旅順にある旧関東州民生局旅順支署です。
1898年築と、当地では数少ない19世紀の歴史建築です。

(ロシア建築です)

(斜面に建てられています)
当地では、日本租借時代の関東州としての役割よりも、帝政ロシア時代のプーシチン小学校跡として知られているようです。
設立当初はロシアの小学校、その後日本の役所になった、というわけです。
関東州民生局時代は、この建物の中に満州戦績保存会も入っていたそうです。
満州戦跡保存会は1914年に設立された機関です。
1916年、50万円の予算(このうち、日本政府が約3分の1を負担)を投じて旅順や旧満州などの戦地跡に日露戦績の記念碑を建立しました。
これら記念碑は、東鶏冠山北堡塁や望台砲台、二龍山堡塁などに今も残っています。
今は海軍の施設「試験試航接待所」として利用されています。
軍の管理区ですから、見学のために敷地内に入ってもいいものかどうか、少し躊躇いましたが、恐る恐る入ってみました。
日本で「自衛隊管理区」という文字を見かけたとしても取り立てて何も感じませんが、ひとたび中国で「軍管理区」という看板を見ると、緊張感が高まります。
やはり、自衛隊と「軍」では受け止めるイメージが変わってくるものですね。

(大連市の重点保護建築です)
1898年築と、当地では数少ない19世紀の歴史建築です。

(ロシア建築です)

(斜面に建てられています)
当地では、日本租借時代の関東州としての役割よりも、帝政ロシア時代のプーシチン小学校跡として知られているようです。
設立当初はロシアの小学校、その後日本の役所になった、というわけです。
関東州民生局時代は、この建物の中に満州戦績保存会も入っていたそうです。
満州戦跡保存会は1914年に設立された機関です。
1916年、50万円の予算(このうち、日本政府が約3分の1を負担)を投じて旅順や旧満州などの戦地跡に日露戦績の記念碑を建立しました。
これら記念碑は、東鶏冠山北堡塁や望台砲台、二龍山堡塁などに今も残っています。
今は海軍の施設「試験試航接待所」として利用されています。
軍の管理区ですから、見学のために敷地内に入ってもいいものかどうか、少し躊躇いましたが、恐る恐る入ってみました。
日本で「自衛隊管理区」という文字を見かけたとしても取り立てて何も感じませんが、ひとたび中国で「軍管理区」という看板を見ると、緊張感が高まります。
やはり、自衛隊と「軍」では受け止めるイメージが変わってくるものですね。

(大連市の重点保護建築です)
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