金州の南山戦跡に行ってみました。
大連金州の南山といえば、日露戦争の激戦のひとつ「南山の戦い」が行われた場所です。
1904年5月のことです。
南山は、旅順要塞の北方の外線に当たります。
日本の陸軍と海軍は、旅順要塞を攻略する前に、遼東半島で最もくびれているこの大連湾付近を占領してしまえば、半島の先端にある旅順は捨てておいても孤立して無力化してしまうと考えました。
日本軍は、その10年前に行われた日清戦争でもこの地で清軍と戦って半日で占領に成功しています。
今度も1日あれば簡単に攻略できると思っていた日本陸軍第二軍は、敵情に対する無知から砲火のシャワーを浴び、思わぬ屍山血河の惨状を招くことになります。
ロシア軍は近代的で強固な陣地を固め、未知の兵器・機関銃で構えていたのです。
結局、日本軍は約4,300人もの死傷者を出した後、ようやくロシア軍が旅順に退却して攻略に成功します。薄氷の勝利でした。
南山の頂上には、かつて日露戦争の勝利を記念した石碑が建っていたそうです。

(当時の写真です。大正5年、満州戦跡保存会による建設です)

(別の古写真です)
しかし、この石碑は文化大革命で破壊され、今は土台だけが残っています。

(これが土台です。古い写真と一致します)

(近づいてみます)

(土台の跡に登ってみました。向こうに見えているのは大黒山です)
「南山の戦い」では、乃木希典の長男である勝典が戦死しました。
1904年5月27日のことです。勝典は24歳でした。
当時第三軍司令官だった乃木希典は6月7日、この地を訪れ、次の有名な漢詩を残しています。
金州城下作
山川草木轉荒涼
十里風腥新戰場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽
この漢詩、日本語にすると次のように読めると思います。
金州城下の作
山川草木 うたた荒涼
十里なまぐさし 新戦場
征馬すすまず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ
解きほぐすと、こういう感じでしょうか。
ここは山も川も草も木も、どこまでも荒れ果て、見る影もない。
両国が戦いを繰り広げたこの新しい戦場では、十里に渡って血生臭い風が漂っている。
軍馬は進まず、人々は言葉を失い、ただ黙っている。
私は、夕陽が傾く金州城外にただ立ちつくす。

この希典の漢詩は、かつて石碑に刻まれ、南山の山頂付近に立っていました。

今は撤去され、旅順の日露監獄旧跡博物館に保管されています。
僕が南山を訪れた時間も、ちょうど漢詩と同じく夕陽が傾く時間帯でした。
同じ陸軍の軍人として海の向こうに赴き、24歳の息子を失くした司令官の気持ちはいかばかりだったでしょうか。

(ここで激しい戦闘が行われたことを想像します)

(こちらは渤海方面。海軍が援護射撃を行ったのはこちらの方向からです)
周囲は住宅街になっていますが、乃木希典と同じ気持ちになって、冷たくなってきた秋風を受けながら当時の様子を想像してみました。
大連金州の南山といえば、日露戦争の激戦のひとつ「南山の戦い」が行われた場所です。
1904年5月のことです。
南山は、旅順要塞の北方の外線に当たります。
日本の陸軍と海軍は、旅順要塞を攻略する前に、遼東半島で最もくびれているこの大連湾付近を占領してしまえば、半島の先端にある旅順は捨てておいても孤立して無力化してしまうと考えました。
日本軍は、その10年前に行われた日清戦争でもこの地で清軍と戦って半日で占領に成功しています。
今度も1日あれば簡単に攻略できると思っていた日本陸軍第二軍は、敵情に対する無知から砲火のシャワーを浴び、思わぬ屍山血河の惨状を招くことになります。
ロシア軍は近代的で強固な陣地を固め、未知の兵器・機関銃で構えていたのです。
結局、日本軍は約4,300人もの死傷者を出した後、ようやくロシア軍が旅順に退却して攻略に成功します。薄氷の勝利でした。
南山の頂上には、かつて日露戦争の勝利を記念した石碑が建っていたそうです。

(当時の写真です。大正5年、満州戦跡保存会による建設です)

(別の古写真です)
しかし、この石碑は文化大革命で破壊され、今は土台だけが残っています。

(これが土台です。古い写真と一致します)

(近づいてみます)

(土台の跡に登ってみました。向こうに見えているのは大黒山です)
「南山の戦い」では、乃木希典の長男である勝典が戦死しました。
1904年5月27日のことです。勝典は24歳でした。
当時第三軍司令官だった乃木希典は6月7日、この地を訪れ、次の有名な漢詩を残しています。
金州城下作
山川草木轉荒涼
十里風腥新戰場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽
この漢詩、日本語にすると次のように読めると思います。
金州城下の作
山川草木 うたた荒涼
十里なまぐさし 新戦場
征馬すすまず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ
解きほぐすと、こういう感じでしょうか。
ここは山も川も草も木も、どこまでも荒れ果て、見る影もない。
両国が戦いを繰り広げたこの新しい戦場では、十里に渡って血生臭い風が漂っている。
軍馬は進まず、人々は言葉を失い、ただ黙っている。
私は、夕陽が傾く金州城外にただ立ちつくす。

この希典の漢詩は、かつて石碑に刻まれ、南山の山頂付近に立っていました。

今は撤去され、旅順の日露監獄旧跡博物館に保管されています。
僕が南山を訪れた時間も、ちょうど漢詩と同じく夕陽が傾く時間帯でした。
同じ陸軍の軍人として海の向こうに赴き、24歳の息子を失くした司令官の気持ちはいかばかりだったでしょうか。

(ここで激しい戦闘が行われたことを想像します)

(こちらは渤海方面。海軍が援護射撃を行ったのはこちらの方向からです)
周囲は住宅街になっていますが、乃木希典と同じ気持ちになって、冷たくなってきた秋風を受けながら当時の様子を想像してみました。
南山戦跡に行かれたのですね。
私も是非行きたいです。
今、大連に短期で滞在しています。
南山戦跡と金州城への行き方を教えてもらえてもらえませんか?
よろしくお願いします。