ある日の気づき

「自由貿易」プロパガンダにおける「自由」の怪しさについて

節へのリンク
1. デイヴィッド・リカードと「経済学」
2. 主流経済学における「自由」という用語の使い方自体がプロパガンダ
3. 「自由貿易」は、特に悪質なプロパガンダ
4. リカードの「比較優位」論は経済モデルとしても「お粗末」で非現実的
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はじめに^

経済学における「自由」は、覇権国/支配層/(経済的)強者の「やりたい放題」に何の制限も
加えない政策を推進するためのプロパガンダ用語。現実の政策として実行される場合、理念上は
ありうるはずの社会的価値とは無関係に、あからさまに弱者に対し制限や負担を押し付ける口実
でしかない場合が常態化しやすい。「自由貿易」での「自由」は、その典型。

1. デイヴィッド・リカードと「経済学」^

デイヴィッド・リカードが著書「経済学及び課税の諸原理」(下記に和文無料テキストあり)で
提示した「比較優位」なる概念は、今だに「自由貿易」の唱導の際に、しばしば持ち出される。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/card43670.html
https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html
https://www.gutenberg.org/ebooks/author/36323
https://www.econlib.org/library/Ricardo/ricP.html

目次を眺めて「利潤」、「租税」、「救貧」といった言葉の周辺を少し読むだけでも分かるが、
イギリスの資本家の利益を基準にする立場を隠そうともしていない。分配の公平性については
考えた気配すらない。「自然価格」などの曖昧模糊とした概念を何の断りもなく使用し、現実の
政策指針とするには粗雑過ぎる論理が展開されている。
例えば、有名な比較生産費説に関する架空の計算例による議論は、悪名高い「ラッファー曲線
と比べてマシとも思えない代物。「定量的検証を前提に構築された理論」は存在せず、「教義」
および「宣伝用スローガン」からなる「詐欺的な「主流経済学」のありよう」の原型の一つだ。
こんな文献が「古典」扱いになっている時点で、「経済学」全体が胡散臭く見えてくるわけで、
経済学の世界で訓練を受けるということは、結局心を閉ざす道を進むことになる」ゆえん。
とは言え、「肯定的に経済学説を解説する」立場であっても、「分かりやすい説明」を心がける
ことで、自ずと問題点を露呈させてしまう場合もある。例えば、下記。
http://vicryptopix.com/david-ricardo/
「...
リカードは自由貿易を推奨しています。
まずリカードは資本家の利潤率の上昇は、賃金の低下なくしては成立しないと説きます。賃金が
低いと、コストを低く抑えて生産できるので利潤率が上昇します ... では賃金を低くするには
どうしたら良いのか?それは自由貿易だと説きます。」

主流派経済学の伝統=「資本家の利益を基準にする立場」を端的に示す。リカード自身も資本家
なので、ある意味では当然の正直な主張。

「経済学及び課税の諸原理」は「穀物法への反対を含む政治的プロパガンダ文書」の一つであり、
目的が「イギリス産業資本家の利益になる政策の擁護」であることがアダム・スミスの「国富論」
より露骨で、↓*現在に至るまで主流経済学の言説を特徴付ける「議論の型」*を導入した。
(A)(少なくとも短期的に)産業資本家の利益にならない社会政策課題の無視。
(B) 「セイの「法則」」を始めとする「非現実的命題」を「法則」であるかのように詐称。
(C) 関連性が明白な政治的/社会的諸現実を捨象したモデルでの議論*のみ*に基く政策主張。
(D) 現実との整合性確認手続きを欠く (A)-(C) の「議論の型」を「理論的/科学的」と称する。

アダム・スミスは、少なくとも主観的には、「公共善/倫理的に正当化できる社会政策」を考察
していると見られるが、リカードおよび「論敵」のマルサスはイギリス(=当時の覇権国家)の
支配階級(=資本家)の利益以外の事は、まともに(=事実に即して)考えようとすらしない。

2. 主流経済学における「自由」という用語の使い方自体がプロパガンダ^

政治や社会に関する用語ないし概念の意味は、それに対応する、あるいは関連する現実が何か、
さらに、どのような主張において、どんな文脈で、どのような目的で使用されているかに照して
理解/判断する必要がある。例えば、「改正」の結果が「より正しい」とは限らない。

さて、一般に「自由」という概念は「前提条件/制約条件」や「適用範囲」と組にして考察する
必要がある。数学者カントールが「数学の本質は、その自由性にある」と言った際、「数学では
論理的整合性を完全に保った議論だけが意味を持つ」ことが、当然ながら「前提/制約」だった。
政治的/社会的な文脈での「自由」が、「社会的価値」ないし「公共善」の要素と見なす際に、
*想定する「適用範囲」毎に、何か「前提条件/制約条件」は必要*という命題に対して異議を
唱える実際的意味はなく、「その「前提/制約」は何か」という形で考えれば十分。その一方、
この*当然、考慮すべき「前提/制約」*を十分明らかにしないままで「自由」を論じている
場合は、「意味不明瞭な用語による議論」、つまり「ご飯論法」の同類である可能性を警戒する
必要があり、例えば、ハイエクやフリードマンの言う「自由」などは、典型的な「ご飯論法」の
「ご飯」だ。
# 例えば、「他人の自由を侵害しない限り何をしてもいい」という記述では、「自由」の意味は
# 全く明らかになっていない(∵「他人の自由」を「自由」の定義に使用できるはずがない)。
# 数学での「公理」における「無定義語」にしても、*他の概念との「公理」による関連付け*
# により「客観的に了解可能な意味」が与えられていることを参考にすれば、「自由」の意味を
# 明確にする上で、↓制約条件/前提条件である社会的規範との関係の明示が不可欠と分かる。

# 2023-01-22: 調べた限りでは、「自由」の制約条件として「他者に「危害」を加えない」事を
# 明示的に述べた最初の人は、J.S.ミルのようだ。(in 著書「自由論」→原著、無料和訳
∵政治的/社会的な文脈での「自由」を「社会的価値」ないし「公共善」の要素と見なす際は、
少なくとも「「公共的な害悪」の観点から見て「明白かつ現在の危険」の原因にならない」事を
制約条件に含める必要がある。その「公共」には「「少数者」に対して「危害」を加えていない
場合の「多数者」」を含めないと、まともな議論とは言えない。ハイエクやフリードマンの言う
「自由」を、ピノチェトやサッチャーなどの冷酷な人間が有難がるのは、制約条件が明示されて
いない「意味不明瞭な用語」だから。ある社会での「自由」を、その社会での規範と切り離して
論理的に妥当な議論を展開することはできない。そして、ある社会的規範の妥当性は、数学での
論理的妥当性とは異なり、「全人類的/空間的普遍性」や「時代/時間的普遍性」を持つと仮定
すべきではないものが多く、どんな規範が、どの程度まで普遍的かの判断も、そう簡単ではない。
多くの場合、具体的な問題発生時点の「法」を「目印」として判断するしかなく、「客観性」を
確保する観点から、成文法を優先すべきだ。ところが、ハイエクやフリードマンは、社会的規範
からの制約を示さない*得体の知れない*「自由」が「絶対的な価値」であるかのような言説、
つまりは「ご飯論法」の常習犯である。
# 例えば、ピノチェトやサッチャーの政権での*新自由主義政策の経済状況への影響*について
# *政策以外の経済要因の無視*を含めて、非論理的なプロパガンダ(e.g.「チリの奇跡」)が
# 後を断たない。
# ピノチェト政権は、米国から経済への露骨な攻撃を受けたアジェンダ政権下の経済との比較で
# GDP 成長率においてすら見劣りする。なお、ピノチェト政権下でもアジェンダ政権による銅山
# 国有化は維持されて、経済を下支えしたが、大半の国民の生活水準は、大幅に低下した。
# https://graphtochart.com/economy/chile-gdp-constant.php
# 国民生活より欧米資本の利益が優先された事の結果としか言いようがない。
# サッチャー政権の GDP成長率も、北海油田の本格稼動時期が一致した割にはパッとしない。
# https://graphtochart.com/economy/united-kingdom-gdp-constant.php
# 大半の国民の生活水準を低下させ、富裕層の利益に奉仕し、社会資本を掘り崩した事も同様。
# さらに、サッチャー政権下の経済運営最大の問題は 物価上昇による民衆の生活水準低下
# 「マーガレット・サッチャー政権後の英国で何が起こったか見てみましょう。公営住宅を
# 民営化したことで、住宅価格が大幅に上昇し、3倍、2倍、10倍と高騰している。
# 医療も同様で、大幅に上昇しました。インフラの民営化は、おそらく、99%の人々の予算を
# 圧迫する物価上昇の唯一の主要な原因です。」マイケル・ハドソン

ちなみに、「市場」という用語も、主流経済学の言説で「ご飯論法」における「ご飯」の役割を
担っている。例えば、サッチャーは「社会なんてものはない、存在するのは個人だけ」との迷言
(世迷い言)を吐いて市場原理主義的政策を推進したが、彼女の標語は論理的に破綻している。
∵「市場なんてものはない、存在するのは個々の取引だけ」という議論への反論が、彼女の標語を
認めるなら論理的には不可能なわけで、かつ個々の取引が不公正であり得る事を、「日本の貿易は
不公正」との発言で、彼女自身認めてしまっている。:-) ∴存在すらしない「市場」に価値など
あろうはずがなく、市場原理主義的政策の根拠とした主張から、その否定命題が証明された。:-)
∴社会的規範と無関係に「市場」という概念が意味を持ち得るかのような議論は、「社会的規範を
無視あるいは不当な方法で「こっそり」変更するためのまやかし」に過ぎない。
# 「概念明確化」の手順を踏まずに、その概念に依拠した論理を振り回す輩は、詐欺師と推定。

このほか、マックス・ヴェーバーの「資本主義の精神」も、「ご飯論法」での「ご飯」の典型で
ある事を、「西欧キリスト教世界の悪業と資本主義の宣伝(プロパガンダ)」で論じている。
国際政治関係だと、「西側公式言説における国際政治用語について」で示したように、そうした
怪しい(意味不明瞭な)用語は「枚挙に暇がない」。例えば、「ルールに基づく秩序」における
「ルール」の内容がどんなもので、いつ、だれが、どのように決めたものか、明示されたことは
一度もないが、「ルールに基づく秩序」というフレーズはロシア非難の論説などで多用される。
つまり、それらの論説は全て「ご飯論法」と判断される。なお、「国際法」が「ルール」だと
解釈すると、「ルールに基づく秩序」破りの最悪の常習犯は、アメリカを筆頭とする西側諸国と
いうことになる(例えば、本ブログの国際法に関する記事を参照)。

3. 「自由貿易」は、特に悪質なプロパガンダ^

前節で述べた通り、政治的/社会的文脈での「自由」は社会的規範と不可分であり、国内経済に
おいてすらも、「法」特に「成文法」を手がかりに概要を探ることしかできない。国際関係は、
「軍事力」つまり「剥き出しの暴力の作用および力関係」の存在を無視した考察が無意味な事と
「国際法」には「全ての国家に対して強制力を持つ執行機関」などない事から、「普遍妥当性の
ある公正な規範」を形成し、かつ有効性を確保すること自体にも、大きな困難を伴う。例えば、
直近のウクライナ紛争でのロシアへの制裁など西側諸国が常習的に行う「経済制裁」は、全て
WTO などで規定された貿易関連の諸条約(=「成文法」である国際法)への公然たる違反だ。
こんなありさまでの「自由」は、西側諸国(特に主導的立場の米国)の「勝手気ままな横暴」
でしかない事は明らか。歴史上、幕末の日本が押し付けられた不平等条約下の貿易、さらには
アヘン戦争などによりイギリスが中国に押し付けた条約下での貿易といった事例も思い出して
おくべきだ。「自由貿易」は「公正な貿易」とは全く異なるスローガンであり、経済に関連する
文脈での「自由」という形容詞は、前述の通り、しばしば「いかがわしさ」が伴う事に注意。
近年の「自由貿易」による「帝国主義的な資源略奪」の定量的研究も参照。

さて、アダム・スミスの時点で「自由貿易」論がイギリス産業資本の利益のためのプロパガンダ
だった事は「経済学とは何か、何であるべきか」で既に述べたが、リカードによりプロパガンダ
としてのレトリックが大幅に強化され、悪質さを増した。

リカードが「比較優位」というプロパガンダ用語を提示する際に使用したワインと毛織物での
架空の計算例で「ポルトガルが*毛織物生産*においても「絶対優位」にある」状況が仮定
されたのは、「仮にそうだったとしても、イギリスからの毛織物輸入を止めるべきではない」
としてプロパガンダとしての有効性を強化するレトリック以外の何物でもない。この事例は、
メシュエン条約」の内容に取材しているとされるが、史実での同条約制定当時の両国の産業
発展状況では、イギリスが毛織物産業において絶対優位にあった。

ポルトガルは、「レコンキスタ」やスペインからの独立に際しイギリスからの軍事援助を受けた
経緯から、外交的にイギリスに従属していた面があった。メシュエン条約は、英仏の対立が激化
した時期に、イギリスが*軍事的圧力をも行使して*、「対フランス連合」への参加を強要し、
ポルトガルを完全に「保護国」/「半植民地」化する流れの一環/総仕上げ。
https://jsie.jp/Annual_Meeting/2017f_Nihon_Univ/pdf/paper/16-2p.pdf
「... 
1654 年の条約は英国商人の立場を過度に有利な立場に置いた。イングランドの法律を超え、
ポルトガルの法律の外において、商人達が一つの国の中に一つの国を形成することを許した
...
1640 年、スペインから分離したポルトガルは、即座に英国といわゆる 1642 年、1654 年、
1661 年の三重条約を開始 ...  1642 年条約は、... それから 200 年間の基本的パターンを
確立 ... 英国に重要な域外管轄権と合わせて最恵国待遇を与え、ポルトガル法からの免除を
与え、ポルトガルにおける英国臣民に対して宗教的寛容を認めている。その見返りとして、
英国は、ポルトガルがスペイン君主から独立していることの公的承認をポルトガルに与えて
いる。1654 年条約はポルトガルにおける英国人が獲得した諸条件をブラジルと西アフリカに
拡張した。1661 年条約はポルトガルを防衛するという秘密条項が付け加えられた。...
... 英ポルトガル同盟の中心的特徴はこの秘密条項に最も明白に定義されている。」
「5.メシュエン条約
... 英国の通商の優勢はメシュエン条約から始まったものではなく、英国商人の立場を極度に
有利なものとした1654年の条約から始まった。....」
メシュエン条約の後、イギリスから(毛織物に限らず)あらゆる工業産業製品が流入したため、
ポルトガルが自前で工業を発達させる機会は失われ、経済的属国/植民地化が進行する。この
過程におけるポルトガルでの受益者は、ワイン生産に関わる大貴族/大農場主と、海外植民地で
発見された金鉱の利権者(例えばポルトガル王家)くらい。
https://bushoojapan.com/worldhistory/portugal/214
「... 1703年に結ばれたメシュエン条約により、ポルトガルのワインを買ってもらう代わりに
イギリスの毛織物を優先して輸入しなくてはならなかったため、国内の毛織物が大打撃を受け
...
ポルトガルの儲けよりイギリスの儲けのほうが大きく、それが産業革命の資金に ....」

細かい事を言うなら、「イギリス商業資本家による「資本の原始的蓄積」の1要素となった」と
表現する方が厳密であろう。「イギリス」や「ポルトガル」という「国家」は単一の経済主体
ではなく、それぞれの中に「貿易の自由化」による受益者と被害者が存在する。そして、受益者
から被害者に「補償」がされるわけではない(そんな「補償」を実効的に実現する制度設計は、
仮に為政者に実現する意思があっても困難であろうし、そもそも、為政者が、そのような利害の
調整を考慮すること自体、無いに等しい)。∴「貿易が、どちらの「国」の利益にもなる」と
いう議論の立て方自体が「まやかし」=受益者の立場からのプロパガンダに過ぎない。ただし、
前掲の日本や中国が欧米に強要された条件での貿易など、片方の当事者(欧米側)には被害者が
存在しない場合はあり得る。

ちなみに、アダム・スミスはメシュエン条約に不満を述べているが、その本当の理由は、「彼は
ポルトガルのポートワインより、メシュエン条約の結果として輸入が制限された、フランスの
赤ボルドーワインを好んでいたから」つまり、メシュエン条約の「被害者」だったから。:-)
これは、下記の両資料で引用されている逸話である。
https://jsie.jp/Annual_Meeting/2017f_Nihon_Univ/pdf/paper/16-2p.pdf
https://www.shikoku-u.ac.jp/education/docs/02-43.pdf
「アダム・スミスは赤ボルドーワインを好んだので、メシュエン条約は馬鹿馬鹿しいほど過大
評価されているという。」

なお、「自由貿易の推進による国家間の経済的結び付きの強化が国際平和を促進する」という
言説も穀物法廃止論が起源だが、この言説の創始者は、リカードではなくコブデンほか。
しかし、「国家間の経済的結び付きの強化が国際平和を促進する」という命題は、第一次世界
大戦の直前まで、イギリスとドイツの経済的結び付きが強化され続けていた事実との整合性を
欠いている。国際平和の促進には、平和実現を指向する政治的な意思と行動こそが、決定的に
重要である。「経済的結び付きの強化」の「国際平和の促進」の手段としての有効性に十分な
根拠が示されたことはない。
# 以下、中野剛志「富国と強兵」から引用。要旨:「自由貿易こそが戦争を招いた面もある」
p.289
「マッキンダーは、産業資本主義を帝国主義に導くのは自由貿易の原則であると論じている。」
「各国が市場獲得競争を繰り広げている中で、自由貿易の原則を維持しつつ生き残ろうと
したら、帝国の領土を拡張して自国の市場を拡大していくしかない。」
「イギリスは自由貿易によって得た貿易黒字を海外市場へと投資したが、その資本所得を確保
するためにも、帝国主義的な進出や干渉が必要」
「国際貿易や国際資本移動の自由こそが、覇権的・帝国主義的な拡張をもたらす。」
pp.299-301
「マッキンダーは、関税改革運動において主導的な役割を果たしたが、この関税改革運動に
洗礼された理論を提供したのが、イギリス歴史学派の泰斗ウィリアム・アシュリーである。
「その頃のアメリカは、世界で最も高い関税によって大規模な国内市場を保護」
「そのおかげで規模と範囲の経済を存分に発揮した資本集約型産業が開花していた。」
「アメリカ滞在の経験がアシュリーを保護主義者そして経済ナショナリストに向かわせた」
「『関税問題』は小冊子でありながら、きわめて重要な理論的内容を含んでいた。」
「その冒頭において、アシュリーは、単に自由貿易に反対するというだけでなく、自由貿易を
支える社会哲学そのものに根本的な批判を加える旨を宣言」
「それ↑は、古典的自由主義、すなわち消極的自由と国家不介入を教条とする自由放任主義」
p.305
「製造業においては、収穫逓増の法則が働くために、市場の規模が大きくなればなるほど、
大規模生産による規模の経済が働き、生産コストは逓減し、生産性が改善する。」
p.306 #↓ 「収穫逓増(裏返せば「限界費用の逓減」)」と「市場均衡」の関係は別記事も参照。
「リカードから今日の主流派経済学に至るまでの自由貿易の理論、より一般的には市場均衡の
理論が、収穫逓増ではなく、収穫一定あるいは収穫逓減を前提としている」
「市場は自動的に均衡に向かうという理論こそが、政府の市場への不介入を正当化するもので
あった。しかし、収穫逓増の法則が成り立つのであるならば、安定的な市場均衡は保証され
なくなる。このため、主流派経済学の教科書では今でも、収穫逓増を例外的な現象として
扱っている。」
「産業資本主義の主役となっている産業や企業の行動を観察するならば収穫逓増が例外的な
現象であるとは到底言えない。とりわけ第二次産業革命以降の資本集約型産業においては、
規模と範囲の経済、すなわち収穫逓増が特に大きく働くのである。」
p.318
「むしろ、自由貿易こそが戦争につながる」
「なぜなら、他国の市場開放を強制するには、武力が必要になるからである」
「ヨークシャーやランカシャーの製造業者たちが中国の門戸を武力で開放させようとしていた
ことに、コブデンが驚いていたことを思い出すべきである。」
「製造業は、獲得する市場が大きければ大きいほど、費用が逓減して生産性が向上する。」
「規模を拡大して競争力を強化し、競争相手を駆逐することに成功すれば、莫大な独占利潤を
手にすることができる。」
「それゆえ、製造業は、帝国主義的な市場獲得競争へと駆り立てられる。」
p.319
「収穫逓増の法則は、自由貿易と帝国主義とを結びつけるメカニズムなのである。」
「自由貿易論者が競争による利益の調和を信じているのは、収穫逓減の法則を想定している
からにほかならない。」

4. リカードの「比較優位」論は経済モデルとしても「お粗末」で非現実的^

この観点からの批判は、既に様々な角度から行われているので、それらをいくつかリンクする
だけにしておく。

https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/ce558f9b643a3a7ecec8867f200a3089
間違いだらけのリカード理論
2013年01月20日 | 自由貿易批判

下記ブログでの検索結果
https://suikyojin.hatenablog.com/search?q=比較生産費
https://suikyojin.hatenablog.com/search?q=自由貿易
https://suikyojin.hatenablog.com/search?q=比較優位
# 例えば、下記などがヒットする。
2014-08-26特化することのリスク
https://suikyojin.hatenablog.com/entry/20140826/p1
「特定の産業に特化すると、その産業の好不調に依存するため、景気の好不況の振幅が激しく
なる   というリスクがあります。都市レベルの特化ですらこうなります。国のレベルで特化
した場合、極めて深刻なものになります。リカードの比較生産費説は、こうしたことが考慮
されていません。:
2014-07-01リカードの比較生産費説の基本的な欠点
https://suikyojin.hatenablog.com/entry/20140701/p1
比較生産費説の基本的な欠点とは、比較生産費説が供給不足を前提としているのに対して、
現実の経済ではほとんどの商品(サービスを含む)は需要不足となっているということです。

http://www.kanekashi.com/blog/2013/09/2050.html
自由貿易のメリットとデメリット

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=157254
「157254  
「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 前編」
....
# 下記書籍での説明によれば、経済学理論における「比較優位」概念は「オワコン」である。:-)
# 岡本哲史・小池洋一編著『経済学のパラレルワールド―入門 異端派総合アプローチ』第6章
(1) リカードの原著では、2国(イギリスとポルトガル)間取引価格が、どちらの国の国内価格
とも異なる国際価格であると、暗黙に(従って何も根拠を示さず)仮定した上で、いわゆる
「標準/教科書的解釈」での「比較優位」概念による枠組みとは異なる論理で説明している。
(pp.224-225)
(2) 「標準/教科書的解釈」では、JS ミルが主著「経済学原理」で提示した「相互需要論」に
基き、各国の効用が最大化するように国際価格が決まるとする。すると、下記の問題がある。
(pp.226-230)
- イギリスの人口はポルトガルの人口の5倍以上なので、両国が一方の財の生産に完全特化
 した場合、各財の生産量と消費量がバランスする事は期待できない。
- 一方、不完全特化した国があれば、その国では国内価格と国際価格が一致するため、貿易の
 利益は生じない。∴貿易を行う動機がない。
(3) 上記 (1),(2) から、2国2財モデルにおいてすら、「比較優位」という概念は、整合的に
定義されていない。新古典派経済学は、上記 JSミルの発想を端緒とする「交換の経済学」
であり、「生産の経済学」である古典派の「生産費価値説」の観点からすれば、賃金率比が
国によって異なる状況を説明できていない事になる。(pp.242-244)

リカードの議論より多少は手の込んだ「ヘクシャー=オリーンの定理」という議論があるが、
上で列挙したリカードの議論への批判と同じ論点が当てはまってしまうものでしかない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘクシャー=オリーンの定理#批判

なお、ネットで「新々貿易理論」などの最近の貿易理論の簡単な説明を眺めた限り、それらの
理論は「貿易をする企業が儲かる」以上の内容を {示せていない、示そうとしていない} 印象を
受ける。つまり、「国民の生活水準向上」に「自由貿易」が役立つことを示す理論は見当らない。
# 参考: 主流派経済学の貿易論全てに共通の「経済学理論としての欠陥」
# 出典: 数学セミナー2022年7月号 pp.13-17 「To be, or not to be」(塩沢由典) p.15
「主流派経済学の貿易論は、ふつう4つの世代をへて発展してきたとされています。
(1) リカード・モデル、(2) ヘクシャー=オリーン=サミュエルソン(HOS)理論、
(3) ポール・クルーグマン(Paul Krugman)などの新貿易理論、(4) マーク・メリッツ
(Marc Melitz)の新々貿易理論の4つです。しかし、これら4世代の理論には共通した
欠陥があります。それは投入財の貿易を扱えていないことです」
「投入財というのは、原材料や燃料、部品など生産に必要なものです。現在はグローバル
経済の時代と呼ばれています。そこで重要なのは、グローバル・バリュー・チェーン
(Global Value Chain, GVC)です。GVC は、投入財の貿易で結び合わされた世界各国間の
生産のネットワークです。
ウクライナに対するプーチンの戦争で、西側 G7 の各国がロシアに経済制裁を科しましたが、
それがよかれあしかれ強い影響をもつのは、現在はあらゆる財につきこの GVC が張り巡ら
されているからです。主流の貿易論(国際ミクロ経済学)は、この意味で理論的には大きな
欠陥をもっています」

下記記事のクルーグマン貿易論批判も、主流派経済学の貿易論全てに当てはまる。
https://mekong.hatenablog.com/entry/2024/01/21/233000
ポール・クルーグマンがこれまで書いた記事の中で、彼が理解していないことが2つあります」
「まず第一に … 貨幣を理解していません。彼の経済モデルはすべて、貨幣が存在しないことを
前提としています。物々交換の理論です。だから彼の貿易論はすべて物々交換の貿易条件と
呼ばれているのです」
「理解していないもう一つのことは国際収支です。ポール・クルーグマンがこれほど人気が
あるのは、彼が国際収支を理解していないからです。もし彼が国際収支と貨幣を理解して
いたら、大衆化することはなかったでしょう。彼はニューヨーク・タイムズに記事を書く
代わりに、ここで私と話をしていたはずです」
「彼が名声を築いた国際貿易理論の議論では、国際収支や外貨準備、さらには貨幣について
さえ語られていなません。マサチューセッツ工科大学(MIT)に一緒に行った同級生に聞いた
ことがあるのですが、教授はお金の話はするなと言ったそうです。 … お金や国際準備に
ついて話したくない人物なのです」
「彼は経済学の学位は持っているが、民主党のハッカー … ニューヨーク・タイムズ紙の
彼の論説 … バイデン政権のためのプロパガンダ … それが彼の仕事です」

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