自然の為に少しずつ、何かを変えていきたいと思う人達が確実に増えてきているのを感じた今回の長崎の旅だった。