笑う門には福来れ!

ヒューストンより帰国しました!
期間限定新天地・東京での家族四人の育児と
ちょっとした毎日を綴ります・・・。

出産直後

2008年02月21日 | 妊娠生活
無事に元気な産声をあげたNINAちゃん

心配していた麻酔後の発熱だけれど、右足のふともも止まりだった
ちゃくちゃくと熱くなっていっているのと、感覚がなくなっていくのを
感じていたのでとっても心配だったのだけれど、赤ちゃんに移っていなくて
本当に良かった

麻酔は結局最後の一時間程度で、それまで痛かったけど今回の目標達成だ

部屋の片隅で綺麗にしてもらっているNinaちゃんを旦那が忙しそうに
写真やビデオでとりまくっている間に胎盤が出てきた。

なんにでも興味津々丸になってしまう私。先生に聞いてみる。
「先生 へその緒触らせてください~

すると先生。
「いいよ~

やった ムニムニ ゴムみたい。
血管が三つ通っているのも、らせん状なのも半透明でよく見える。
私とNinaをつないでいてくれた大役、ご苦労様
なんだか、持って帰って神棚にでも飾りたい気持ちになった

続きまして、調子に乗った私はもう一つお願いしてみる。
「先生 胎盤触らせてくださ~い

すると、ナース。
「やめときな ばっちいよ

・・・ばっちいとは何事

今までNinaちゃんを大事に包み込んでいてくれた胎盤様だぞっ
これも持って帰って神棚行きだっ

と、一瞬ショックを隠せなかったけれど、先生が
「胎盤は血の塊だからね~。触ると手が血だらけになって綺麗にするのも大変だし。
見せてあげるから触るのはやめといたら??」

・・・なるほど。そういう意味のばっちいか仕方が無い。

先生が胎盤を高々と掲げていろいろ説明してくれたのだけれど、
本当にすごいと思った。
子宮の中の袋がごっぽり出てきていた
その中でNinaはプカプカと浮かび、遊び、成長していたのかと思うと
やっぱり持って帰って崇めたいくらい感謝でいっぱいだ

私が先生の説明に夢中になっている間に綺麗になったNinaちゃん。
ナースが連れてきてくれました。
初めての授乳タイムです

もちろん、まだまだガッツリ飲むほどのことは出来ないないけれど、
一生懸命、本能でおっぱいを飲もうとしているNina。大したものです

落ち着いたところで、呼び戻されたSEANとばあば。
SEANの第一声に興味があったのですが「やっと出てきたね~
普通のテンションでした
彼が動揺しないように、事前にしつこいほど何が起こるのか言い聞かせ、
テレビでやっている出産番組を見せていたのが役に立ったのか、
何が起こったのか彼の中で理解している模様。


旦那と一緒にNinaを抱き、ニコニコ

ああ良かった・・・。 すんなりとお兄ちゃんになってくれたSEANにも感謝です

先生も処置を終え、「おめでとうっ」と強い握手を残してお仕事へ。

旦那とNinaは身体測定や諸検査のためにナースと移動です。

SEANの時、国際電話の向こう側で涙していたばあばも、
実際付き添った今回は疲れ切った顔をして「よかったなぁ・・・。」
出産直後の私よりも疲れてないか

戻ってきた旦那の青い割烹着のような手術着には
Ninaの足スタンプ、身長、体重が書いてありました。


ふい~~~~~~~


テンション上がりっぱなしの産後妊婦と、思いっきり疲れた顔した
付き添い旦那&ばあば。そしていつもと同じテンションのSEANの出産物語でした


簡単に入院生活に続こうと思います・・・(そのうち・・・)

出産記 三日目

2008年02月21日 | 妊娠生活
引き続き、弱まる陣痛。

「あ~あ。こりゃ、また家に帰されそうだなぁ・・・

と思っていたけれど、おばちゃんナースが来て

「先生に連絡したら、このまま病院で陣痛を待って産みましょう。って
 言ってたからね。頑張ってね~」とテンションの上がることを言って
去っていった。
この弱さはヤバイと思っていたのでラッキ~だ頑張ろう。

ところが、しばらくしたら今までとは比べ物にならない陣痛がやってきた。

私は第五腰椎分離症プラス側湾症の持ち主で、きっと骨盤の具合が悪いのだろう。
一回目の出産の時も回旋異常を起こし、三日かかった。
なので今回はなるべく骨盤をまっすぐに保とうとベットの上であぐらをかき、
目の前にあるテレビの赤いランプを睨みつける。

「ヒ~ヒ~、フ~~~~~(私は痛みに対して怒りで向かう性質らしい。)」

「ヒ~ヒ~、、、、このやろ~~~。負けるもんか~~~~(ある意味逆ギレ)」

トイレに向かうためにナースを呼び、来てもらったが
立ち上がったら最後、痛みの波で動けない

ここで立ち上がって動いたのが陣痛促進になったらしく、ここから
恐ろしく痛み出した(また怒っている。)

内診でやはり赤ちゃんが通常の向きで降りてきていないといわれ、
あぐらではなく横を向いて寝るように言われる。
「何だよ。早く言ってくれ
一年に一度キレたらいいほうの私も、痛みには怒りで立ち向かい続ける。

ここで午前3時。
もう、誰がマッサージしてくれているのか分からないようになってきた。
腰がビキビキ総崩れだ

前回の陣痛はお腹が痛くて、ヒ~ヒ~フ~も最初の吸う時に痛かったのだが、
今回は正反対。腰が痛くて、ヒ~ヒ~フ~も吐く時が痛い
だから、自然と

ヒッ。ヒッ。ヒッ。ヒッ。ヒッ。。。。。。。。。。フ」だ。
(なるべく多く息を吸って、痛くなる吐く行動は極端に短い

あまりに多い「ヒッ」と、あまりに弱々しい「フ」に旦那と母から笑いが漏れる。
「このやろ~~~~」と思うが、痛みで口が開かない

アメリカでは無痛分娩をする人が多く、ナースも逐一すすめてくる。
私の場合、SEAN出産の時に麻酔が効いている部分が発熱し、SEANにまで
移ってしまったので今回はそれをどうしても避けたかった。
でも前回の回旋異常は麻酔をしてリラックスしたら、すぐにクルッと回転して
でてきたのだ。今回も回旋異常だし。でも長く麻酔して発熱したら困るし・・・。
とにかく、耐えられるだけ耐えて、最後になるべく短く麻酔を使うのが
今回の私の目標だった。

でも。もう限界が近づいてきている・・・

「もう麻酔してもらおうかな。」旦那に聞く。
「うん」即答。・・・何だか納得いかない。

「やっぱり、もう麻酔してもらおうかな。」母に聞く。
「そうしてもらい」即答。・・・やっぱり納得いかない

一晩付き添いとマッサージで二人も相当疲れてきているのが分かる。
ひょっとして、麻酔をうって楽になろうと考えての即答か
あまりの返事の早さに痛みと同時に怪しむ私。

やっぱり我慢できる限界ギリギリまで頑張ろう。もう聞くまい。そう思った。

ベットの手すりをギリギリと握り締め、ひたすら息を吸い続けていたが
陣痛の合間がなくなってきたので、弱気になってくる

ここで硬膜外麻酔ではなく、点滴から入れてもらう薬をお願いする。
これは二回まで使うことができるもので、痛みはとれないが
体の緊張をとって、余計な痛みを軽減させるものらしい。

あっというまに効いてくる。体の緊張もとれるけれど、とにかく頭がボ~ッと
するのもこの薬の特徴で、この世とあの世の間にいる感じになる

目も開けられないほど、力が抜けるのだけれど、
「よく寝てますね~(旦那)」
「ほんま。薬がよく効いてるんやわ~(母)」なんて
周りの会話はとてもよく聞こえてくる。

この時点で午前5時。子宮口7センチ大。

「7時になったら先生が来るからね~」と、ナース。

・・・ううう。あと二時間もあるのか~~~終わりはいつだ心の底からそう思う。

麻酔が弱まり始めると、さらに激しい陣痛の大嵐。
もう、いっそのこと、意識を失わせてくれたら楽なのに・・・怒りと泣きが混ざる。

午前6時。
先生が来るという時間まであと一時間。もう限界だ麻酔をお願いしよう。
そう言ったら旦那がナースセンターまで言いに走った。(彼も限界だったのだろう)
だけれど、ナースからの返答は
「今、先生の入れ替え時間だから次の先生が来るまで少し待ってて。
 さっきの点滴から入れるお薬、もう一つ使えるから
ってことで、想定外のフラフラ薬二本目突入。
また一気に、あの世とこの世を彷徨い始める。
彷徨っているところへ、ナースがなにやら箱を持って入ってきた。
内診か??と思ったら。
「いたっ」・・・導尿だった
痛みで気付かず、もちろんトイレにもいけなかったので驚くほど溜まっていたらしい。
もうどうにでもしてくれ・・・

30分ほどで薬が切れてもがいているところに麻酔科の先生到着。
旦那、母は部屋の外へ。(SEANは夢の中。)
前回の経緯と麻酔はなるべく少なく、第五腰椎が分離しているので避けて打って
もらうように先生にお願いして欲しいとナースに言っておいたが、
痛みの最中、必死にナースに確認すると「あっ。言ってない。」・・・
先生は先生で、「お~、日本人にしては背が高いねぇ。」だとか
「妊婦なのに痩せてるね~。」だとか。んなこた~、どうでもいい
そんな話をしている場合ではない

先生に第五腰椎の話をする・・・「SAME」・・・はっ
麻酔で熱が出た話をしたら・・・「SAME」・・・はぁ~
「このやろぅぅぅぅぅ」何がSameなんだか訳も分からず、
これで何か起きたら訴えてやるぅぅぅぅぅと思いながら痛みに耐える。
前回は全く痛くなかったのに、今回は感覚がある。
まるで脚気のように、何かを刺されるたびにビョンッと飛び跳ねてしまう。
「おっと。さ~、もう一回飛び跳ねるよ~。」気楽な先生の口調に
「飛び跳ねてやるもんか~~~~」と力むが。
ビョンッ(言われた通り、飛び跳ねてる。)
・・・・くっそ~~~~
いったん弱まった私の痛みを打ち消す怒りが、先生のお陰で復活だ。

怒りは戻ったが、麻酔がすぐに効いてくるので痛みもなくなっていく

「ふい~~~~~」と元気になってきたところで主治医登場

「はいはい。ど~う」いつもの通り、気楽な先生だ。
私の返事は
「お”は”よう”う”こ”さ”い”ま”す”ぅぅぅぅ」声が・・・。
あまりにヒ~ヒ~息を吸い続けていたので、乾燥から枯れきっていた

「おお。どうしたその声は」先生もビックリだ。

「ん~と。9センチ大だね~。回診にちょっと行って30分後に
 戻ってくるから、それから産みましょう
麻酔の先生と格闘している間に9センチまで開いていたらしい。

パスッとなにやら棒で人口破水させ、
「赤ちゃんがちゃんと向いて降りてきてないから、左を向いて寝てるように。」
そういいながら、私の体勢を整えてくれた。
左を向いて、左足を大きく後ろへ伸ばし、右足を反対に大きく胸のほうへ抱え込む。
痛みは完全になくなっていない。腰はまだまだ痛む。
でも、もうすぐだ。ゴールが見えたそれだけでテンションが上がる

丁度いい具合にSEANもムックリ起き出した。
母の痛がる姿を見て、怖がらせずに済んだので本当によかった

ナースが入れ替わり立ち代り、ベッドを出産スタイルに変えたり
赤ちゃんの手入れグッズを揃えたり、周りが一気に慌しくなってきた。
先生も言ったとおり、30分後に戻ってきて手術着に着替える。
内診をしたら、赤ちゃんもちゃんと向きを直して降りてきていた

前回は「便秘の時にふんばるように頑張るんだよ~。」といわれ、
「それなら得意です でも本物出たらすみません~」と返すと、
「オッケイ、オッケイ。それでいいんだよ~」なんて下の会話がされたのだが。
今回は「10メートル海の底に潜るようにね~」と言われた。
残念ながら「得意です」とは言えなかった。笑。
母にSEANを部屋の外へ連れて行ってもらい、ナース二人と旦那に足を支えられて
いざっ出産

「いくよ~~~~ それっ

1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

旦那の掛け声に合わせてイキム。
肺活量は4000あるので余裕の10カウントだ。

「はいっ もう一回っ

1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

「はい。いいよ~。力抜いて~~~

三回のいきみで出てきた。ものの5分程度
やはり前回同様、赤ちゃんが回ってからはとっても早かった。


こうして、午前7時30分。無事NINAちゃんの誕生です

出産記(二日目)

2008年02月21日 | 妊娠生活
ふぁ~~~~~~。よく寝た~~~~

分かっていたものの、普通に朝がくると結構凹む
陣痛も起きて苦しむほどではなく。
イテテテテテ・・・と思いながら寝られた

だけれど、痛みで運転はとてもじゃないができないので
またまた家の周りを散歩しながらお産が進むのを待つ


お昼。普通にご飯を食べる

「そんなんじゃ、まだまだやな~~~~なんたらかんたら。」

ばばうるさい

仕方がない。お昼寝の時間だ。寝る

・・・・が。寝れない・・・・・痛い・・・めっちゃ痛い

そうです。いきなり調子付いてきたのです

それからというもの、「助けて~~~」といちいちばあばの
マッサージが必要に。

「女の子の陣痛は腰に来る」と飽きるほど言っていたばあばの言葉どおり
ガシガシと私の腰を赤ちゃんが砕きにかかった

痛み的には順調に増してきているけれど、まだまだ感覚がまちまち。
そうこうしていたら夜になり、旦那も仕事から帰ってきた。

「うう~~~。きた~~。マッサージ~~~~

苦しむ私を見て、「おお。きてるねぇ。」嬉しそうな旦那。
痛みが増すことが、こんなに希望と化すことはきっと他にはないだろうな。

ばあばの作った晩御飯を皆で食べる。
私は立つと楽なので立ったまま、痛みの間に食べた。
なにしろ、アメリカは病室に入ったら最後、細かい氷しかくれないのだ。
食べれる間に食べねば。前回はこれで3日間絶食だったので必死だ。

痛みは大きくなっていくが、まだまだ感覚が狭まらない。
今日、病院へ行くか、明日の朝イチで向かうかで悩むが
とりあえずお産が早まると噂のシャワーを浴びることにした。
もちろん、いきなり進むこともあるらしいので皆が一応準備できるまで待って
seanも寝る準備をしっかりして、最後にシャワーへ向かう。
このとき、午後8時。

ドキドキしながらシャワーを浴びたものの、あがってスッキリ気分爽快

期待むなしく、シャワーで感覚が狭まることはなかった・・・

でも、痛みは続いている。しかも結構痛い

「くぅぅぅぅぅ・・・。」こういう声がもれるほどになってきた。

午後10時。seanの寝る時間だ。

ばあばが「(病院へ)とりあえず行ってみよ」とうるさいので
丁度、seanも車で寝ていいかも。と思い出発することに。

午後10時30分。
病院到着

普通の入り口は閉まっているので、緊急用の入り口から入る。
なぜだか知らないが、結構な人がロビーの椅子に座って待っていた。

アメリカは入り口から車椅子に乗せて病室まで運んでくれるのだけれど、
今まで28年間、大きな病気もせず、健康優良児だった私。

車椅子に乗せられ、みんなの視線を浴びることがめちゃくちゃ恥ずかしい
もはや痛みもどこかへ行き、どんな顔して乗ってたらいいものか分からず、
ニヤニヤニヤニヤ・・・
「やばい。めっちゃ恥ずかしい」と言ったら、ばあばに「アホか。」と返される
持っていたハンドタオルで顔を隠さずにはいられなかった

結構長い間、車椅子に乗せられ、とうとう病室へ。
着替えのペラペラガウンをもらい、全裸にガウンとなる。
(ちなみにこのガウンは後ろを紐でとめるのだが、かがむとお尻丸見え
検尿するように言われ、従い、質問フルコースを受ける。
そして、引き続きサインフルコース。


全ての記入が終わり、すでに疲れている私と、車で寝なかったsean

前回、なりたてホヤホヤナースにあたり、手の甲にする点滴の注射で
失敗すること3回。グリグリ血管を針の先で探し、挙句の果てには
「Oh・・・I can't・・・・」なんて言ってくれるので
生まれて初めて注射で気分が悪くなり、倒れてしまったのだが
今回は黒人のおばちゃんナースで、とっても上手
私の肉がない手の甲にサクッと刺してくれた
内診もこのおばちゃんがしてくれる。
4センチ開いていて「グッジョブ」と言われた。

そして、やっと落ち着き、ナースがはめてくれた陣痛の波をはかる機械と
赤ちゃんの心音を聞く機械をつけながら休憩


・・・そう。安らかに休憩できちゃったのだ

車椅子に乗せられたあたりから消えてしまった陣痛。
ちょうど日にちが変わるくらいの時間帯は逆に焦るほど
微弱でまちまちの陣痛になってしまっていた・・・

出産記(一日目)

2008年02月21日 | 妊娠生活
長くかかりましたがせっかくなので頑張って出産記を

長々と待ったお産の始まり。それは予定日一日前の早朝でした。


SEANの時も一日前の夜中のおしるしで始まったお産。
今回も同じ様にいくんじゃないか?と期待していたものの、
夜中に違和感は何も感じず。

朝に行ったトイレでおしるしが降りたのです

そりゃもう。待ちに待ったお産の到来

「きたきた~!!きたで~!!」と叫ぶ私に「なにが~~~??」と母。
朝から狂喜乱舞する私と旦那に母、いたって冷静。

ま、前回はここから三日かかったので今回は進めるべく歩いて
隣のお店を見て回ることに。

・・・ばあば、普通に買い物しまくるし

・・・今買っとかないとしばらく来れんってさ

私はお店のお姉さんと話している最中、陣痛が来て無言になり、
お店を練り歩いている最中、陣痛でかがみこむ。

・・・「ほ~ら、きたきた~」とばあば。


確かに。陣痛はある。

だけど進まない まただ

「いてててて・・・」なんてまだまだ余裕の顔して

妊婦、象に乗る

2007年11月02日 | 妊娠生活
待てども待てども生まれない。

こうなりゃ、出歩くしかないっ


やってまいりました、ルネッサンス・フェスティバル

ヒューストン郊外でやっているこのお祭。
うちからは比較的近いのに、今まで行ったためしがなかった。


「ルネッサンス」・・・いったいなんのことやら??

ヨーロッパならまだしも、アメリカで「ルネッサンス。」・・・はて??



と、いうことで。ろくな説明もできませんので写真をドン。


駐車場から、仮装人間がウロウロ。


格好をみると「ああ、ルネッサンスね。」って感じ。


これもルネッサンス??・・・何だかアニメオタクの集まりにも見える。


思っていたよりも大きな敷地。ショーも騎馬隊。かっこええ。


現地で衣装を購入している人、借りている人。
とにかく仮装を楽しんでなんぼって感じのお祭。


お祭のお決まり関係もちゃんとありました。


ラクダと象にも乗れちゃう。・・・やはり分からない「ルネッサンス。」



ってことで。










臨月妊婦(&ビビリばあば)、象に乗る

39週・・・・・。

2007年10月26日 | 妊娠生活
まだ・・・・・


もう、いつ産まれるかなんてどうでもよくなってきました。

予定日が一週間後になり、そのうち出てくるさと待つのをやめました

毎日毎日、じいじとばあばを連れて買い物とレストランに出歩いております。

結局じいじは明後日出発なので赤ちゃんの顔を見ずに帰ってしまいます。

まぁ、仕方がない。

娘が苦しむ姿を見ず、新生児相手に何もすることもないので
じいじはそれでいいらしい。

まぁ、二月に会えるか。

SEANもじいじが来てからというもの、ベッタリじいじにくっつき
遊んでもらっていたらグズグズ泣きがぴたっと一切なくなった

SEANの不安な心をじいじが満たしてくれたわけで。

それだけでも、じいじが来てくれた甲斐があったってものです。


そして、ここ数回の検診で私がとにかくブルーになっていること。


「ん~。赤ちゃんが違う方向いてるねぇ・・・


・・・先生。それだけは言って欲しくなかった

前回のSEANの出産も回旋異常とやらで3日の陣痛を耐え抜かなければ
ならなかった原因なのだ。


それだけは避けたかったので、骨盤矯正に励んでいたのに・・・


いつ出てきてくれてもいいから、上手に回っておくれ・・・


ってことで。とうとう39週突入~~~

まだ。。。

2007年10月16日 | 妊娠生活
産まれておりませんよ~

先週一週間はSEANと私ともども風邪にやられ、
SEANは高熱も出たので家で二人して親トド、子トドになっておりました

この一週間は赤ちゃんに出てきてもらっちゃ困るので、
丁度いいや。とばかりにグウタラしていたわけです。


で、土曜日の37週検診。

「相変わらず、柔らかくなって赤ちゃんももう降りてきてるけど
 子宮口が開いてきてないから、そろそろ歩きまくりなさい」と先生。




歩かねば。。。。。。



じじばばのチケットを18日の到着に変更したし。



産まねば。。。。。。



にしても、二人目だからか本当に頭の隅っこにちょこっといたくらいの
赤ちゃんの存在。

SEANの時と違い、そうそう話しかけてももらえていない赤ちゃん。


何だか悪かったな~~~~


出産が近づいて、少し反省している妊婦です。


この10ヶ月、私のお腹の中でスクスクと育ち。

私の吸う空気を同じ様に吸い。

私の食べた栄養をそのまま自分の栄養としていた赤ちゃん。


あと数週間、いや数日で今まで10ヶ月間私に依存してくれ一緒にいた赤ちゃんが
一人で息をし、栄養をとり、一人の人間として生きていくようになるんだなぁ・・・。


そう思うと、何だか急にとっても寂しいような、頼もしいような気持ちになった。


生まれてきてから、しこたま色々お話してやるよ~~~~

36週検診

2007年10月06日 | 妊娠生活
本当に最終段階に入ってきました、妊娠生活。

昨日はSEANを学校へ連れて行き、その足で病院へ。

臨月突入36週検診。久しぶりの内診で進み具合の分かれ道。



「はいはい~。ど~お?調子は??」

いつものように先生登場。

「なんかね~、下がってきてるのは分かるんですけど
 まだまだめちゃめちゃ動いてます~。」

のん気な妊婦。

イテッっと思ったら。

「おお~、ほんとほんと、だいぶ進んでるね~。
 子宮口もだいぶやらかくなってきてるし、赤ちゃんも下がってるね~。」


・・・・・・。

「ええっ そうなんですかっ
 (数分前に自ら下がっていると言ったのを忘れてビビル妊婦。)


どうやら、今日明日ではないけれど来週末の検診までもてば
その時にだいたい出てきそうな日が分かりそうなくらい進んでいるらしい。


ええ~~~。

じじばば来るの28日だし

家の中は何人泥棒が入ったの??って状態だし

ベビーベッドも出てないし

洗濯してないし・・・(これはただ溜まってるだけ。)

Baby Shower

2007年10月02日 | 妊娠生活
週末、お友達にBaby Showerをして頂きましたっ

今まで、行ったことはあっても自分の(赤ちゃんの)ために
お友達に集まってもらい、祝ってもらうのは初めて。

何だか結婚式以来の「自分が主役イベント」で、
ありがたいやら、申し訳ないやら、照れくさいやら・・・


SB仲間でもあるお友達が作ってくれたデコレーション


来てくれたお友達が持ってきてくれたご飯で「シアワセ~


ハンナママ作、私好みのかぼちゃ・栗デザート
そして、ストロベリーさんのウマウマチョコケーキ


転がりそうな臨月妊婦の写っている写真は遠慮しておきまして。

食べて喋って、そして可愛いBaby Girlの洋服をたっくさん頂きました


本当に腕白な私から女の子が出てくるのか、未だに信じられない私ですが
ラブリーなピンクの洋服を見ていたら、本当に出てくるかも・・・

今月末には出てくる女の子がようやく想像でき始めた妊婦でした


きっと、最初で最後のベビーシャワー

とってもとっても楽しく美味しく。素敵な思い出ができました
みんな、本当にありがとうっ


・・・おまけに一晩で一キロ増量というネタまでできました~~~