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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

東京 目黒競馬場跡地を歩く

2019-03-25 | 東京を歩く
東京の目黒に競馬場があったというのは有名な話です。

第1回と第2回の日本ダービーが行われた場所です。
ダービーと同じ日に行われる伝統のGⅡ競争、目黒記念もこの地に由来します。

跡地には今もコースが道路として残っているといいます。

中央競馬ファンとして1度ぐらい歩いてみようと思い、出掛けてみました。

場所は下目黒、目黒不動尊の近くです。

到着しました。

当時スタンドがあったと思われる目黒通り沿いは、元競馬場前というバス停があります。



バス停の近くには、戦前の大種牡馬・トウルヌソル(1922-1946)の銅像が立っています。





トウルヌソルは英国生まれの輸入種牡馬なので、目黒競馬場では走っていませんが、日本の競馬史に残る優れた産駒を輩出しました。

かの平成の歴史的名馬・オグリキャップもトウルヌソルの子孫です。

記録によると、目黒競馬場が稼働したのは1907年から1933年の26年間だそうです。

コースは1周1600メートルの楕円形、芝、右回りだったそうです。

コース跡に出てきました。



古地図によると、この辺りはスタンド前、ゴール地点付近です。

ここから1コーナーに向かって歩いてみます。

1コーナーから2コーナーに向かうカーブです。





競馬のトラックにしては道幅が狭く、クルマがギリギリ1台通過できるぐらいです。
実際のコースはこの数倍はあったはずです。

競馬場の名残を示すのは、この道だけです。
周囲はありふれた住宅地です。

たしかに競馬場っぽい緩やかで均一な角度のカーブではありますが、カーブの道路は街中至る所にあるものです。

ここに競馬場があって、熱狂に包まれたと想像するのはかなり難しい作業です。

2コーナーから向こう正面を臨みます。



1200メートルのレースは、ここがスタート地点だったことになります。

向こう正面の途中で道がなくなりました。





この辺りで競馬場を南北に横切る道路は、元競馬場通りと呼ばれています。

この辺りは、ダービーディスタンスである2400メートルのレースのスタート地点だったはずです。

かの伝説の名馬であるワカタカ(1932年)やカブトヤマ(1933年)がここを走り、ダービー馬になったと。
いやはや、とても信じられません。

1932年といえば、第一次上海事変が起こり、満州国が建国され、五一五事件が起きた頃です。

とても興味深い歴史です。



目黒不動尊を参拝して帰りました。
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