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科学技術と民間人の戦争動員 陸軍登戸実験場開設80年

2017-12-20 18:00:00 | 博物館・美術館・エンタテイメント・イベント

 陸軍登戸実験場とは、戦争には必ず存在する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所です。後に「登戸研究所」(正式名称:第九陸軍技術研究所)となります。
 敗戦とともに閉鎖されました。その後、1950年に登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し、明治大学生田キャンパスが開設されています。
 明治大学平和教育登戸研究所資料館は
、研究所の建物を保存・活用する目的で作られました。

 外壁は塗り替えられていますが、内部はできるだけ当時のままに再現されてます。

 風船爆弾の模型です。風船爆弾は、和紙をこんにゃく糊で貼りあわせて作られました。水素ガスで満たされた風船は高度4500mまで上昇し、そこから偏西風に乗って太平洋上を東へ移動し、2昼夜半かけてアメリカ上空にたどりつき、爆弾や焼夷弾を投下する仕組みになっていました。
 放球された数はおよそ9300発とされてます。約360個がアメリカに到達し、犠牲者も何人かいるようです。

 時限爆弾に使われた時計です。時限爆弾が作られた理由は、上海の租界地に運び込まれた欧米からの支援物質を燃やすためです。租界地には日本軍が入れないので、秘密裏に行動していたようです。

 偽造紙幣です。目的は偽札を流通させてインフレを起こすことでした。偽札を作る場合は、高額紙幣を作るのが基本ですが、何故か少額紙幣で偽札を作ってます。私は北京時代に偽札をつかまされたり、知り合いから見せてもらいましたが、100か50元札でした。北朝鮮が作った偽ドル札も100ドルだったはずです。当時の日本陸軍は、何を考えていたのでしょうか?

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