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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

大鐘寺古鐘博物館 - 100年前はトイレ代わりになっていたという永楽大鐘とは

2023-11-23 | 北京を歩く
北三環にある大鐘寺古鐘博物館に行ってみました。





ここはもともと覚生寺とよばれていた古刹で、この寺の名物である永楽大鐘がここに納められたことをきっかけに大鐘寺と名前を変えたのだとか。



今は寺としての役目は終えていて、鐘の博物館としてかつてのお堂を展示室にして数百におよぶ古い鐘を展示しています。



つくりは寺そのものですが、仏像や祈祷施設はありません。

展示されている鐘は明代と清代のものが多いようです。歴代皇帝がつくらせたのでしょうか。





皇帝万歳万万歳、だそうです。清代につくられた鐘にはほとんどこの文字が入っていました。

日本のバンザイと中国の万歳は似ているようでちょっと違います。

中国で万歳は特別な意味を持ちます。日本ではスポーツで勝利したなどに気軽に万歳をしますが、そんな感じではありません。

日本でもどこの寺にも鐘はありますが、これらのルーツをたどれば中国でしょう。
鐘は時を告げるだけでなく、祈りや楽器としても使われてきました。



五本指の龍は皇帝のシンボルです。

最大の見どころは、この永楽大鐘です。1607年につくられたもので、中国に現存する最大の青銅製の鐘と伝わります。



このお堂の中にあります。



扁額の文字は乾隆帝の揮毫だとか。



大きいです。

高さ6.75メートルで、重さは46トンだそうです。

こんな重そうな鐘をどうやって吊るしているのでしょうか。

当時、ひとたび鐘を突けばその音は90里先まで届き、音は2分間以上も鳴り続けたのだとか。すごいですね。



1921年に北京を訪問した芥川龍之介はこの永楽大鐘を見学しています。そして著書にてそのときの様子を「この大鐘は半ば土中に埋まり、事実上の共同便所に用いられつつあり」と記しています。

どういうことでしょうか。にわかに信じ難い話です。しかし、取材の名目で北京を訪れた芥川が嘘を書くとは思えません。

しかし、一部が土に埋まってトイレとして使われていたとは、どういう状態だったのでしょうか。



しばらく鐘を見つめながら考えてみました。

芥川が訪問したのは軍閥が乱立して混乱していた中華民国時代です。
当時は文化財保護にまで行政の手が行き届かず、鐘は野ざらしの状態で横倒しにでもなっていたのでしょうか。

まったく荒唐無稽とも言えない仮説だと思いますが、どうでしょうか。

いずれにせよ、今は良好な状態で保存されています。北京に長期滞在するなら一見の価値ありだと思います。


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