漢口の旧ロシア租界の黎黄陂路に同じような3階建て洋館が二つ並んでいました。

武漢市商務局が使っているようですが、租界時代の建物だと思います。
なんだったのでしょうか。
守衛らしきおじさんに一声かけて、近づいて写真を撮らせてもらいました。

塗堃山、傅紹庭の旧居とあります。
調べたところ、塗堃山と傅紹庭はアジア石油会社(アジアチック・ペトロリアム、Asiatic Petroleum Company、シェルとロイヤル・ダッチの合弁企業)の買付人でした。
ここは1930年頃に魏清記造営工場が両者のために一棟ずつ建てた住宅なのだとか。
日本軍が武漢を占領した時代は、日本の行政部門がここを利用したようです。
どういう用途で使ったのでしょうか。
少し調べてみましたが、わかりませんでした。

二つの建物はほとんど作りです。3階建てのレンガ構造で、中央の2階部分にベランダが設えてあり、1階玄関部分の庇の役割を果たしています。
この建物が立つ黎黄陂路は石畳で感じのよい街路樹が並ぶ非常に美しい歩行者天国です。


武漢市商務局が使っているようですが、租界時代の建物だと思います。
なんだったのでしょうか。
守衛らしきおじさんに一声かけて、近づいて写真を撮らせてもらいました。

塗堃山、傅紹庭の旧居とあります。
調べたところ、塗堃山と傅紹庭はアジア石油会社(アジアチック・ペトロリアム、Asiatic Petroleum Company、シェルとロイヤル・ダッチの合弁企業)の買付人でした。
ここは1930年頃に魏清記造営工場が両者のために一棟ずつ建てた住宅なのだとか。
日本軍が武漢を占領した時代は、日本の行政部門がここを利用したようです。
どういう用途で使ったのでしょうか。
少し調べてみましたが、わかりませんでした。

二つの建物はほとんど作りです。3階建てのレンガ構造で、中央の2階部分にベランダが設えてあり、1階玄関部分の庇の役割を果たしています。
この建物が立つ黎黄陂路は石畳で感じのよい街路樹が並ぶ非常に美しい歩行者天国です。

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