ある日の気づき

歴史的観点からウクライナ情勢を考える

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1. 近現代史において、状況が今次ウクライナ紛争と最も似ている出来事
2. そもそも西側諸国とは何者か
3. 西側での価値観や常識の罠
4. 政策評価に際しては結果を重視し、「二重基準」を排除すること
更新履歴

表題中の「歴史的観点」における「歴史」とは、ウクライナの独立以来の歴史の事ではなく、
世界史全般。特に近現代史の「教訓」や「何らかの類似点がある事例」などに着目したい。
また、歴史を*虚心に*見つめる上で障害になり得る西側での価値観や常識の問題点を例示
して、歴史の教訓を適切に活かす上での助けになりそうな論点を示しておきたい。

1. 近現代史において、状況が今次ウクライナ紛争と最も似ている出来事^

このように問題設定してしまうと、バングラデシュ独立戦争/第三次印パ戦争しかなさそう。
主な類似点は以下の (0)-(4)。
(0) 独立時に設定された人為的な国境のため、国内に2つの有力言語が存在し、かつ一方の
  言語を主に使用する人々は、特定地域に集中して居住している。
(1) 一方の有力言語を支持基盤とする勢力が、他方が選挙で勝利した結果生じた政権を武力に
  よるクーデターで打倒。
(2) クーデター後の政権は、他方の言語話者への露骨な差別的政策/迫害を実行。
+ アメリカは差別政策を実行していた政権を支持。
https://note.com/precious_nijiko/n/n4affbf234f00
「1970年、当時東パキスタンと呼ばれていた地域のベンガル民族主義者が選挙で勝利」
「支配力の喪失を恐れた西パキスタンの軍事政権は、殺人的な弾圧を開始」
「キッシンジャーとニクソンはこの虐殺を断固として支持」
「パキスタンが中国やソ連寄りのインドへの対抗手段として有用であるという動機から、
キッシンジャーは30万人から300万人の殺害にも動じなかった。」
「秘密録音で、彼は「瀕死のベンガル人」のために「血を流す」人々を軽蔑している。」
(3) 差別された側の言語話者地域が、重大事件へのクーデター政権の対応を不満として独立を
  宣言し、内戦に突入。
(4) 紛争地域における最大の国が、差別/迫害されていた側の独立を支持して介入。

ここまでの成り行きは、よく似ている。もちろん、違いも多いが、西側諸国の紛争への対応
より大きな相違点は見当たらない。一方への大量の武器移転、報道の様相などが大きく違う
原因は何か。「西側諸国は、とっくの昔に紛争に参加済みで、紛争地域における最大の国=
ロシアを攻撃する企図を持ち続けていたから」という以外に説明の付けようがあるだろうか?

2. そもそも西側諸国とは何者か^

https://qrude.hateblo.jp/entry/2024/03/27/053000
「西洋が世界を制したのは、その思想や価値観や宗教の優越性によるのではなく(他の文明では
改宗した者はほとんどいなかった)、むしろ組織的暴力の適用における優越性によるのである。
西洋人はしばしばこの事実を忘れるが、非西洋人は決して忘れない。
サミュエル・P・ハンティントン『文明の衝突と世界秩序の再構築』(1996年)」
「西洋の植民地主義は15世紀に始まり、一部の例外を除いて20世紀半ばに終わった。それは、
テクノロジーの発達と人口の急増によって可能になった。」
「西洋はその後、世界を支配する新たなモデルに転換した。人間の価値と人権、そして誰もが
それらを享受できるようにするとされる一定のルールについて語った。
しかし、その見せかけはうまく機能しなかった。西側諸国、とりわけアメリカは、自国の利益に
そぐわないときはいつでも国際法を回避することで、「ルールに基づく秩序」を乱用した。
西側諸国は、怪しげな状況下で「組織的暴力」を行使し続けた。」

まず、大航海時代以降の世界史を思い出そう。そう、征服戦争と植民地支配の歴史。次に視点を
任意の「被征服地域の住民」に移して、じっくりイメージし直して見よう。ああ、少し難しい?
その気になれば、参考になる文献は数多くある。一番有名な「古典」は、ラス・カサスの著書
インディアスの破壊についての簡潔な報告」だろう。本なんか読んでいる暇はない?ならば、
[ベルギー レオポルド2世] という2つの単語の対を検索して、最初の Wikipedia や kotobank
などの「硬め」の記事は飛ばして、少し下の長めの記事を見るといいかも。DuckDuckGo の方が、
Google より、こういう場合は便利。

さて、「旧悪」を言い立てるのは悪趣味と思われた方もいるだろうから、意図を説明しておく。
つまり、「上で言及した歴史は、本当に「旧悪」と言えるのか?」という疑問を提示したい。
「旧悪」というなら、いつ終わったのだろうか?明確な区切りになる出来事はあるだろうか?
念のために言っておくと、国内政治の民主化と植民地支配の維持は何ら矛盾なく共存できる。
イギリス、フランス、アメリカの「民主主義」と、近現代の「帝国主義」は最初から共存して
いたわけだし、アジア、アフリカ諸国の独立は第二次大戦後だが、そのときの西側諸国の政治
体制に、今と違いはない。そもそも、古代ギリシャの民主主義がどんなものかを思い出せば、
「民主主義」は、その範囲外にいる人々から見て、特に穏健な政治体制と言えないのは明らか。
さらに、20世紀の時点が↓「過去最低」↓という評価も十分可能な点を注意しておこう。
「20世紀には、2つの非合理的な資本主義戦争(当時の利益から見ても非論理的)によって、
西側諸国は歴史上経験したことのない最低レベルの人類へと転落し、地球上の大部分
(当時はヨーロッパの軍国主義、文化、イデオロギーに服従させられていた)の足を
引っ張った。」

個々の国、例えば、現在は小国になったベルギーとレオポルド2世の関係など,、「旧悪」だと
言えそうな場合もある。しかし、注意して頂きたい。「自発的に植民地を独立させた国」など
ないわけで、植民地喪失は、他の国に奪われたか独立運動を抑えきれずにやむなくかだった。
# ベルギーが「多少とも「反省の色」を示した」と言えそうなのは21世紀になってから。
# & 追悼:パトリス・ルムンバ・・・1961年1月17日に暗殺
# 「国民が参加したコンゴ初の本格的な選挙で圧勝したパトリス・ルムンバは、1960年6月24日
# コンゴ首相となった。同年9月14日、ジョセフ=デジレ・モブツ(Joseph-Desire Mobutu)大佐と
# その支持者たちに首相の座を追いやられ、投獄された」
# 「暗殺現場には少なくとも5人のベルギー人警察官と兵士がいた」
# 「1961年1月のルムンバ暗殺におけるベルギーの責任は、何人かの歴史家によって立証」
# 「ベルギーの責任は、2001年から2002年にかけてベルギー議会の調査委員会のテーマ」
# コンゴで帝国支配を続けようとしていた列強は、植民地システムを新植民地システムに
# 置き換え、アフリカ人が政治的権力を行使するが、西側列強とその企業がそれを支配する
# システムにした。これは新植民地主義であり、ルムンバが闘う対象としたかったものだ。
# これが、彼が暗殺された理由である。」
# 「モブツは植民地時代に軍人としての経歴があり、コンゴの親植民地新聞の記者でもあった」
例えば、オランダでは反日感情が強い。考えれば分かることだが、[オランダ 反日感情] と、
2語を対にして検索すれば、簡単に答え合わせができる。国民感情レベルですらこうなのに、
植民地支配から最大の利益を得た支配層が、本当に諦めることなど、ありうるだろうか?

例えば、フランスはベトナムや北アフリカを植民地として維持することに拘った。北アフリカ
では、いまでもフランス語が「上流階級/知識人層」の間では通じる(ただし、イスラム圏の
通例で、一般にはアラビア語の影響力が強くなってきている)。経済面の影響力も残っている。
フランスがリビアやシリアの空爆に参加したのは、これらの国が、フランスの影響から脱する
方針で国家を運営していた事と無関係なはずがない。そして、西側諸国の支配層を特定の国の
特定の集団に限定する必要はないだろう。かって、西側諸国の間で戦争があった時代も、王侯
貴族を代表とする支配層は縁戚関係にあったのだから、現在の支配層に国際的な広がりがない
という想定はばかげている。

そこで、今やEUという具体的な形で結びついた諸国と、アングロサクソンつながりの米英、
イギリス連邦つながりのカナダやオーストラリアを総体として見たとき、本当に征服戦争や
植民地支配は、「旧悪」と言えるだろうか。「ワシントン・コンセンサス」が融資対象国の
国民経済に与える様々な問題を長年に渡って指摘されながら、いっこうに撤回/変更される
気配がないのは、融資先を植民地として利用するためと考えざるを得ないのだが。以上から、
ケイトリン・ジョンストンによる「帝国/empire」の定義には、妥当性があると判断する。
# ラリー・ジョンソンは「西洋植民地帝国」と呼び、アメリカは、その「私生児」とする。
https://qrude.hateblo.jp/entry/2023/12/07/064500
「私たちは歴史の分岐点に生きている。私たちは西洋植民地帝国の時代の終焉の証人なのだ。
この時代は、15世紀後半にクリストファー・コロンブスとヴァスコ・ダ・ガマが世界を
「発見」するために旅立ったことから始まった。その後6世紀にわたり、ヨーロッパの国々は
北南米、アフリカ、中東、アジアの領土をめぐって自国や他国と争った。その過程で、現在
「南半球」と呼ばれる国々の住民を服従させ、時には奴隷にした。」
「私がこの時代をヨーロッパ帝国の時代と呼ぶのは、ポルトガル、スペイン、フランス、
イギリス、ドイツの内部での覇権争いはともかく、これらすべての国が、自国の利益のために
外国の資源と人口を搾取するという共通の目標を共有していたからである。」
「私は、このヨーロッパ帝国の私生児として、自国アメリカも含めている。アメリカが支配的な
国家として台頭したのは、第二次世界大戦後にヨーロッパ諸国とソビエトが被った壊滅的な
打撃によって可能になった部分もあるが、いわゆる
ルールズ・ベースト・インターナショナル・オーダー(ルールに基づく国際秩序)の創設を
伴うものであり、これによってアメリカは過去70年間、運転席に座っていたのである。
「この「ルールに基づく国際秩序」という言葉は、基本原則を包括する政治用語である。
これまでは、ワシントンがしばしば恣意的にルールを決め、世界の他の国々はそれに従う
ことが期待されていた。反抗する勇気のある者は、経済制裁や軍事介入を受けることになる。
これは黄金律のねじれたバージョンであり、つまり、金を持っている者がルールを決める」
そのルールとは何か?思いつくものを3つ挙げてみよう。
- 国境は、ワシントンがそうでないと決定しない限り、あるいは決定するまでは神聖なもの
- 米国が容認できないと判断するまでは、その国は自国の政治形態を選ぶことができる。
- 国の内政に干渉することは、米国を除いて固く禁じられている。」
https://note.com/ftk2221/n/n1e913b59eb73 「ルールに基づく秩序」の本当の意味は...
「西側諸国(特にアメリカ合州国)が望むものは何でも。」
# 参考: ロシア外相ラブロフも、↑上記と同様の歴史認識を表明している。
西側諸国の「500年にわたる支配」に終止符 - ラブロフ氏
ラブロフさん:欧米支配の終焉と多中心世界の台頭

3. 西側での価値観や常識の罠^

「大航海時代」は、以前は「地理(学)上の発見の時代」と呼ばれていたが、後者の表現は
ヨーロッパ視点があからさま過ぎるということで、前者の表現が提案+採用された経緯がある。
だが、後者の表現も消滅したとまでは言えない。このように、現実認識を規定する用語一つを
とっても、特定の視点や価値観が背景になっている場合がある。「常識的な判断」のつもりで
いても、背景となっている暗黙の前提や考え方の枠組みの影響で、「事実とのずれ」が意外に
大きくなっていることは十分ありうる。

日本人の大半にとって、日本語以外で多少とも理解できる言語は英語だけであろうから、他の
言語でのみ発信された情報には接することがない。さらに、英語で発信されている情報にすら、
日本語訳を通してのみ知る場合が大半。そして、日本語で発信されている情報も、時事情報に
ついては、マスメディアが発信しているものに限定される場合が大半である。
やっかいな点は、時事問題についての「常識」や「理解の枠組み」自体が、上述のように限定
された情報を元に構成されていることだ。根拠を考えれば考えるほど、妥当性が不確かになる
多くの命題が、あたかも「事実」であるかのように扱われている現状には、辟易している。

例を挙げて見よう。
西側では、「中国はウイグル人の人権を侵害している」という前提に基づいて、多くの政策が
議論され、実行に移されている。しかし、「中国はウイグル人の人権を侵害している」という
命題は、事実と確認されてなどいない。もし、「中国はウイグル人の人権を侵害している」と
判断しているなら、その判断の根拠になっている情報は何か、考えて見るべきだ。西側諸国の
政府やマスコミが発信した情報しかないはずだ。中国自身およびオルタナメディアの発信する
情報と照らし合わせると、西側が発信している関連情報は、かなり怪しく見えて来る。例えば、
「ジェノサイド」があったという表現があるが、どこで、何人くらい、どんな状況で殺された
のか、特定できる情報がない。なお、中国側はウイグル人の人口統計を反論材料の一つとして
挙げているほか、「ウイグル人テロリストへの取り締まり」を実行していることは認めている。
ところで、ウイグル人テロリストが実際に相当数存在していることは、下記の事件により証拠が
挙がっているので、中国側説明が事実である可能性は十分にある。

#↓ISISに人質にされた人の証言による。職業的テロリストの「出稼ぎ」としか思えない例。
「安田純平さん、一時「中国人」名乗る 拘束先にウイグル人→「韓国人のウマル」に
https://www.j-cast.com/2018/11/02342840.html
「平屋のロの字型の施設だった。施設を運営していたのはウイグル人だった。」
「彼らはウイグル人で中国出身だから、中国人と言わず韓国人と言えと言われた。」」
「大規模なウイグル人の強制収容所がある」という話も流布されているが、その情報源である
人物ないし組織がどんな素性のものか、西側公式情報では明らかにされていない。一方では、
オルタナメディア上に、下記のような情報があったりする。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103200002/
「新疆ウイグル自治区で約100万人のウイグル人が再教育キャンプへ送り込まれ、約200万人が
再教育プログラムに参加させられていると「人種差別削減委員会」のゲイ・マガルは発表して
いるが、その情報源はCHRD(中国人権防衛ネットワーク)。
CHRDの情報源は8名のウイグル人である。
CHRDと並ぶウイグル問題の情報源はキリスト教系カルトの信者であるエイドリアン・ゼンズ。
「神の導き」でコミュニズムと戦っているという人物。「コミュニズムの犠牲者記念基金」で
シニア・フェローとして中国問題を研究していた。
 この基金を創設したのはレフ・ドブリアンスキーとヤロスラフ・ステツコ。ステツコは
ウクライナのナショナリストOUNの幹部。第2次世界大戦中にはナチスと関係があり、1946年には
イギリスの情報機関MI6のエージェントになった。ABN(反ボルシェビキ国家連合)の議長にも
就任している。」
#こういう情報も出てしまっている以上、西側公式情報を鵜呑みにすることは不可能である。
#西側公式情報は、全てウイグル人テロ組織/その支援団体が情報源の可能性があるからだ。
下記の記事は、西側でのウイグル関連プロパガンダの総合的分析。一部の論点を抜粋する。
中国攻撃の偽情報はどのように捏造されるのか ― 新疆ウイグル自治区での
「大量虐殺」「文化的虐殺」「強制収容所」「脱過激化教育」の真相
「中国を封じ込め包囲するための合意の捏造」
「帝国主義勢力が中国に対して行っている、とどまることなきプロパガンダ(デマ宣伝)戦争」
「プロパガンダ戦争も戦争プロパガンダになり得る」
「米国主導の新冷戦に対する幅広い国民の合意を生み出すという明確な目的を持っている」
「新疆ウイグル自治区の主流メディア報道ほど、プロパガンダモデルが目立つところはない」
「人気のある進歩的な報道機関であるデモクラシー・ナウは、新疆ウイグル自治区に関連する、
中国に対するあらゆるばかげた非難をオウム返しにしている」
「著名な学者で経済学者のジェフリー・サックスは、バイデン政権の大量虐殺の告発に関連して、
「証拠を提供しておらず、それが可能でない限り、国務省は告発を取り下げるべきである」と
書いている」
「中国の一人っ子政策は ... しかし、ウイグル人を含む少数民族は政策から免除されている。
実際、ウイグル人の人口は、一人っ子政策が施行されていた期間中に倍増した」
「新疆ウイグル自治区での大量虐殺の主張と矛盾する傾向があるもう一つの資料分析の急所は、
この地域の平均寿命が1949年の30歳から今日の75歳に増加したことである」
「パキスタンやカザフスタンとの国境沿いに難民収容所はひとつもない。抑圧、戦争、貧困、
気候変動が組み合わさって、アフリカ、アジア、中東で現在多数の難民危機を引き起こして
いるが、中国西部で本格的な大量虐殺が起きてもそのような問題につながらないというのは
非常に信じがたいことだ」
「1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、中国では、ウイグル分離主義部隊による一連のテロ
攻撃がショッピングセンター、駅、バス停、天安門広場であり、数百人の民間人が死亡した」
「テロリズムに取り組むための中国の方法は、国連の暴力的過激主義防止のための行動計画で
提唱されている措置に基づいており、「不可欠な安全保障に基づくテロ対策だけでなく、個人を
過激化し、暴力的な過激派集団に加わらせる根本的な状況に対処するための体系的な予防措置を
含む包括的な手法を求めている」」
「著名な告発者は、例外なく、中国に対して斧を挽く(密かな企みがある)ことで知られている
勢力ばかり」
「ウイグル人に対する差別は、たとえば、米国のアフリカ系アメリカ人や先住民の扱い、または
インドのダリット(不可触民)、アディバシス(インド先住民)、その他多数の少数派の扱いと
比較すると大きいとは言えない」
「新疆ウイグル自治区の地政学的重要性は、中国を弱体化させる全体的な戦略において特別な
役割を果たしていることを意味する」
#ちなみに、同様な構図はシリアにも存在している。例えば、シリアの毒ガス使用に関する
#情報は、情報源がテロ組織で、毒ガスを使用したのは、そのテロ組織自身との情報もあると
#いった具合になっている。

もう一つの例として「プーチン強権的な政治家だ」という命題を取り上げる。なお、命題の
変形として、「プーチンは独裁者だ」というバージョンもあるが、こちらは「現在のロシアが
議会制民主主義国大統領権限米国と大差ない」という事実と矛盾するので、問題外とする。
一つ付け加えるなら、今回の武力行使を集団的自衛権に基づいて行うため、プーチンは議会の
承認が必要な様々な手続きを完了させ、ドンバスの両共和国の首脳とも連携して国際法および
国内法に則って武力行使に踏み切ったのに対し、バイデンは「戦争行為」にあたるロシアへの
前代未聞かつ国際法に明らかに反する制裁を議会承認なしで実行し、米国憲法に違反している
ということに注意すべきだろう。
さて、「プーチンは強権的な政治家だ」という命題を信じているらしい人が、裏付けと考えて
いそうな情報の中で、西側マスコミの(おそらくは西側諜報機関発の)怪しげな「政敵暗殺話」
などの「一方の側からだけの情報に基づくもの」は全て排除すると、一体何が残るだろうか?
多分、チェチェン紛争への対応についての情報だけだろう。ただし、ロシア側からの情報は、
全て無視しているとしか思えない。チェチェン人テロリストは存在し、根拠地はチェチェンに
あったがテロ行為はモスクワでも行われた。そして、チェチェンはロシア国内の一地方である。
さらに言えば、チェチェンでのテロに海外からの武装勢力が関与していた疑いすらあった。

国内のテロリストを制圧する事は、主権国家が、その国民を保護する責任上必要なことなので、
非難されるべき点はない。ちなみに、ドンバスの両共和国軍は、キエフでテロ行為をしてない
のはもちろん、ドンバスでも一般市民を攻撃するような事はしていない。ドンバスで一般市民の
殺害や民間施設を破壊したのがウクライナ傀儡政権側の軍であることには、多くの証拠もある。
にも関わらず、ウクライナ傀儡政権はドンバスの両共和国をテロリスト扱いし、交渉を拒否して
きた。ミンスク合意をウクライナ傀儡政権が守る素振りすら見せなかった事の背景の一つは、
この根拠のない「テロリスト扱い」であろう。実際の「テロの実行者」は傀儡政権側なのだが。
そもそも、「犯罪」があったのだから、「動機」を考えて欲しい。ドンバスの住民を差別+迫害
して、社会保障や給与の支払いを停止し、ロシアへの電気料金ガス料金支払いを拒否する
ウクライナ傀儡政権軍と、傀儡政権に反発して組織されたドンバス両共和国軍のうち、ドンバス
住民を傷付け、民間施設を破壊する動機があるのは一体どちらなのか、迷うほどの事があろうか?

ところで、アメリカは、テロリスト制圧などを言い訳に、他の主権国家、アフガニスタン、
セルビア、イラク、リビア、シリアなどを国際法を無視して攻撃し、民間人や民間施設に甚大な
被害を与えた。そうした決定を行ったクリントン、ブッシュ、オバマに比べてプーチンが強権的
だと主張する根拠はなんだろう?チェチェンでのテロ対策は確かに必要だったし、効果も出た。
そして、国内法や国際法に反したという根拠が提示されたことはない。「強権的」という言葉を
きちんと定義し、プーチンの行動が定義に当てはまる事を論理的に示し、かつ、それが非難に値
することをも示すことが可能だというなら、ぜひやって見せて欲しい。まあ、それが出来た所で、
その論理は、ウクライナ傀儡政権の現大統領ゼレンスキーが強権的であることを示す際に、活用
させて頂くだけの話ではあるが。そもそも、アメリカの大統領たちと比較して、なお非難すべき
点があると示すのは、*結果を比較すれば不可能なことが明らか*な事は、予め注意しておこう。
概して、西側諸国でのロシア批判の言説には「二重基準」が多過ぎる。同様な状況が西側諸国で
発生した時、アメリカを筆頭に西側諸国がどう振る舞うかを考えて同じことが言えるのか、よく
考えて欲しいものだ。
https://jp.rbth.com/articles/2012/10/23/39577
モスクワ劇場占拠事件
https://jp.rbth.com/society/2014/12/04/51337
チェチェン:武装集団が建物占拠 銃撃戦で死者
https://jp.rbth.com/politics/2014/10/07/50507
チェチェンでのテロ行為にイスラム国が関与?
https://jp.rbth.com/travel/80417-chechen-he-iku-mae-ni
チェチェンへ行く前に(行かずとも)知っておくべき7つのこと
https://jp.rbth.com/arts/80962-chechen-funsou-wo-atsukatta-roshia-eiga
チェチェン紛争を扱ったロシア映画6選

4. 政策評価に際しては結果を重視し、「二重基準」を排除すること^

現在のウクライナ情勢との比較で、バングラデシュ独立戦争を持ち出している方は、寡聞にして
存じ上げないので、冒頭で取り上げた。コソボ紛争やイラク戦争との比較ならオルタナメディア
では多く見かける。それらについても考察して見たいのはやまやまだが、本記事が予定の長さを
大幅に超過しつつあるので、他の機会に譲る。ここでは、より多くの時間が経過し、より事実が
確定しているカンボジア紛争について、どの国の振る舞い(=政策)が適切だったかを考察する。
今となっては、結果の悲惨さに反して、原因や経緯の枠組みは案外単純な話だった事が明らかで
評価が簡単だからだ。結果が悲惨だった最大の原因は「ポル=ポトクメールルージュが政権を
取ってしまった」事。そして、ポル=ポト台頭のきっかけは、ロン=ノル政権の腐敗にある。
ロン=ノル政権は、アメリカが仕掛けたクーデターでシアヌーク政権を倒して成立したので、
アメリカは有罪。ポル=ポト政権を支援し続けた中国も有罪。カンボジアがポル=ポトから
解放される過程での最大の貢献者はベトナムの支援を受けたヘン=サムリンだが、その当時、
西側での論調は「ベトナムの侵略」という一方的な決めつけだった。実際は、ポル=ポト軍は
ベトナム領内に何度も侵入し、戦時国際法に反して民間人を攻撃していたので、ベトナム軍が
ヘン=サムリンを援助してカンボジア領内に侵入し、ポル=ポト政権を倒したのは、「自衛権
(個別的自衛権)」を行使したに過ぎない。ヘン=サムリンを支援するという形をとったのは、
戦後処理を見据えたもので、ヘン=サムリンがベトナムを頼るまでの経緯を考えると、政策と
しては、妥当なものと評価できる。ヘン=サムリンは、ポル=ポトの政策への義憤にかられて
反旗を翻したため、ポル=ポト政権軍に追われることになったのだから。

にも関わらず、西側や中国からはヘン=サムリン政権を傀儡政権呼ばわりする声しか聞こえて
こなかったが、本当にヘン=サムリン政権は傀儡政権と言えるだろうか?まず、「傀儡政権」
という言葉の定義を確認することから始めよう。

傀儡政権とは - コトバンク
「名目上は独立国でありながら,自国民の利益と意思を代表して統治を行うのではなく,実質的
には他国の意思に従って統治を行う政府をさして用いられる名称。」
傀儡政権 - Wikipedia
「名目上は独立しているが、実態では事実上の支配者である外部の政権・国家によって管理・
統制・指揮されている政権を指す。内政も外交も自己決定権が完全ではなく、支配者の利益の
ために操作・命令され統治される。」
なお、上記エントリドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を傀儡政権呼ばわりする
一方、ウクライナの現政権の問題をスルーして、Wikipedia の理念である「記述の中立性」に
反している。事実を確認すれば、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が、その国民の
利益のために統治している証拠(例えば、独自の年金制度設定やウクライナ傀儡政権の攻撃に
対応したロシア領への避難活動)、ウクライナの現政権がアメリカを始めとするNATO諸国の
利益のために統治している証拠(下記の本ブログ記事などを参照)は挙げられるが、その逆を
示唆する証拠は、見当たらないのだが。
ウクライナ紛争関連の事実確認
ウクライナ紛争関連記事の論点を「投書形式」で整理して見る
違法かつ大愚策なロシア「制裁」とウクライナ「援助」
# ↓ウクライナ政治の現状への認識が筆者と共通な人の例。
スコット・リッター:ウクライナはチェスの駒
「プーチン大統領は、あらゆる場面で自国の主権を擁護している。一方ゼレンスキーは、
ウクライナが西側の従順な道具となり、国家、兵士、国民を犠牲にして、死と破壊しか
得られない戦場になることを望んでいる」

Wikipedia 記事の「非中立性」を指摘した箇所で既に論点を提示したが、「自国民の利益の
ために政策を実行しているか」が、傀儡政権か否かを判別する最大のポイントであろう。
さて、ポル=ポト政権は、残虐性に加え反知性主義でも悪名高く、知識人を迫害し、教育制度を
破壊してしまった事は良く知られている。ヘン=サムリン政権が教育制度を再建しようとして
いた事を示す資料の存在から判断して、ヘン=サムリン政権は、自国民の利益のために行動して
いた事を疑う理由はない。ヘン=サムリン政権がベトナムの傀儡政権だというなら、ベトナムが
荒廃しきった当時のカンボジアから、どんな利益を得ようとしていたのかを説明すべきだろう。
ベトナムとしては、ガンボジアが自国を攻撃してこなければ、それで十分だったという以外に、
ベトナムの行動の説明が付けられるだろうか。ヘン=サムリン政権がベトナムを攻撃するはずの
ない政権だったのは確かだが、それは国際法を遵守する上で当然のことに過ぎない。
http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/23-3_06_Hagai.pdf
ヘン・サムリン政権下カンボジアにおける教育改革と教科書にみる国家像

ちなみに、ヘン=サムリンは国連の調停による選挙を経て成立した新生カンボジアにおいて、
国会(下院)議長を務めるなど、要職についている。傀儡政権の首班だった人物が、こうした
地位につくことがあり得るだろうか?

ヘン=サムリンの名誉について論じた後は、国家レベルの政策評価に戻る。ベトナムの正当性と
アメリカと当時の中国の不当性は既に述べたので、一貫してベトナムを支援した、当時のソ連の
正当性に触れないわけにはいかない。「たまたまソ連がベトナムを支持していただけ」とかいう
寝言は無視する。最初に結果を重視すると断った。繰り返すが、当時の大国の中で、カンボジア
国民への人道的配慮の観点から正しく振る舞ったのは、ソ連だけだった。

第二次大戦終了後、特に「スターリンの特異な個性」の影響が薄れた後のソ連は、西側での通念
とはうらはらに「案外おとなしい」。国際法に反した行動は東欧諸国の内政に対し「制限主権論
(ブレジネフ・ドクトリン)」を名目にして武力干渉した件だけで、アメリカの「人権/自由」
を名目にした数限りない武力行使(というか侵略)に比べると、結果的に武力で干渉した国の
国民生活に与えた影響は、「極めて少ない」とさえ言える。ソ連の干渉の目的は「現状維持」で
アメリカの干渉の目的は「体制の変更」が通例だったから、ある意味、当然の結果ではある。

さて、最後に第二次大戦後ではソ連最大の武力行使となったアフガニスタン紛争(ソ連版)に
触れておく。まず、西側諸国では言及されないことだが、ソ連はアフガニスタン政府の要請に
よって軍を派遣したので国際法上は合法である。戦乱が長引いたのは、アメリカが膨大な数の
傭兵をリクルートして武器とともにアフガニスタンに送り込み続けたことが主要な原因である
(このアメリカの行動↑は国際司法裁判所判例によれば違法な「武力行使」。間接侵略でもある)
事にも注意すべきだろう。とは言え、結果から見てアフガニスタン派兵は間違った決定だった。
ソ連は「勢力圏を少しも失いたくない」という考えに拘り過ぎ、過去の経緯から維持するのが
困難と予想できた地域への派兵に踏み切り、泥沼にはまり込んだ。「損切り」して、防衛線を
下げるしかなかったが、「守り」が基本姿勢になった当時のソ連指導部には決断できなかった。
なぜソ連は1920年代のアフガニスタン革命を支持しなかったか
ソ連のアフガニスタンでの戦争はどのようなものだったか
# ↓紛争と国際政治を専門とするロシアの歴史家、ロマン・シューモフによるまとめ
http://manhaslanded.blogspot.com/2024/02/blog-post_31.html
ソ連はいかにして史上最悪の過ちを犯したか
「アフガニスタンでの作戦の困難さは過小評価されていた」
「ソ連人は現地の文化を理解していなかった。例えば、ミハイル・アニシモフはバグラン州の
行政顧問に任命された。アニシモフは軍人だったが、民間の問題を扱わなければならなかった」
「例えば、ソ連人としてアニシモフは無神論者として育てられたが、アフガニスタンで最も
権威があるのはムラー(イスラム教の聖職者)である。彼が土地改革を行おうとしたとき、
農民たちは封建制度に慣れていたため、与えられた土地を耕そうとしなかった」
「ソ連軍は特定の村からイスラムゲリラを追い出したが、支配を維持するソ連軍の兵力は
十分ではなく、アフガニスタンの正式な軍隊の戦闘能力も限られていた。武装勢力はすぐに
戻ってきた」
「兵法的には極めて効果的 … であったが、戦争の流れを変えるものではなかった」
「80年代後半は、介入をいかに終わらせるかが議論された」
「ソ連の軍人と文民の指導者たちは地形や現地の文化に順応し、アフガニスタンの若者たちは
ソ連に留学し、現地の軍隊は再編・強化されていた」
「例えば、ムラーが党組織の共産主義書記に同時に任命された。正統派のマルクス主義者が
このことを知ったら心臓発作を起こすが、戦略はうまくいった」
「正しい方法を見つけるのが遅すぎた」
「政治的対立を解決するのは非常に難しかった。ゴルバチョフにできることは、軍隊の撤退を
申し出ることだけだった」
「ソ連軍は1988年にアフガニスタンから撤退を開始し、1989年には完全に撤退した」
「戦争は終結し、ソ連軍はアフガニスタンから撤退した。アフガニスタンに平和が戻ったわけ
ではなかった。内戦は続いた」
「内戦はソ連の介入以前から始まっており、介入で終わったわけではない。内戦はモスクワの
侵攻よりも長く、血なまぐさいものになった」
「宗教的・政治的運動であるタリバンが前面に出てきた。そのメンバーは一般にテロリストと
みなされているが、多くのアフガニスタン人は彼らを刷新勢力と見ていた」
「タジク系民族の野戦司令官アフマド・シャー・マスード」
「逆説的だが、ロシアの新国家は中央アジアで宗教的急進派が権力を握ることを望まなかった
ため、マスード(彼はアフガン戦争中、ソ連軍にとって不倶戴天の敵だった)を支持した」
「2001年から2021年にかけてのアフガン戦争はまた別の話だ。20年間続き、米軍と同盟軍の
撤退で終わった」
「現在、アフガニスタンは再びタリバンの支配下にある。戦闘は続いている。タリバンが
ISISのテロリストと対峙している。ソ連社会を深く揺るがした戦争は、アフガニスタンに
とっては暴力と血に満ちた歴史のほんの一部に過ぎない。」
ウクライナ周辺地域、具体的にはクリミアとドンバス地方は、ロシアにとって「損切り」対象
には出来ない重みがある事が、今次ウクライナ紛争とアフガニスタン紛争の大きな違いだろう。
つまり、クリミアとドンバスは*ロシア人が住んでいる土地*で、首都モスクワに近すぎる上、
黒海航行の安全保障上も重要な場所だから、「レッドライン」だと、NATO に警告し続けていた
わけだが、NATOの東方拡大とロシア国境周辺への武器集積は止まらなかった)。
もう一つ、これも西側での通念に反しているが、ソ連軍は戦術的敗北を喫していたわけではない
ようだ。10年で15000人の戦死という少なからぬ損害が出たが、傭兵側の損害は、はるかに甚大
だった。さらに、戦乱中にソ連軍の軍政下におかれた地域は、他の地域より民衆の生活条件は
「かなりマシ」だったようだ。考えて見れば、治安が確保され、民間に物資が供給される経路も
確保されるわけだから、これも、ある意味では当然の結果と言える。
アフガニスタンからソ連軍が撤退して30年:3つの神話を解剖する

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