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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

満鉄倶楽部野球場 - 阪神球団初のノーヒットノーランが生まれた場所

2014-01-17 | 大連を歩く
日本租借時代の大連では野球が人気スポーツだったそうです。

当時、大連には満鉄倶楽部という野球の実業団チームが存在しました。

この満鉄倶楽部、日本の都市対抗野球に満州地区代表として出場し、優勝経験もあるほどの強豪だったそうです。
1927年(第1回大会)と1929年(第3回大会)のことです。

租借地だった海外から本土に乗り込んでの優勝ですから、ただ事ではありませんね。
大連にはかなりの好メンバーが揃っていたようです。

大連の市街地に、その満鉄倶楽部のホームグラウンドだったスタジアム跡があります。

満鉄倶楽部野球場です。略して「満倶球場」と呼ばれていたそうです。






(当時の写真です)


今の様子です。
最近まで、サッカーや陸上用の競技場として利用されていたようです。

解放路沿い、労働公園(当時の中央公園)の隣です。
今は何も利用されておらず、廃墟のようになっています。

ちなみに、このスタジアムでは、日本プロ野球の公式戦も開催されたことがあるそうです。
1940年夏、日本プロ野球は1ヶ月の満州遠征を行います。
大連のほか、新京(長春)、奉天(瀋陽)、鞍山で開催されました。

今では考えられませんが、当時は海外試合があったのですね。

この満倶球場では、1940年8月3日、巨人対阪神の公式戦が行われました。
記録によると、先発した巨人・スタルヒン、阪神・三輪の投げ合いとなり、ノーヒットノーランの1対0で阪神が勝利したそうです。
この試合、巨人では「打撃の神様」川上哲治も出場していたそうです。

古い話とはいえ、ちょっと信じられません。

後楽園球場でも甲子園球場でもなく、租借地大連で巨人対阪神の公式戦です。

そこで伝説の選手であるスタルヒンや川上哲治がプレーし、阪神が球団史上初となるノーヒットノーランに抑え込んだ・・・。

まさに歴史的な一戦です。

時間のある方はぜひウィキペディアで調べてみてください。
「ノーヒットノーラン達成者一覧」で出てきます。
阪神のピッチャーは三輪八郎という入団2年目の左腕だったそうです。

球場跡に入ってみました。

古写真と古地図を頼りに、スタジアムの位置関係を確認してみました。


(セカンド付近からホーム方面)


(ホームからセンター方面)

今でもなんとか野球場の雰囲気が残っています。

ここで、阪神タイガース史上初めてのノーヒットノーラン試合が繰り広げられました。
俄かに信じられません。


(ホームから一塁側)


(マウンドがあったと推測される場所に立ってみました。スタルヒンが立った場所です)

日本プロ野球を招いた当時の大連在住の日本人の熱狂ぶりは想像に難くありません。
しかし、その歴史的一戦が今や廃墟となったこの場所で繰り広げられたというのはリアリティがなく、かなり想像力を働かせる必要があります。

試合の様子を撮影した写真は残っていません。残っているのは文字情報のみです。

しかし、74年前、確実にこの場所で伝統の一戦が行われ、プロ野球史に残る大記録が打ち立てられたのです。

何とも不思議な気分にさせられます。
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