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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

東京 乃木神社と旧乃木邸

2017-03-05 | 東京を歩く
再び東京シリーズです。東京と大連/旅順に関わる施設をご紹介します。

乃木神社を訪問してみました。

乃木神社は、乃木希典と静子夫人を祀っています。

港区赤坂8丁目の傾斜地にあります。神社の前の坂道は乃木坂です。

女性アイドルグループ「乃木坂46」でも有名ですね。

社殿は乃木夫妻が晩年を過ごした邸宅の隣地にあり、邸宅は今も残っています。

実は僕は20代の頃、4年近くこのエリアに住んでいたのですが、乃木神社には行ったことがありませんでした。当時は興味がなかったのですね。

今回、初めて行ってみました。


第一の鳥居です。

乃木神社は、乃木大将が殉死した翌年の1913年に設立の準備が始まり、1923年に鎮座しました。
比較的若い神社ですが、深い茂みに囲まれた社殿は十分な風格を讃えています。


神社の由来です。

乃木大将は、旅順攻囲戦では多くの犠牲者を出したため、「坂の上の雲」をはじめとして軍人としての手腕には批判的な評価も多いのですが、こうして東京の一等地に構える立派な神社の祭神として祀られるぐらいですから、やはり偉大な英雄との評価が大勢だったのでしょう。


第二の鳥居です。


拝殿から本殿をのぞみます。


女性参拝者が神妙に拝んでいました。


昭和7年のパネル


昭和5年のパネル


手水舎です。

僕が訪問したときには、結婚式を挙げているカップルの姿があったり、意外にも若い参拝客の姿を見かけました。これらは、乃木希典というより乃木坂46の存在が影響しているのかもしれません。乃木坂46のメンバーもここで成人式などのお参りをするそうですから。

併設されている宝物殿には、乃木が生前、旅順攻囲戦で活躍した際の遺品や直筆の書物などが展示されていました。

興味深い展示物がたくさん並んでいます。入場は無料です。


宝物館は乃木大将の彫刻がお出迎えです。


水師営の会見の写真と文部省唱歌です。「昨日の敵は今日の友。語る言葉もうちとけて」


乃木がステッセルから譲り受けたサモアールだそうです。


殉死の際に用いた刀も展示されています。


この書は、金州の南山戦績に刻印されていたものです。


これらも旅順から持ち帰ったのでしょう。

隣の旧邸宅にも立ち寄ってみました。

斜面に建つ、立派な平屋の木造建築です。夫婦2人で暮らすには大きすぎるぐらいです。

乃木は退役後、ここで暮らし、明治天皇崩御の日にここで殉死しました。

あの旅順で壮絶な戦いを繰り返し、多くの優秀な部下を亡くした乃木は、国民からの賞賛とは裏腹に、帰国後は慚愧と悔恨の日々を送っていたのでしょうか。

身が引き締まる思いで立ち止まり、静かに手を合わせます。

大連の駐在時代、旅順や大連で乃木の足跡を丹念に歩き続けた僕としては、ここは特別な場所に感じられました。


乃木邸です。


乃木邸は、港区の重要文化財に指定されています。


これが乃木坂です。


乃木坂はかつて幽霊坂と呼ばれていたのですね。
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