HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

電話用の「満鉄」社章マンホール蓋はいつ作られた?

2017-03-16 | 大連を歩く
大連の民主広場の北側、老鉄賓館の近くにあるマンホール蓋です。


かなり摩耗しており、時代を感じさせます。

中央部分に注目してみると、満鉄のマークであることが分かります。


左右には「話電」とあります。

電話用のマンホールのようです。これ(2016年6月25日の日記)と同じタイプです。

大連に残る日本租借時代に設置された電話用のマンホール蓋には、この満鉄マークのものと、郵便マークのもの(2015年5月20日の日記)と、満洲電電のもの(2016年7月10日の日記)の3種類があります。

摩耗の度合いからみて、満鉄のものが最も古いようです。

この蓋がいつ頃ここに設置されたものなのか、資料が十分ではないので正確なことが不明なのですが、大連に関東逓信局が設置された1917年より前と推定しました。

そして、郵便(関東逓信局)は1917年から1933年まで、満洲電電は1933年から終戦まで、と見立てました。

ちょっと自信がありません。
どなたか情報をお持ちの方がいたら、教えてください。
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