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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

ティナ・ターナーを悼む

2023-05-28 | その他
今週、シンガーのティナ・ターナーが逝去したというニュースがありました。

83歳だったそうです。

僕の音楽の嗜好を広げてくれた人物です。この人のすごさを知ったのは、ブライアン・アダムスとデュエットしたイッツ・オンリー・ラブ(1985年)でした。

ティナ・ターナーの存在はその前から知っていました。ソロで次々にヒット曲を飛ばしていたので、ラジオでよく耳にしていました。
そういう女性歌手がいるよね、という程度の認識でした。

当時僕はブライアン・アダムスのストレートなアメリカンロックにはまり(ブライアンはカナダ人ですが)、この曲が収録されているレックレスというアルバムをテープが擦り切れるほど繰り返し聴きました。イッツ・オンリー・ラブはその中の1曲でした。

レックレスは歴史的な名盤で、収録した9曲のうち6曲がシングルになりました。その最後となる6曲目のシングルがこの曲でした。

シングルカットされるとMVが製作され、小林克也のベストヒットUSAで放送されるわけですが、僕はそのとき初めてティナ・ターナーの姿を映像で見ることになります。
ライブの映像でした。

MVに登場したティナ・ターナーはミニスカ、網タイツ、ハイヒールのド派手衣装で猛獣みたいな髪型の黒人のおばちゃんでした。僕が歌声から想像していたのはピチピチの美女だったので、そのビジュアルのギャップに驚きました。

このときブライアンは25歳、ティナは45歳です。

親子ほども年の差のある2人がステージ上で挑発しあうように顔を寄せて圧倒的迫力のパフォーマンスを披露します。観客は熱狂しています。
こういう世界があるのだ、と思いました。
ぞくぞくしました。

日本にはこんな女性歌手はまずいません。当時、40代半ばの女性歌手といえば演歌歌手だけです。

アメリカではこんな自分の母親よりも年上のおばちゃんがゴリゴリのロックを熱唱し、そして国民的な支持を得ていることを知り、と目から鱗でした。
正真正銘のカルチャーショックです。

そこから彼女のアルバムを聴くようになり、ソウルミュージックが身近な存在になりました。音楽の好みの幅が広がったことを実感しました。



最近、ブルーノ・マーズがシルク・ソニックを結成してコテコテのスウィートソウルを発表してファンを楽しませてくれています。
僕もとても気に入っていてヘビーローテーションですが、あの10代の頃に自分がティナの歌声に出会い、ソウルに親しんでいなかったらどうだったでしょうか。
受け止め方が違ったかもしれません。

惜しむらくは、生のパフォーマンスを観る機会に恵まれなかったことです。
しかし、彼女の作品は生き続けます。

素晴らしい音楽との出会いに感謝して、冥福を祈ります。



ところで、中国でティナ・ターナーの認知度や人気はどの程度あるのでしょうか。

音楽アプリのQQ音楽でのティナ・ターナーの粉絲(Fans)は1.4万人でした。

多いのか少ないのかわかりません。
比較対象となりそうなシンガーをみると、マライア・キャリーが85.6万人、ホイットニー・ヒューストンが32.3万人、アレサ・フランクリンが2.3万人、シャーデーが2.7万人、ダイアナ・ロスが1.2万人、ドナ・サマーが0.6万人、グラディス・ナイトが0.3万人、アニタ・ベイカーが0.1万人でした。

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