天津の旧フランス租界に、駐留フランス軍の宿舎や司令部として使われていたレンガ建築が残っています。

和平区赤峰道です。
1915年頃に建てられたそうです。


元々は1879年に李鴻章が設立した北洋水師営務処があった場所でした。
1901年の北京議定書で清国から軍隊の駐留権を得たフランスが天津に約1,400人を駐留させました。
やがて手狭になったため、1915年、フランス当局はここに兵士の宿舎や司令部を再建しました。
戦後は天津市港湾局の宿舎として使われていたようですが、今は一般の民家として利用されているようです。






3階建ての建物が1棟、2階建ての建物が3棟があるようです。
天津市文物保護単位に指定されていますが、普通の住宅なので住宅の共有エリアには入ることができます。

フランス人が作った建造物だけあって、レンガはフランス積みです。

和平区赤峰道です。
1915年頃に建てられたそうです。


元々は1879年に李鴻章が設立した北洋水師営務処があった場所でした。
1901年の北京議定書で清国から軍隊の駐留権を得たフランスが天津に約1,400人を駐留させました。
やがて手狭になったため、1915年、フランス当局はここに兵士の宿舎や司令部を再建しました。
戦後は天津市港湾局の宿舎として使われていたようですが、今は一般の民家として利用されているようです。






3階建ての建物が1棟、2階建ての建物が3棟があるようです。
天津市文物保護単位に指定されていますが、普通の住宅なので住宅の共有エリアには入ることができます。

フランス人が作った建造物だけあって、レンガはフランス積みです。
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