面影

日々の中で心に感じたことを綴ってゆきたい

スーパーカブ

2008年09月30日 00時53分20秒 | Weblog

「新聞を配達するバイクの音で一日が始まる」  

目覚まし時計のように日々の生活にとけ込んでいるホンダのバイク「カブ」シリーズが8月に発売50周年を迎えた。  

 発祥の地は埼玉県。1958年に初代モデル「スーパーカブC100」(排気量50cc)が、大和工場(後の埼玉製作所和光工場)で産声を上げた。  

 販売価格は5万5000円。平均給与が月1万9000円程度だった当時、競合車に比べ約1万円割高なカブは、手の届きにくい高価な乗り物だった。しかし、販売台数は予想をはるかに超えて、翌59年には16万台以上を記録。増産に増産を繰り返した後の60年には、鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)を設立。本格的な量産体制を整えた。  

 この実績を土台に、59年にカブを米国に輸出。61年には、主要部品を輸出し現地で組み立てるノックダウン方式による生産を台湾で始め、これを機に海外市場の開拓を加速し始めた。  

 現在世界15カ国で現地生産され、160カ国以上で販売。今年4月末には、世界生産台数が累計6000万台を突破した。 

 ホンダブランドを象徴するカブに69年入社以来寄り添ってきた一人が、二輪事業本部長を務める大山龍寛常務(58)だ。「(創業者の)本田宗一郎らが開発したカブには最初から『誰にでも乗れて、壊れなくて、燃費もいい』というコンセプトが入っていた。その基本を貫いてきたことが評価された」とロングセラーの要因を分析する。  

 その道のりでホンダは、数々の“伝説”を残した。その舞台の一つが、2008年に300万台規模の二輪車市場を形成する見通しのベトナム。生活の足として二輪車が定着するこの国では、ホンダの知名度は圧倒的だ。ホンダは「バイク」の代名詞でもある。 

  外資系二輪車メーカーは、75年終結のベトナム戦争に伴う経済封鎖の影響を約30年に渡り受けてきた。そして生き残ったのがカブ。頑丈なカブは簡単な部品交換のみで走り続けられるため、空白期間にも顧客をつなぎ止めることができたのだ。  

 「古くて新しいのがカブ。今の時代に一番求められているものを持っている」  原油高と環境規制強化で燃費性能と排出ガス浄化性能が注目されている。燃費では、初代カブでガソリン1リットルあたり90キロを実現。80年代には同180キロまで引き上げた。  

 そのころから、エンジン状態に応じて最適なガソリン量を送り込む電子制御式燃料噴射装置「フューエル・インジェクション(FI)」の二輪車への搭載を開始した。  

 主に大型車に採用してきたFIを小排気量車に適用しようとすると、小型化と低コスト化というハードルにぶち当たる。カブの場合、さらに燃料の噴射穴の大きさを0・13ミリまで超微細化する難題にも直面したが、07年から搭載に踏み切った。  

 見た目は地味だが、極限まで技術力を高め尽くしたカブ。それだけに現状を超えられないジレンマもある。だが、大山常務は、さらに攻めの姿勢で「ゼロエミッション車(環境負荷が全くない車)」という観点から、カブの近未来形を描き始めている。(臼井慎太郎)

(MSNニュースより)