2021年になりました。
昨年末は大連と旅順に遊びに行く計画を立てていたのですが、北京と大連の両方で新型コロナの市内感染者が出たことで様々な規制、管理が強化されたため、断念しました。
大連と旅順の友人たちと旧交を温め、久しぶりに街歩きをすることを楽しみにしていたのですが、やむを得ません。
正月休みの間、大連駐在中に撮影した写真を整理していたら、おもしろい写真が出てきましたのでご紹介します。

旅順新市街の満電バス松村町営業所だった建物です。
撮影したのは2015年5月です。

列寧街と解放街が交わるラウンドアバウトの北側の一角です。
ほぼ当時のままの姿を留めています。
満電バスが旅順市内のバス事業を始めたのは1928年とされていますので、この建物もその頃の建築と思われます。
ファサードの幾何学的な模様は建築当時からあったものです。

当時の写真が残っています。

古写真を見ると、当時は矢印部分の先に大きく「MANDEN BUS」という文字が掲げられていたようです。
この辺りは旅順旧市街の中心地ですので、バス停としては最適の場所です。
多くの客を乗せて賑わった様子が偲ばれます。
昨年末は大連と旅順に遊びに行く計画を立てていたのですが、北京と大連の両方で新型コロナの市内感染者が出たことで様々な規制、管理が強化されたため、断念しました。
大連と旅順の友人たちと旧交を温め、久しぶりに街歩きをすることを楽しみにしていたのですが、やむを得ません。
正月休みの間、大連駐在中に撮影した写真を整理していたら、おもしろい写真が出てきましたのでご紹介します。

旅順新市街の満電バス松村町営業所だった建物です。
撮影したのは2015年5月です。

列寧街と解放街が交わるラウンドアバウトの北側の一角です。
ほぼ当時のままの姿を留めています。
満電バスが旅順市内のバス事業を始めたのは1928年とされていますので、この建物もその頃の建築と思われます。
ファサードの幾何学的な模様は建築当時からあったものです。

当時の写真が残っています。

古写真を見ると、当時は矢印部分の先に大きく「MANDEN BUS」という文字が掲げられていたようです。
この辺りは旅順旧市街の中心地ですので、バス停としては最適の場所です。
多くの客を乗せて賑わった様子が偲ばれます。