阜成門近くの魯迅博物館/旧居に行ってみました。

紹興生まれの魯迅が北京で暮らしたのは1912年から26年までの14年間です。
狂人日記や阿Q正伝や孔乙己などの代表作を書いたのは北京です。
ここは北京での最後に住まいとなった場所だそうです。


旧居の西側に博物館があり、魯迅の生涯が生い立ち順に展示されていました。

魯迅がここで暮らしたのは1924年から26年までの比較的短い時間でした。
住んでいたのはごく普通の小さな四合院でした。

魯迅はこの小さな部屋で、「野草」などの作品を書き上げたのだとか。



これは上海で暮らした晩年に書いた手紙だそうです。
虹口の日本租界にあったの横浜橋という地名が記されています。
施設の一角には藤野厳九郎の銅像が立っていました。


僕は中国で初めて日本人の銅像を見たように思います。少なくともこの北京で日本人の銅像は唯一ではないでしょうか。
魯迅といえば、僕は紹興の咸亨酒店に何度も行きましたし、上海虹口の魯迅記念館にも何度か行きましたし、神田神保町の内山書店にもよく行きました。何かとご縁を感じます。
この訪問を機に、若いころに読んだ狂人日記や阿Q正伝などの代表作を改めて読み直してみました。
魯迅の作品は読みやすくてそもそも普通の小説として面白いのですが、あの時代のこの国でよくこんな波紋を呼びそうな作品を書いて堂々と社会に問題提起をしたものだと思いました。
魯迅が訴えかたったメッセージは、現代になってもこの国に変わらずに鋭い問いかけを続けているように思います。

よい訪問になりました。

紹興生まれの魯迅が北京で暮らしたのは1912年から26年までの14年間です。
狂人日記や阿Q正伝や孔乙己などの代表作を書いたのは北京です。
ここは北京での最後に住まいとなった場所だそうです。


旧居の西側に博物館があり、魯迅の生涯が生い立ち順に展示されていました。

魯迅がここで暮らしたのは1924年から26年までの比較的短い時間でした。
住んでいたのはごく普通の小さな四合院でした。

魯迅はこの小さな部屋で、「野草」などの作品を書き上げたのだとか。



これは上海で暮らした晩年に書いた手紙だそうです。
虹口の日本租界にあったの横浜橋という地名が記されています。
施設の一角には藤野厳九郎の銅像が立っていました。


僕は中国で初めて日本人の銅像を見たように思います。少なくともこの北京で日本人の銅像は唯一ではないでしょうか。
魯迅といえば、僕は紹興の咸亨酒店に何度も行きましたし、上海虹口の魯迅記念館にも何度か行きましたし、神田神保町の内山書店にもよく行きました。何かとご縁を感じます。
この訪問を機に、若いころに読んだ狂人日記や阿Q正伝などの代表作を改めて読み直してみました。
魯迅の作品は読みやすくてそもそも普通の小説として面白いのですが、あの時代のこの国でよくこんな波紋を呼びそうな作品を書いて堂々と社会に問題提起をしたものだと思いました。
魯迅が訴えかたったメッセージは、現代になってもこの国に変わらずに鋭い問いかけを続けているように思います。

よい訪問になりました。
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