旧満電乗合自動車待合所は、青泥窪橋の中山路と旧ダルニー川が交差する場所に残る老建築です。
旧連鎖街の南東角に当たります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/97/f7b782ac54391b5c5675327b798957ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/1b/5452a64a76141dd59cb0ffd9ad547d5d.jpg)
古写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/d2/a2ceb52c201256ee47f2397d3f634f9d.jpg)
連鎖街と一体のプロジェクトとして建設されたと思われますので、竣工は1931年頃とみられます。
古写真では、手前(南側)が4階建て、奥側(北側)部分は3階建てですが、今はすべて4階建てです。
後に増築して、高さを揃えたようです。連鎖街は、建物の多くがそのような造りになっています。
「乗合自動車」とは、つまりバスのことです。
バスの乗客のための待合スペースだったのでしょう。
この地でバス事業を経営していた満電(南満洲電気株式会社)とは、1926年に満鉄の全額出資で設立した電力会社でした。
本業の電力事業の傍ら、公共交通事業も行いました。今も大連市内に残る路面電車もこの会社が担いました。
満電は1931年に解散し、電気事業は満洲電業株式会社に、交通事業は大連都市交通株式会社がそれぞれ引き継ぎました。
大連駅が今の場所に移転した1937年以降は、この付近が市内の交通の中心地になったはずですから、バス待合所は連日乗客でにぎわったと思われます。
旧満電乗合自動車待合所の前は今もバス停として利用されており、目まぐるしくバスが往来しています。
建物は、今はスマホや土産物を扱う小さな店が入っています。
待合所としては利用されていませんが、昔も今も、バスの利用客を見守ってきた建物です。
旧連鎖街の南東角に当たります。
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古写真です。
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連鎖街と一体のプロジェクトとして建設されたと思われますので、竣工は1931年頃とみられます。
古写真では、手前(南側)が4階建て、奥側(北側)部分は3階建てですが、今はすべて4階建てです。
後に増築して、高さを揃えたようです。連鎖街は、建物の多くがそのような造りになっています。
「乗合自動車」とは、つまりバスのことです。
バスの乗客のための待合スペースだったのでしょう。
この地でバス事業を経営していた満電(南満洲電気株式会社)とは、1926年に満鉄の全額出資で設立した電力会社でした。
本業の電力事業の傍ら、公共交通事業も行いました。今も大連市内に残る路面電車もこの会社が担いました。
満電は1931年に解散し、電気事業は満洲電業株式会社に、交通事業は大連都市交通株式会社がそれぞれ引き継ぎました。
大連駅が今の場所に移転した1937年以降は、この付近が市内の交通の中心地になったはずですから、バス待合所は連日乗客でにぎわったと思われます。
旧満電乗合自動車待合所の前は今もバス停として利用されており、目まぐるしくバスが往来しています。
建物は、今はスマホや土産物を扱う小さな店が入っています。
待合所としては利用されていませんが、昔も今も、バスの利用客を見守ってきた建物です。