Duke's Blog

~海と・・そのスピリットと~

漕ぎの文化

2010-04-21 | アウトリガーカヌー
久しぶりに長崎に行ってきた。僕の生まれ故郷だ。

写真は長崎駅前に堂々とした姿で立っている銅像だ。そう、裸のパドラーです。
こんな裸のパドラーがその街の玄関口に建っているのは、僕が知っている限りHonolulu空港のロビーか長崎駅前くらいじゃないかな~と我ながら誇りに思っている。
2007年にHokule'aが長崎に寄港したときに、偶然気づきポスターにも使わせてもらった。『ペーロンの覇者』という題名がついているけど、ペーロンとは長崎港の夏の風物詩、海の祭り。ドラゴンボートの原形といわれ、中国から伝わった舟だ。最初に長崎港で行われたペーロン競争は1655年という記録が残っているくらい、古くから長崎に根付いている。
長崎は全ての漁師町にペーロンチームがあり、毎年夏に競争し合ってきた。今では海辺の開発が進み漁業が衰退し漁師町がどんどんなくなりつつあるが、その代わりに町内会や地元企業がペーロンチームを結成して、近年また盛り上がりはじめている。舟大工の技術は継承され、漕ぎの文化は脈々と長崎に息づいているのだ。

そう・・・昨年の12月末、寒い不知火海、熊本県水俣市の海にハワイのアウトリガーカヌーが進水された。地元高校のカヌー部のOB達が結成する水俣カヌー協会が市の助成金を使い購入したのだ。個人競技のカヌーだけでなく、海と漕ぎを通して仲間同士の絆と、全てが一つになることの大切さ、そして日本のどの地域にもあったであろうアロハスピリットを知るのに、アウトリガーカヌーが最適だと考え、山下拓儀という青年が中心になり、アウトリガーカヌーを不知火海に浮かべる偉業を成し遂げた。この地はドラゴンボートも盛んで、これからますます漕ぎの文化が継承されていくのだろう。

また長崎の話しに戻るけど、今、野母崎(のもざき)という長崎市の南の半島の先っぽの街で、これまた凄いことがおこっている。
ハワイからカヌービルダー(ハワイの舟大工)を招いて、セーリングカヌー(帆と手漕ぎの両方で海を渡るカヌー)を建造し、その技術を地元の造船所や建材所の若者達に伝授しているのだ。この野母崎という町はHokule'aも予定を変更してまで寄港した、昔ながらの日本らしい漁村が残る港で、Hokule'aとそのクルー達との出会いが、この小さな過疎の漁村の人達の心を動かしたんだと思う。
ハワイのカヌー文化は日本にも継承され、漕ぎの文化は融合していくんだろう・・・。

このハワイアンカヌー製造の模様は、これからもこのブログで伝えていきたいと思います。