ある日の気づき

新古典派経済学の問題点

新古典派経済学の問題点を下記書籍から引用
- 「経済学のパラレルワールド: 入門・異端派総合アプローチ」
- 「増補 複雑系経済学入門」
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経済学のパラレルワールド: 入門・異端派総合アプローチ」より^
はじめに
p.5
「新古典派と異端派とを比較した場合、新古典派経済学には看過できない深刻な問題があり、
現代資本主義を分析する道具としては異端派の方に分がある
# 新古典派経済学の深刻な問題その1: 理論の前提および結論の現実との不一致を無視しがち。
# ∴ 新古典派経済学の諸命題には "Garbage in, Garbage out" が、よく当てはまる。
# 参考: 著名な数学者(アンリ・ポアンカレ+ノーバート・ウィナー)の警告/苦言
# (「客観性のある定量的検証手段で現実との一致度/不一致度を常に確認する」事こそが
# 科学的態度。∴ 新古典派経済学は非科学的)。
# 新古典派経済学の深刻な問題その2: 上記の態度が、単なる「間違い」というより、意図的に
# 特定少数の利益にしかならない政策を「公共の福祉に資する」と偽るための「プロパガンダ
# だと考えざるを得ない場合が多い事。
p.7
「最近の経済学の教育現場では、主流派経済学以外の学問を学ぶ機会が著しく減少している
ため、学生の思考回路がどんどん画一化してきた印象」
序章
pp.21-22
「「わたしの理論は価値判断を交じえない客観的で中立的な経済学研究だ」といくら言い張った
ところで、それを額面通りに受け取ることはできない」
p.22
「経済モデルに数学を導入していれば客観的で価値中立的だという考えは間違い」
「数理展開の前提となっている諸々の仮定自体の中に、研究者の世界観は容易に侵入する
価値判断を必要としない分野での理論研究をやっているのだから科学的で客観的なのだ、と
する議論も同様に誤り」
「価値判断を含む問題は扱わないという方法的態度自体が、歴とした特定の価値観の表明」
「沈黙すること、語らないことが、特定の価値観と結びついている場合もある」
# 本ブログ筆者は、「価値中立な経済学理論なるものがあり得る」という極めて悪質な
# プロパガンダを最も露骨な形で唱導し始めたのはマックス・ウェーバーと考えている。
pp.22-23
「異端派経済学の方は、理想とする社会像を明示している場合が多い」
「新古典派の方は価値中立を信じがちな素朴な科学観が災いして、自らの価値観の経済学体系内
への侵入に無自覚なのが特徴」
# ↑ 実例を↓ウルリケ・ヘルマン「スミス・マルクス・ケインズ」p.365 から引用。
# 「経済学は自然科学ではない。これは、ありきたりの発言に思えるかも知れない。しかし、
# 新古典派は19世紀以来、みずからの理論を物理学の一種として売り込もうとしてきた。
# 典型的なのが、ミルトン・フリードマンだ。フリードマンはノーベル経済学賞の受賞演説で
# こう宣言した。たしかに経済学の予測は、時に間違うことがあります。しかし、それは
# 物理学、生物学、医学、あるいは気象学の予測違いの頻度以上のものではありません、と。」
# 「こんな見解はまったくのナンセンスで、唖然とさせられる。しかし、新古典派経済学が
# 自然科学になりたいと思うのには理由がある。自然科学であれば、権力というやっかいな
# テーマに関わらなくてもいいからだ。そうなれば、なぜ少数の者が豊かで大多数の者が
# 貧困なのかという問題が、突如として政治的な問いではなくなる。不平等は、人間の力では
# 変えようのない、彼らが言うところの自然現象へと高められる。」
# ↑ 同書 p.376 原註に、出典の説明がある。
# (1) Friedman, Inflation and Unemployment, S.267f
# 「ミルトン・フリードマン『インフレーションと失業』」フリードマンは、経済学における
# 予測間違いを、ハイゼンベルクの不確定性原理と比較している。この比較はあまりにも噴飯
# もので、こんなナンセンスをこともあろうにノーベル賞授賞式で得々と語ったフリードマンの
# 厚顔無恥には唖然とさせられる。(ブログ筆者註: ↑言及箇所はFriedman論説原文pp1-2)。
pp.36-37
「理論モデル自体が「働きたいけど職を見つけられない」ような慢性失業(=非自発的失業)の
問題をハナから排除している」
p.37
「社会全体の財の供給量 Y が、需要量とは一切関係ないところで先に決まってしまう」
「こんな変な議論になっている理由の1つは、理論の出発点において、一次同次という理論展開に
都合の良い恣意的な形の生産関数 Y=Y(K,L) が持ち込まれ、そこから労働需要と資本需要の2本
の曲線が導かれているため」
L: 均衡雇用量、K: 均衡資本量
「K の値を生産関数に代入して生産量を確定するということは、K の全体が生産 Y に貢献する
こと、すなわち、資本設備のフル稼動が暗裡裡に前提されている」
p.49
「フリードマンとその師であるハイエクが、1973年に南米チリの A.ピノチェ将軍が実行した
残虐な反共(反共産主義)クーデターを支持し、当該国での新自由主義的な経済政策の旗振り役
を務めた」
# ピノチェ (August Pinochet) : 日本では「ピノチェト」という表記が流布しているが、
# 現地のスペイン語では最後の t を発音しない。
第4章
p.153
「新古典派の方法では、将来の利潤や物価変動をすべて予測可能なものとみなしている」
p.167
「新古典派経済学のように、消費者も企業もすべてリスク・ヘッジを行うと考えるよりも、
ポスト・ケインジアン、カレツキアンのように企業が不確実性に直面して行動すると考える
ほうが、より現実的」
第10章
p.344
「理論と現実との間に乖離があるにもかかわらず、両者を混同してしまう」
「考察する問題に応じて理論を変えなければならないにもかかわらず、いつも同じ理論を使って
しまう」
p.347
「新自由主義政策の目的のなかには、公然と語られないものがあります。それは私的利益の追求」
p.348
「特殊利益に奉仕する政策であるけれども、あたかも全体の利益になるかのように受け取られる
政策は、特殊利益の関係者にとって都合の良いもの」
p.349
「新自由主義とは経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクトであった」
p.350
「新自由主義が掲げる公の政策目標--万人の福利--とその実際の結果--経済エリートの権力の回復
--との間の深淵が急速に広がっている」

増補 複雑系経済学入門」より^
第3章
pp.92-93
「二つの核となる方法論的枠組み」: 「最適化原理」、「均衡」
p.95
「二つともに、重大な難点が隠されている」
「効用の最大化という消費者理論を例にとって、最適化原理の問題点を明らかに」
p.104
「碁や将棋を研究するにあたって、不敗法があると仮定するようなもの」
「人間の実際的な行動を研究しようとするとき、このような原理から出発できない」
pp.105-106
「補足的注意」: 「近似計算と最適計算の間にある違い」、「最適値と最適解の区別」
「最適値と近似値は近い」、「最適解と近似解とは全然別のもの」
pp.108-109
「新古典派の経済学で効用最大化という定式を捨てられないのは、そうすると理論的に困った
ことが起こるから」
「最大の問題」: 「需要関数が構成できない」
「新古典派の需要関数は、価格を任意に与えたとき、ひとびとが商品をどれだけ需要するかを
仮想的に考えて構成」
「財・サービスの種類が100を越えるくらい大きくなると、... 最大化は不可能…最大化原理
にしたがって需要関数を構成することには、何の理由もない」
# 「最適解と近似解とは全然別のもの」∴近似解では新古典派の需要関数を定義できない。
pp.109-110
「供給関数の定義にもおなじような構成の難点」
「(新古典派の)供給関数」 : 「任意の価格体系を与えたとき、この価格体系のもとで、製品
をこれだけは供給したいが、それ以上は供給したくないという数量をひとまとめにしたもの」
「供給関数の基礎は、与えられた価格のもとでは、これ以上市場に供給しないという数量が
各企業で決まっているという前提」、「非現実的な仮定」、「概念そのものがなりたたない」
p.112
「限界費用の逓増という仮定が正しいという虚構の上でのみ成立する理由付け」
「生産容量一杯まで、限界費用は一定か、むしろ逓減しているのが普通」
p.115
「需要・供給ともに、それらを価格体系の関数として構成するには、かなりの無理」
「それにも拘わらず、需要関数・供給関数の概念が維持されてきたのは…「理論的に」必要
だったから」、「その理論というのは、価格均衡という枠組み」
p.117
無限合理性→効用最大化→需要関数\
+++++++++++++++++++++|→均衡
収穫逓減--→利潤最大化→供給関数/
表2 価格均衡の理論的構成
p.118
「限界費用が逓減しているという前提が…崩れるなら、生産者は…別の行動様式 ...
たとえば、所与の製品価格のもとで、自社に表明される需要の流れをみて、生産量を調整する
方がより妥当」
pp.119-120
「価格均衡という理論の枠組みを守るために、非現実的な仮定が前提され続けた」
「新古典派の経済学は、…最適化原理と均衡という…枠組みの…罠にはまってしまった」
第10章
pp.316-317
「ワルラスの一般均衡は、ほとんどなんの現実性もないものです。このような非現実的なモデル
で市場経済の効率性が証明できたというなら、計画経済も同じように効率的だと証明できます」
p.319
「ワルラスやその後の新古典派の人達が考えてきたように、価格ですべてを調整しようとしても、
調整できるものではない」
「実際の経済では、価格が変化して数量調整されるというよりも、安定した価格のもとに、数量
自体の調整が行われています」
第11章
pp.341-342
「スラッファ」: 「生産費用と生産量の関係について」、「競争的条件のもとでの収穫法則
「2本の論文は、収穫法則に関係してマーシャル部分均衡理論の理論的矛盾を鋭くえぐりだした」
「企業の生産規模の拡大を抑えているものは、費用の逓増などではなく、個別企業に表明される
需要の限界」
p.343
「収穫逓増が支配的であるいくつもの証拠が示されても、理論的には収穫逓減が正しいとする
分裂病的症状」
補章
p.484
「近代的市場経済のうち実体経済と呼ばれる部分(すなわち、金融経済を除く生産・交換・消費・
投資のネットワーク)は、価格調整によってではなく、数量調整によって動いている」

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