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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

北京南苑空港 中国航空事業発祥の地を訪ねる

2021-10-27 | 北京を歩く
南苑空港は、北京市豊台区と大興区にまたがるエリアにある中国で初めて建設された空港です。

北京市内からは南側に十数キロの場所です。

最近まで軍民共用として利用されてきましたが、民用空港としては2年前の2019年2月、大興国際空港の開業に伴って閉鎖されました。

歴史を紐解くと、この一帯は清代の終わりから練兵場などの軍用地として利用されていたそうです。

1904年、フランスが中国に航空機を販売するために2機の小型機を輸送し、この地でテスト飛行を行いました。ライト兄弟が動力飛行を成功させた翌年のことです。

1910年、清国政府がここに航空機修理工場を開設し、離着陸と機器のメンテナンスのための滑走路を作りました。
これが中国の航空事業の幕開けとなりました。

1913年には北洋政府が中国初の航空人材養成学校「南苑航空学校」を開校します。その後軍用空港として航空技術発展の中心的役割を果たします。

1920年には民間航路が就航します。

1937年に日中戦争がはじまって日本軍が北京を占領した後は、南苑空港は日本軍が支配するようになります。
日本軍にとってここが中国最大の航空部隊の拠点でした。

文献によると、日本は終戦時にここを筆頭に天津、保定、唐山、秦皇島、北京市通州、楊樹、軍粮城などの飛行場を保有していたそうです。

解放後、空港は再び中国空軍の手に戻ります。

2005年からは民間航空機の発着が始まりました。
ただし、その頃北京にはすでに首都国際空港が稼働していましたので、南苑空港は国内線専用で、発着数も多くありませんでした。
僕は一度も利用したことがありませんでした。いや、存在すら知りませんでした。

現場を訪れてみると、一帯はまったく坂道のない平坦地で高層の建物がありません。

地図アプリで確認すると、滑走路は南北に伸びる1本だけのようです。

空港の周囲は比較的新しめの仮囲い鋼板や有刺鉄線で囲まれており、滑走路を直に見ることはできません。この目隠しは商用機が運航されていた2年前まではなかったはずです。



右側に見えている建物が旧ターミナルです。

「軍用地につき立ち入り禁止」、「撮影禁止」という掲示板がいたるところに掲げられていて、物々しい雰囲気を感じさせます。

しかし、周辺一帯は航空学校や航空病院など空港関連施設がたくさんあり、航空事業で発展してきた街であることは十分わかります。

清代から軍用地だっただけに古そうな住宅はほとんど見かけません。
ところどころに点在する古そうなレンガ造りの平屋建ては、戦前に建てられた兵舎跡でしょうか。





この門柱は当時のものでしょうか。



この門柱も古そうです。



この長屋も空港関連の施設だったのではないでしょうか。

空港の北側に隣接した場所に、廃線駅のレールとホームの跡が残っていました。





この鉄道が運んだのは人でしょうか。あるいは軍事物資でしょうか。

使われなくなってから相当時間が経過していることがわかります。



中国の文献によると、日本占領時代、日本軍は空港のエリアを拡大し、南苑空港と兵舎を結ぶ4キロメートルの鉄道を整備されたとしています。

となると、これが日本軍が敷設した鉄道なのかもしれません。
現在、付近で路面に線路が残っているのはここだけです。



中国では1949年の建国以来、建国や建党の周年イベントには軍事パレードを行い、飛行隊が隊列を組んで北京市内を飛行しますが、この訓練基地と離発着が行われてきたのは伝統的にこの空港だそうです。

また、ちょうど50年前の1971年、米中の国交正常化道に向けた周恩来との初協議のために極秘訪中したキッシンジャー大統領補佐官が降り立ったのもここだそうです。

ネット上には南苑空港を中国航空事業の「聖地」と紹介している論評もあります。
しかし、現場は現役の軍用地だけあってそのような華やかさはありません。
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