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わたしのバイリンガルライフ

ADHD/LD/PDDの息子とバイリンガル生活
Do you wanna see my eventful life?

DVとモラ男 ~息子を連れ去られても何も言えない?!

2005-02-16 15:58:25 | Moral Harassmentモラハラ
たしか6年前の夏の夜。。。。外は土砂降りだった。

はじめは些細な出来事だった。息子がまだ2歳の頃、おもちゃを片付けない
という理由でDaddyは私に当たり散らし、TVに埃がついていると怒鳴り、
私の顔をみてると「吐き気がする」と言い、尾てい骨にケリを一発入れられた。

そしてパジャマ姿の私をリビングの窓を開けて外へ突き飛ばした。

「バァ~ン」
音などしないが、私の頭の中では鳴り響いていた。泣き叫ぶ息子「Mommy~!」

外は大雨。。。あまりの衝撃で身体を起こすのが精一杯だった。
「Get out!Fucking Bitch!」

叱責しながら窓を閉めてロックされた。私はどうしていいか分からず、ただ土砂降りの
中でうずくまって泣くだけだった。夏とはいえ冷たい雨だったので寒いのと、怖かった
ので全身震えが止まらなかった。泣き叫んでも私を家に入れてくれる相手ではない。
裸足だったので外に出ていた健康サンダルを穿き、どうしようか考えた挙句、
近くに住んでいる「母」のところへ歩いて行った。

幸い夜で暗かったのが良かった。誰もこの土砂降りの中、傘もささずにパジャマ姿で
歩いている変な女には気がつかなかった。。。と思う。

家から母ひとりで住んでるアパートまで5分の距離。母のアパートの玄関のドア
をたたいた。
「お母さん、私よ。。。」
夜遅かったということもあり母は警戒してすぐにはドアを開けてくれなかった。
ドアが開き、私は玄関の中で倒れ込んだ。
「アンタ、一体どうしたのよ。びしょ濡れじゃない!」と言ってバスタオルを
持ってきてくれた。
「Daddyに追い出された?」と聞かれ 「うん。。。。」というのが精一杯だった。

とりあえず、絞れるくらいにびしょびしょのパジャマを脱ぎ、母の服を借りて
母が寝ていたふとんに横になった。尾てい骨が痛くてたまらなかった。
あれこれ母は聞いてきて「あの子(息子)は大丈夫なの?」 「いいかげんに
別れなさいよ。バカな女はバカな男を選ぶんだよね。。」と皮肉たっぷり
言われた。息子のことが心配で眠れなくほとんど一睡もできずに朝を迎えた。

翌朝、息子が心配なので家の様子を見に家へ戻った。玄関は鍵が閉まってるし
開いてるとすれば、夕べ私を放り出したリビングの窓しかない。近寄って
みると、中からDaddyと息子の話声が聞こえる。ロックが開いている。

カーテン越しにDaddyが私の姿をみつけた。
「何やってんだよ!お前!」と言って窓を開けた。
一瞬ビクっとしたが息子が無事でよかった。だが。。。。
Daddyは息子に朝食として、チョコレートとチョコクッキーを与えていて、
息子の口の周りは、まっ茶色になっていた。

「なんてことだ。。。」朝ごはんにチョコを与えるか?ミルクも与えた事もない、
オムツも替えたことない男にこんな男に息子をまかせておけないと思った。

「少しは夕べの雨で頭冷やしたか?風邪ひきゃよかったのに!さっさとメシつくれ」
といつもの調子だ。こんなDV男といられない、誰かに相談しよう。

「息子とふたりで逃げようなんて考えるなよ!オレはFBIに知り合いがいるんだ。
オレはお前の首折ってでも息子を取り返すからな!覚えておけ」
これがいつもの彼のセリフだ。

もうだめだ。。。と思ったとき弁護士協会に電話して相談した。
予約をとって小さい息子を連れてある弁護士と面会した。
息子の国籍、私とDaddyの関係、DVとこれまでのいきさつを長々と話した。

「Bonitaさん。。。難しいケースですね。」と弁護士は考えこんでしまった。

わたし 「息子を連れてアメリカへ行くって脅すんです。。。」と泣きながら訴えた。
弁護士 「でも彼は息子さんを認知してるし、息子さんはアメリカ国籍もって
     ますよね。だから。。。。」
わたし 「だから、なんです?」
弁護士 
「父親が息子さんをあなたに黙って連れ去ってもあなたは何もできないですよ」

わたし 「え?なんで?私は息子の母親よ!私が産んだのよ!ふざけないで!」
弁護士 「現実的にはそうなんですけど、アメリカに足一歩踏み入れたら訴訟するの
     難しいんですよ。現に息子さんの父親はアメリカ人で息子さんも
     アメリカ国籍取得してますしね。。。誘拐にはならないんですよ。」

うそでしょ?そんなのってある?息子は日本で生まれて日本の国籍にもなってるのに。
あの男に誘拐されても訴えることができない???そんなことならアメリカ国籍
なんて取得しなきゃよかった。
私は一気に気が抜けてしまった。

わたし 「DVもあるんです。なんとかしてください!」と必死に訴えた。
弁護士 「DVねぇ~。。。Proofするの難しいんだよね。なかなか警察も動かないし」
    と何も解決の糸口がみつからない言い方をする。
こんな弁護士に相談するのやめた。時間と金のムダだと思った。何も分からないんだ。

その日、がっくりしながら息子のベビーカーを押しながらいろんな事を考えてた。
わたしさえ我慢すればいいのか。。。。尾てい骨がさらに痛み出し、病院に行って
レントゲンをとり、仕方なく家へと戻った。

いつか、彼が私を愛してくれる日がくる。。。。いつかきっと。。。。
私がいたらないんだ。パートナーとして一生懸命尽くせばきっと私を受け入れて
くれる。。。。その時はまだ自分に言い聞かせながら我慢していこうと決めた。

これはまだ数ある中では序の口です。それにモラルハラスメントって言葉も
知らなかった。
今週はまだ静かなので寝ている子を起こさないようにしているとこです。
だからといって私は我慢してません。

モラと共存中の人達もいると思います。なかなか抜け出せない人達へ。。。
モラには波がありますから、少し波が静まった時に自分の精神を落ち着かせ
ましょう。。。。

モラ母と私の確執 ~トラウマが克服できない

2005-02-13 17:15:23 | Moral Harassmentモラハラ
私がモラルハラスメントという言葉をはじめて知ったのは
アメリカにいる友人からのメールだった


私はいままでDaddyが私にしたDVと精神的虐待を友人に訴えてきた。
彼女が
「Bonitaさん、ここのホームページみてみて」とメールで教えてくれた。
それはモラルハラスメントのホームページだった。読んでるうちに涙と笑いが
入り混じって、「そうか、私は悪くなかったんだ。。。
Daddyはモラ男だったんだ。」
と納得した。そしてよ~く考えてみたら、私の母はモラ母で、自分は
アダルトチルドレンだと分かった。

私の母と父は私が2歳前に離婚した。原因は父の浮気で相手の女に
子供ができて母に「たのむから別れてくれ!!」と言ったらしい。
母は意地でも別れたくなかった
が、ギャンブルと酒に明け暮れ、生活費さえ入れない男に我慢できず、
慰謝料ももらわず、養育費ももらえず、離婚して母は私を7歳前まで
ひとりで育ててくれた。

父は女の子供なんて欲しくなかったのだ。病院で私が生まれた時も
「なんだ、女か」
と言ったらしい。男の子が欲しかった父だがはらました女は女児を
出産した。

離婚した後も父はよく私達のアパートに来た。一緒に夕飯食べたり、
銭湯に行ったりした。そしてアパートに泊まり親子3人で寝るのだ。
はじめこの人は私の父なのかおじさんなのかよくわからなかった。
時々泊まったり、知らないところに帰ったり。
小さかった私には離婚の意味がよく分からなかったが、
母に聞けなかった。
私は母が「右を向いてなさい」と言ったら母がいいというまでひたすら
右を向いているような
子供だった。だから「アンタは手のかからない子だわ」とよく言ってた。

しかし、赤ちゃんの頃からよく熱を出す子でしょっちゅう熱を出しては
救急車で運ばれ、保育園に入っても高熱ばかり出していて、母がその
都度仕事を休まなきゃいけなくなり、仕事も転々としながら私の
めんどうをみてくれた。その頃は愛情を受けて育っていたと思う。

が、ある日、私の父が私達の家にきた。私はテレビを
みながら、母の作る夕飯を待っていた。お腹をすかしていた私は台所
をちらちらみて様子を伺っていた。6畳一間の居間と台所の境は
くもりガラスの引き戸ドアになってる。ふと台所に目をやると
くもりガラスのドア越しにふたりの影が重なりあい、あえぎ声が
聞こえる。一体何なのかわからなくて父が母をいじめてると
思っていた。ドア越しに私は「パパ!ママをいじめてるの?」と
聞いたが、
「なんでもないよ。料理の味見してるだけ!」と言ってすぐに
居間に戻ってきた。
おかしいとは思ったが「いい子」でいたい「みてはいけない」
ものなのだと自分に言い聞かし、「味見」としょうしては台所に入り浸る
父とあえぐ母の声になんとも
いえない悪寒を感じていた。別れた父と母が台所で立位セックス
をしてるなんて信じたくなかった。

それは序章で、ある夜父はその晩泊まりたいといい、川の字
で寝ることになったが、いつも私は2人に挟まれて寝るのだが、父が、
「Bonita,今晩は暑いから、お前窓際の方で寝なよ」と促した。なんか
嫌な予感がして
「いやだ。。。暑くてもパパとママの間で寝たい」と駄々をこねた。
母が「いいから、一番端で寝なさい。」と有無を言わせない口調で
私に言った。
母に逆らえないのでしぶしぶ窓際の端に寝た。少しふてくされながら
寝たふりをした。
2人は私の様子を伺いながら、小声で「寝たか?」とぼそぼそと
言っている。
すると私の横で2人はセックスし始め、2人の世界に没頭していた。
寝たふりをしてた
私は、何とも言いがたい嫌悪感に襲われ、
「ママ!」と2人の方を向いた。
耐えられなかった。母は私をキッと睨みつけ「向こうむいてなさい!」
と言って
私の顔を殴った

その時の母の顔は母ではなく女で、今までみたことのないものすごい
形相だった。
私はその時ものすごい精神的ショックをうけた。昨日のことのように、
覚えている。
その晩私は父と母の声をききながら声を殺して泣いた。毎日その光景が
フラッシュバックされ今現在も母に殴られ、言われたことが目に焼き
ついて離れない。
その日依頼、母親と見れなくなって、私の最初のトラウマになって
しまった。

その後、私が7歳の時母が再婚した。そして義父と義兄と義姉と
義妹と一緒の生活
が始まった。当初、義理姉と義理妹は義祖母に育てられていて、
母が再婚した
頃は義父と母と義兄と私、4人の生活だった。
私と3つ違いの義兄と同じ部屋で過ごし、寝るのも一緒だった。
ある晩、寝ていると義兄が私にキスしてきて戸惑った。そして彼は
自分の身体を私に触らせようとする。
まだ7歳の私は怖いのと、何がなんだかわからない衝動に
かられ、叫び声もあげれなかった。兄はやさしかったが、
義兄の行動が理解できず、
ある晩、母に見つかり、義兄は母に何か言われたようだ。
今思えば性的虐待にあたるのかもしれない。
うやむやにされ、義姉と義妹が一緒に暮らす日がやってくる前の晩
義兄に、「お前は所詮オレ達とは血がつながってないんだよ。
お前は半分だけの家族だ」
と冷ややかに言われた。
やさしかった義兄が突然変わった。やっぱり私の居場所は
ないのかもしれないと思いこれからの生活が不安でたまらなかった。
義姉と義妹が加わり、家族6人の生活が始まった。
それは過酷な生活だった。。。。
姉妹ができ嬉しかったが、義姉も義妹も義兄も今思えばモラだった
かもしれない。
彼らの毎日のような精神的虐待に耐えれなくて、母に訴えたことも
あったが、母は私たち子供のしつけばかり神経集中していた。
母の前で本を読む。読んだ本の
あらすじを的確に答え、感想を述べなければいけない。
それがスムースにいかないと
布団たたきで容赦なくたたきつけた後ベランダにしばらく放置される。
母のやり方や母が望んでいる答えを分かっている私は布団たたきで
なぐられたことはない。
義妹は母にたてついては言う事きかない子だったので母のターゲット
になった。
1週間食事抜きをされ、学校給食だけで過ごしていた。ある晩、
胃が空っぽの義妹
は空腹の為、廊下で胃液を吐いた。義姉がすぐに起きて
、母に分からないように廊下を掃除していた。 お互いかばいあって
暮らしてきている2人をみて羨ましい
とさえおもった。 母が義妹を虐待するかわりに義姉と義妹からの
私に対する虐待はひどくなり、毎晩泣いて次の日は目を腫らして
学校へ通っていた。
彼女達のキツイ虐待に耐えれなくて、リビングの隣の和室で寝ていた
義父に泣きながら
訴えた。義姉妹は私を罵倒して、私の手首を思いっきり引っかき、
血管が切れて、血がでてきたので助けを求めて義父のところに話に
いった。その時私は中学生だった。義父は
「わかった。もう泣くな。いいから寝なさい。お父さんの所へおいで」
と言って義父は自分が寝ていた布団に私が寝れるようにスペースを空けて
くれて、父の胸の中で丸くなるように寝た。
私の精神状態はその時普通ではなかったと思う。
翌朝、母がすごい顔で私に問い詰めた。

「アンタ!お父さんとどういう関係なのよ!!」
7歳の時にトラウマになったあの鬼のような顔をした母が仁王立ちに
なってにらみ付けた。
「どういう関係も何もないよ。義姉妹にいじめられて、それで。。。」
と説明したが私が義父と同じ布団に一緒に寝ていたから疑ったのだろう。
別に義父とは何もないし、血はつながってないが父だと思っていたし、
義父だってそんなこと考えてない。
義父はかわいがってくれたし、私達、姉妹と出かけるのが好きだった。
母は「私の事は誰も愛してくれない。誰もかまってくれない。」と自分は
被害者だといつも
泣き喚いて義父と私達に訴えてきた。気にいらない事があると私に
熱湯が入ったやかんのお湯かけようとした事もある。

そして「Bonita,お前はなんでそんなに出来の悪い子なんだ。
あの子達くらい要領良く出来ないの?なんて取り柄のない子なんだ。
お前なんか叔母さんにあげりゃよかったよ。」
と高らかに笑いながら私の存在を否定したい言葉を言った。
叔母には子供が出来ず、母はいつも叔母に「Bonitaなんか
あなたにあげるわよ。私はいくらでも子供産める身体だから」と
子猫でもあげる感覚で言っていた。こんなこと言う母親は親じゃない!
そんなモラ家族に耐えられなくなり自殺未遂もした。
死ぬことばかり考えていた。誰にも相談できる相手もいなく、
高校を卒業して外語専門学校に入り、あのモラ姉妹ができない分野で
勝とうと思った。
そしてすぐにCanadaに短期留学した。逃げたかった。二度と日本に帰り
たくなくてVancouverでワーキングホリデー利用して住むつもりで
準備していた。

「Bonita~!!お願い、お母さんのところへ帰ってきて~」と
泣きながら電話かけてきた。義父は「お母さんを泣かせるな。
頼むから帰ってきておくれ。たったひとりの母じゃないか!」と訴え、
しばらく考えたが、後ろ髪ひかれる
おもいでVancouverから離れて日本に帰国した。

帰国後もモラハラ生活は変わらなかったが、母や義姉妹を無視しながら
なんとかやっていけた。留学中、ある人との出会いで自分に少し自身が
ついたからだ。
その友人とは15年以上の長い付き合いになる。

多額な負債を抱えながら義父が亡くなり会社が倒産して一家ばらばら
になった。
住んでいた屋敷もなくなり債権者に追われるのにびくびくしながら、
とっくに嫁いでいた義妹の家で世話になった。そこでもモラれて
たけど、なんとか我慢した。

「誰でもいい~、暖かいふとんと食べ物くれれば」とずっと思ってたので
Daddyがその時心の支えだった。父が死に、ビンボーになった私の
もとから友達は去り、精神的に支えてくれる人が誰も回りに
いなくなった。
Daddyだけが私を見放さずにいてくれて、その事だけは感謝した。
今思えば
ただ単に私が哀れだったからだろう。

未だに、毎日今までのことをがフラッシュバック状態で、
忘れない日はない。
いつかトラウマから開放される日が来る事を望んでる。

モラ男と共存 ~食うか食われるか

2005-02-12 17:59:01 | Moral Harassmentモラハラ
先週から引き続きDaddyのハラスメントぶりは
エスカレートしてきた
(人格障害~耐えられない日々)を読んでない人は読んでください

彼はどうにもこうにも腹の虫がおさまらない。。。。

私と出会ってから12年間、いかに自分は被害者だったと延々と毎日のように語る。
お金の事や息子の生まれた病院や日本のシステム日本人までもけなし始め、しまいに
は世の中が悪い、世界が悪い、宇宙が悪いと喚き散らす。彼をとりまくすべてが悪く、
こんな風に自分は変えられてしまったと毎日ノンストップ状態で私に5時間以上
は叫びまくる。

私は「私の耳は貝の耳~」と心の中でつぶやきながら、逆らわずにじっと我慢する。
絶対逆らってはいけない。。。。彼を無視してもいけない。
自分を押し殺しながら、ただひたすら頭の中で違う事を考える。

が、私の緊張の糸が昨日プツリと切れた。涙があふれて止まらない。。。

「泣くんならもっと泣け!このくそアマ」

昨日は給料日で機嫌は最悪。(給料日はいつも機嫌悪い)

「お前になんか今月から生活費なんてあげるもんか、1円たりともやらねぇ、光熱費と
ケーブルTVと息子のプールの引き落としのみ払ってやる。だがこの紙に明細書を書け」

とうとうここまできたか。。。。

「後はお前自分の金でやれ!オレの二千万円返せ!Bitch!!!

「その金があったら実家帰って家建てられるのに、全部お前のせいだ!」

と自分は被害者だと訴える。私をまるで詐欺よばわりする。こんな男と12年間も
過ごしてきたのかとおもうと、情けなくて、そしてなんて自分はバカだったの
だろうと自分が嫌になってきた。

去年あたりから私は家事を放棄して、掃除もあまりしなくなって、彼に作る料理は
手抜きになった。こんな男に自分を認めてもらわなくてもいいやと思ってきたから。

どんなに手の込んだ料理を作っても、フルコースを作っても彼を満足させることは
所詮不可能なのだ。チラッと料理をみては、「オレ、こんなの食いたくない」と言って
は一口も食べず、自分でサンドウィッチやコーンフレークを作って食べる。
だからといって何も用意してなければ「何もないのか?生活費ドロボー!」と喚き散らす。

とりあえず料理は用意しておく。食べたくなければ食べなくて結構。一応私は彼の為に
作ったという証拠さえあればいい。ごみ箱に捨てられても全然平気。

今朝、Daddyは息子にさえも「プールの後何か食べたかったらお前、自分の金で買え!」
と言った。息子は自分のサイフを持って私と家を出た。
先週休んだ息子のプールの振り替えで家を出られるだけで気が楽だった。
息子がプールで泳いでいる間、カフェラテを飲みながら、ぼ~っとした。
ここ一週間、お互いを罵り合い(彼が9割、私が1割)、精神的にかなり限界を感じた。
「11月まで身体が持たない。。。。このままでは食われそうだ。」

と考えながら息子の泳ぎを眺めていた。息子のクラスが終わり、息子は着替えて一目散に
私のところに走ってきた。「Mommy~」と言って熱烈なHugをしてくれる。

息子が「このクラスの子にバカやろう!て、いきなり言われた。。。」と私に
訴えてきた。
「え?なんで?」と私は息子に聞いた。「こいつ見たことない顔だからって。。。」

なんとも。。。どこに行っても息子はいろいろ言われる。
「どの子?Mommyがこらしめてやる」と息子に言ったが、かなりの子供の数で息子自身
その言った張本人がどこにいるかわからない。

家の近くのショッピングモールで息子は私にValentineのチョコレートを買って
くれた。それも自分のサイフから。。。「そんな高いのでなくていいんだよ」と
私は言ったが、大きなゴリラのチョコレート(息子は動物好きなので)
をプレゼントしてくれた。私も息子に好きなチョコレートをあげた。
彼は大喜びで満面な笑顔をくれた。この笑顔だけが私の支え。。。

家に帰ってからDaddyは今朝スピード違反で捕まった話とまた延々と
「オレ、オレ話」が続く。。。
息子がプールで「ばかやろう」と言われた話をDaddyにし始めたら、私に向かって
怒鳴り散らした。
 
「なんでお前がバカよばわりしたガキを絞めあげないんだ!」
と蛇のように睨んだ。

「どの子かわからなかったのよ。クラス違うし。。。」と言い訳したが、通じるわけない。
「プールでもこれだ!4月からの日本の小学校じゃ先が思いやられるな!どアホが!」
とまくしたて「オレが校長と話つけてビビらせてやる!Japのお前は弱すぎるんだよ」と
マフィアさながらである。外見もマフィアそのものだけど、自分と目が合っただけで
人を殴ってきた男だ。この男に怖いものはない。

今は逃げたくとも私は逃げれない。来週は親子3人で息子の精神科医に会わなきゃ
いけないし来月は弁護士とも打ち合わせやアメリカ大使館にも行かなきゃ行けない。

先ほどものすごい剣幕でDaddyが帰ってきて、きっと嫌のことがあったのだろう。。。
日本人の事をボロくそに言い始め、しまいには私が全て悪いといういつもの
話に逆戻りし、また二千万円の話をし始める。。。。

精神的にピークだがここであの男に食われてなるものか。。。ここで怒らせると
今までのことがすべてパーになる。頑張りたくないが、息子の為にやらなきゃ
ならない事が山ほどあるからモラ男と共存せざるをえない。。。

さっきまた家を出ていったので今ブログ書いてるとこです。
疲れた。。。。。。。しんどい。。。頑張りたくない。。。。。。。。

人格障害 ~耐えられない日々

2005-02-06 11:11:40 | Moral Harassmentモラハラ
「オレはお前に2千万円以上もつぎこんだのか?」

とDaddyは昨晩電卓をはじきながら怒鳴りちらした。

息子が生まれてからこの8年間、彼が私にくれた生活費を全部足してみたという。
はっきり言ってそんな額もらってない。。。別居してた時期は生活費ゼロだったし。

それに息子が小さい頃は今もらってる生活費の半分しかくれなかった。でも
そんなこと彼はすっかり忘れてる。それに彼より給料の低い旦那の奥さん
にどのくらい生活費もらってるかときいたら私がもらってる額と一緒だった。
だから別に多くもらってると思わなかった。

実は2~3日前に私がいくら預金があるか聞いてきた。
私がこのくらいかなぁと言ったら彼は絶句した。もっと私が残してるものだと
おもってたからである。「たったそれっぽちか?????」と苦悩した。

「うそついてんじゃねぇ!!!本当のこと言わないと鼻を骨折させてやる」と
イスから立ち上がり、今にもキレそうである。

会社の同僚から「Bonitaにそんなに毎月生活費あげてんのか?バカだよ」
と言われながらも「きっと息子の為に貯金してお金残してあるよ」

と私を信じてたらしい。以前お金のことでケンカになると彼はものすごく
醜くなるので、
「あなたからお金もらわない。光熱費も食費もあなたが全部管理して。
全部自分でやって!I don't wanna receive living money from
you anymore」
と毎回言ってたのに「息子にお金必要じゃん。いいからBonitaが管理しろ」
と言って話しを変える。私が誰かにDaddyは私達に1円もくれないといわれる
のが嫌なのである。外ではものすごい良い人を演じる。。。

「2千万 お前につぎ込むくらいなら僕のママにあげたかった!」

とそう言って、自分が飲んでたCoffee Cupをテーブルに投げつけCupは真っ二つに、
ありとあらゆるところにCoffeeが散り、テーブルに置いてあった私のサングラス
や化粧品などをゴミ箱に全て投げ入れた。もちろん壊れた。
あ~殴られるかもしれない。。。と思った。殴られたら警察呼ぶつもりだった。
彼はアメリカでは間違いなくJail(刑務所)行きだ。日本だとDVに関しては甘い。

息子はただ事じゃないとおもってる。しかしいつもの見慣れた光景。。。
Daddyは息子に「むこう言ってテレビみていろ!」と怒鳴った。
息子は言われるがまま、テレビを見始めた。とても何か言える雰囲気ではないし
父親には逆らえない。
私自身もう麻痺して痛みを感じなくなっている。。。一発殴ってくれれば全て終わる。

「オレは絶対お前を2度と殴らない。ママと約束したから」
と淡々と言った。

彼は自分の母親に決してわたしを殴らないと誓ったらしい。
息子が小さい頃Daddyが私を殴る度にアメリカにいる彼の母親に電話して涙ながら
に訴えてたけど、「私にはどうする事もできないわ」の一言だけだった。
彼の母親自身、死別した自分のおっとにDVを受けていた。それなのに当時は私の心境を
分かってもらえなかった。自分の息子はそんな男ではないと思いたかったに
違いない。

私が泣きじゃくったり動揺したりするのをみたくてしょうがない。
それが彼にとって楽しみのひとつだから。
だけど私は泣かなくなった。動揺もある程度抑えられるようになった。だから
余計にもっと私をいたぶりたいのだ。彼は純粋なモラではないけどかなりの
人格障害だとおもう。

彼は息子に「Come here...DaddyにHugしておくれ」と言って息子にHugをねだる。
Daddyは傷ついてる、全て息子の為にやってることなんだと息子から
同情してもらいたい。これは全て息子の前で演技しているだけ。
だけどそんな父親をみて息子はきつく父親を抱きしめてあげる。
そうすれば自分の母親のことをこれ以上怒鳴らないですむとおもってる
のかもしれない。

もし私に万が一何かあったらの為に息子にお金は残してある。それは私が病気で
死ぬか、殺された場合、息子が受け取りになっている。
アメリカにいる友達にも私との連絡が半年途絶えたら、どっかに埋められてるかも
しれないから私の遺体を捜して欲しいと以前から言ってある。それは殺意を
感じたことが何度もあったから。

。。。なんとか穏便に11月まで過ごせるのだろうか??? ムリだろうな。。。



昨晩から脅されて。。。

2005-02-04 17:48:14 | Moral Harassmentモラハラ
「オレがお前の1日を決める」

と突然Daddyが言い出した。

いや、いつもの事だけど、黙ってイスに座れといわんばかりに目で合図された。
逆らうと怖いから黙ってイスに座り、神経を集中させらた。

Daddy 「お前、明日オレが言った小学校に行って、校長に息子の入学手続き
    の話をしてこい! それと近くに不動産屋があるからお前らが
    住めそうなアパートと家賃みてこい!!」
わたし 「。。。。。。え?あんなところに不動産屋あったっけ?」
     
たしかなかったような気がする。。。しかし彼が「ある!」と言う以上、たとえ
なくても探さなきゃいけない。。。

Daddy 「この辺はすべてが高いからあの辺なら家賃安いだろうし、お前未だに
    職が見つからなく、ヒマしてんなら明日はオレが言ったとうりの
    事やっておけ!!」

わたしが逆らえるはずない。明日は友達に頼んで買ってもらったパソコンの
Software を受け取りにいかなければならない。だけど、時間を調節して
彼が言ったことをやらないと何されるかわからない。。。。。

Daddy 「明日は何か予定あるのか?どっかいくのか?」とドスのきいた声で脅す。

わたし 「な。。。ないよ。明日言われたことやっておきます。」

私が外出するのをひどく嫌がる、毎朝、午前10時と午後1時に家に電話して
私が家にいるかどうか確認する。もしいなかったら、携帯に電話してきて

「どこほっつき歩いてんだ!!何やってんだ!?Damn shit!!」
と怒鳴りちらす。。。。
そのおかげで私の友人の数は激減した。いつも彼からかかってくる携帯に
びくびくしては友人とランチするのも難しい。いつも気を張り詰めていなければ
いけないから心からリラックスできない。
息子の習い事と私の習い事がある日は家にいないのわかっているからその日は
あまり電話してこないけど、携帯の電源切ってた時に彼から電話が入ったこと
を知ったときは血の毛が引いた。その後、携帯真っ二つに折られる
ところ、必死にあやまって折られるのを防いだ。ケリも何発かいれられたか?

今朝、気合をいれて友人と短時間で会って、(友人も忙しくてあまり時間がとれ
なかった。)小学校に電話していろんな事情を説明したが、校長が今日1日不在
とのことで会えず、Daddyが言ったとうり不動産屋を探すがやはり見当たらない。

「やっぱりないのか???それとも私が見落としてるだけ」と自問自答しながら
近くのコンビニ店員に「この辺に不動産あります?」と聞いてみた。すると
「このもっと先、歩いていくとあるわよ」と教えてくれた。

だが歩けど歩けど、一向に見当たらない。。。。学校からかなり外れて、バス停も
3つくらい通り越したあたりに不動産屋を見つけた。

「あった。。。こんな遠いいの?学校の近くって言ったのに。。。」
とりあえず、窓ガラスに貼ってある物件を調べたがそんなに良い物件は
なく、安くても風呂なしだったり、キッチンがなかったり。。。

あきらめて家に帰ったらその5分後にDaddyが家に帰ってきた。げ!まだ
1時半だよ。。。ものすごい不機嫌顔で 「I have a headache!」

うわ~ぁ すごい不機嫌。。。私の緊張感はピークに達する。
彼が何か言う前に機関銃のように今日の報告をした。

すると「やっぱ不動産屋なかった。前はあったんだけどな」と小学校近く
を通ってきたらしい。あんなに歩いた私はなんだったんだ?

またコロコロと話は変わり、「この家から近くの小学校にすればいいじゃん
オレが渡米した後もここにすんでりゃいいじゃん。」と言う。
「。。。。家賃払えないよ。もっと安いとこじゃないと」と言ってみたが、
「これから10ヶ月間、お前にあげてる生活費を半分にカットして1年分の
家賃にあてるってGood Ideaだと思わないか?」

私は言葉を失って、いいか、悪いかなんて言えなかった。彼がシロといったらシロ。
生活費カットは苦しい。。。半分も??

彼曰く、とりあえず1年くらいは家賃の心配しなくていい。だけど1年後のことは
あんまり考えていない。。。。もう今日はこの話終わりにしたくて話題変えよう
としたが、延々と続く。。。運良く息子が学校から帰ってきて、太陽が差して
みえた。が、学校に今日持っていったLunch Boxをクラスに忘れてきて、怒鳴りたく
なりそうな自分を抑えた。うちの子は本当によく忘れてくる。。。

息子がMathの宿題をはじめて「Mommy~これわからない」と言うので教えてたら
あまりに出来ないので「これはこうやって~あ~違う!!これからこれ引くの」と
段々声が高くなってしまった。自分でもヤバイとおもったときには遅く、
Daddyが 
Stop it!!!
と怒鳴った。「お前らうるさい!!オレは出かける!お前ら勝手にやってろ!」
と怒鳴って家をでた。怖かったが内心これでパソコンが使えるってほっとした。
なので今ブログを書いてるとこです。
Daddyと会話してると自分が普通でなくなってくるのでそのストレスの反動で
息子に当たりたくなるのをこらえる。。。。モラ母になってたまるもんか。。。


優柔不断なわたしとモラ母

2005-02-03 10:47:30 | Moral Harassmentモラハラ
ついにX-dayのことを母に言った
X-day...11月15日を読んでみて

はは 「そんな事ばかり去年から言って。。。11月15日?またあの男ホラでしょ」
    と鼻で笑った。
わたし「それが今回本当みたいだよ。上司にも言ったし、今弁護士にわたしと
    息子の為の書類を作ってもらってるとこ。」
はは 「ふぅ~ん。。。でDaddyはアンタになんて言ってるの?ママと一緒
    に住めって言ってんでしょ?」
    彼女は私に対していつも小馬鹿にした喋り方をする。。。
わたし「う~ん、まぁそんなとこ。その方が息子のことも安心するみたい」
    私は母の反応をみたくてちょっと言葉を濁しながら言った。

母は少し考えてるのか、目線をそらした。そして

はは  「あの子はアメリカンスクールにはかよえるんでしょ?」
わたし 「それが、もう通えないんだ。4月から日本の学校に3年生
     として通わなきゃならないの。Daddyがリタイアしたら
     もうアメリカンスクール通えないよ。学費払うのムリ。」
はは  「なんて中途半端な時期なの?せめて小学校くらい卒業できたら
     良かったのに。。。」

私は家の近くの公立小学校に通わせようかと考えてるって言ったら、
「ダメよ!!!私の知り合いいっぱいいるんだから!!!」と反論してきた。。。
別に母が通うわけではないのに体裁を気にしてるのかそれとも息子の事を
恥だと思ってるのかNo!の一点張り。私のほとんどの知り合いの子供は家の
近くの公立小に通ってる。別に私は平気だし人に後ろ指さされても何を
言われてもいい。

息子が生まれた時も母は息子がDaddyに似てると散々嫌味を言い、私達が息子に
名づけた名前が気にいらなくて、変なニックネームで息子を呼んだり、ちゃんと
息子の名前を呼んでくれたのはかなり月日が経った後だった。もちろん息子の
ことは親戚にも隠して、息子が私の叔父と初めて対面したのは2年前だった。
叔父は息子のことを「かわいい、かわいい」と可愛がってくれて受け入れてくれた。
息子もそんな叔父になついた。

私は小さい頃から母に精神的虐待(Moral Harassmentモラル ハラスメント)
を受けてきた。母の一言一言がいつも胸にぐさりときて精神的に苦痛を感じて
過ごしてきた。妹に関しては幼児虐待もされて私たち兄弟姉妹がグレなかった
のが不思議なくらい。。。
そんなモラ母が嫌で一緒に住みたくないからDaddyとの暮らしを始めたのにDaddy
も実はモラ男だった。その苦痛ももうすぐ終わる。。。
その代わり、また振り出しに戻り、モラ母との生活を続けられるかどうか自身
ない。モラ母は息子まで傷つけるからだ。
だけど今の私は金銭的に生活していく余裕がない。

何も知らない私の友人達は 「Bonitaって何も悩みなさそうで、のほほ~んってしてるね」
と言う。。。。そりゃそうでしょ。。。一歩外出たら、暗い顔できないし、辛ければ
辛い程、自然と満面の笑顔で人と接する事ができてしまう。だからひとりになると
ど~っと疲れがでてくる。こういう人っていっぱいいると思うんだよね。
最近こういう女性が多いって精神科医が言っていた。

自分がこうと思ったら自分でもびっくりするくらい行動力があるのに、今は
なんとも優柔不断に陥り「あ~でもない、こ~でもない」と自分に言い訳してる。

Don't think! Just do it!!! ですよね。





Moral Harassment  モラハラな日々

2005-01-30 15:15:10 | Moral Harassmentモラハラ
朝からDaddyは爆発した。。。。。

前にも書いたけどDaddyは大のCoffeeキチガイ。朝Coffeeを飲もうとしたらポットに
お湯が入ってなくてキレた。
またもや私は昨晩お湯を沸かしてポットに入れておくのを忘れた。。。

これで何度目だろう?。。。

彼の罵声がとぶ。。。「Bonita!!!! How many times do I have to tell you!」
彼の顔はまさに鬼のようだった。その後にFワードとSワードを浴びせられながら
こんな生活もあともう少しの辛抱だと自分に言い聞かした。

Coffee一杯のために嫌というほど言葉のharassmentを受け、それを
打ち消すのに必死。Coffeeだけにかぎらず日常茶飯事だけど。。。

今では家に帰ってくる気配までカンジとれるようになって家のドアを開けたと
同時にCoffeeをテーブルに置けるようになった。もちろん熱々のDinnerも
待たずにすぐ食べれる状態にできる。それができてないと嫌味を延々と言われる。

友人達にこの事を話すと「信じられな~い」 「アメリカンぽくないね」
と言われる。

彼のようなパートナーを持ってる人達には私の事、「うんうん、よくわかるよ」
って理解してもらえるだろう。

はっきりいって子供にも良い環境とはいえない。。。息子は毎日怒鳴り声を聞かされてる。

私自身がしっかりして息子を守っていかなきゃいけない。。。

X-Day までなんとか乗り切る。。。