1日24時間、これは皆にとって同じであるが、各人、その使い方はそれこそ
千差万別であろう。
海外で長期滞在する人はたいてい無職であるが、
そういう人にとって24時間はすべて自由に使えるのだが、
見方を変えると、時間の使い方を自分で考えなくてはならない、とも言える。
自分なりに日課を決め、それを継続する。
そうしないと、退屈してしまうことになるだろう。
私の場合、チェンマイに住み着いてから、退屈という気持ちを持ったことはない。
それは、好奇心旺盛で退屈している暇がない、というのとは少し違う。
たぶん、退屈を回避するよう事前に何かしようとする習慣が身に付いた、
といった感じだろうか。
遠い日、夏休みに友達が両親の田舎の実家などに行ってしまい、寂しかったこと。
大学時代、有り余る時間を持て余し、あ~~退屈だと思ったこと。
そういう経験から、いかに退屈というのが恐ろしいことであるかを学び、
自己防衛のため、自然にそれを回避することができるようになった、
そんなふうに思うのである。
さて、その1日24時間であるが、
毎日の日課としては、スポーツジムに行くことと勉強が大きな柱である。
勉強といっても強制されたものでないので、身に付くものではない。
しょせん「お勉強」である。
「お勉強」の効用の第1はカネがかからないこと。
思い起こすと、
学生時代、試験の前は小遣いの減り方がぐっと少なくなった。
会社員時代も、社内試験や半強制的に受けさせられた外部試験があったが、
試験の直前はやはりカネを使わなかった。
無職となった今、カネがかからない時間の使い方として勉強は最適なのである。
そして、「お勉強」の第2の効用は、ときどき、いやごく稀にではあるが、
へーなるほど、そーなのか、と感心することがあり、
なんとなく、視野が広がったような気になれることである。
具体的には何を勉強しているのか、ということだが、
勉強しているうちにだんだん難しくなってくるとすぐにテーマを
変えてしまう。
前回、前々回のチェンマイ滞在時は万葉集がテーマであった。
それ以前は経済(経済「学」のほう)をテーマにしたこともある。
万葉集はおもしろかったが、こんなのいくら勉強しても何の役にも立たない
ことに気づいた。
もともと、何かに役立てようとして勉強している訳でないとはいえ、
それでも実生活に役立つ可能性のあることがらをテーマにしたほうがいいのでは
ないかと思うようになった。
で、今回のチェンマイ滞在にあたり、英語を勉強しようと思い立った。
英語は中学生で始め、その後どれだけの時間をその勉強に費やしてきただろう。
もし、その時間を法律の勉強に振り分けていたら、弁護士になれていたのでは
ないか、それほどたくさん勉強した。
シンガポールに転勤し仕事でも使ったことはあるが、悲しいほどの英語力の
まま進歩しなかった。
外国語は勉強しないとどんどん忘れていく。
ここらあたりで、勉強し直すのも悪くないだろう。
ちょうど、NHKラジオの英語講座(入門、実践ビジネス英語)がインターネットで
ストリーミング再生されるようになった。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/2007/english/business/index.html
これをPCにダウンロードして繰り返して聞こう。
(ダウンロードのためのソフト)
他には、日本に居る時にNHKテレビの講座を録画して持ってきているし、
TimeやThe Economistなどを電子辞書片手に読んでみるのもいいだろう。
その英語であるが、最近、へーそうだったんだ、と思ったことがある。
(上記、第2の効用)
Neverという単語がある。
中学生でも知っている、基本語中の基本語。
私は、このNeverという語は、単なるNotを強めただけの意味だと思ってきた。
決して~~ない、全然~~ない、と。
ところが、Neverの基本となる意味は、
これまでずっと~~ない、これからもずっと~~ない、というような
ある時間の広がりにおける否定、だという。
例えば、ボクシングでダウンした選手に、あきらめるな頑張れと言う意味では
Don't give up.というべきであり、
これをNever give up.とすると、常にあきらめるな、という意味になってしまい
この場合は適切でない。
ふ~~ん、そういうことだったのか。
こんなこと、辞書には載ってないだろうと思い、手元の電子辞書を見ると、
「単にnotの強調ではない、否定の状態が不定期の期間に及ぶことをいう」
とあるではないか。
こんな単語、いちいち辞書なんか引かないからな、と思ったりする。
だが、Never mind.という表現がある。
ちょっとしたことで謝罪したときなどに、その返答として使われたりする。
これは現時点のことを言っているのだから、時の広がりを伴う
Neverの用法と矛盾するのではないか?
結論は、Never mind.は慣用句、つまり例外的な用法だそうである。
原則と慣用(例外)、言葉は難しい。
千差万別であろう。
海外で長期滞在する人はたいてい無職であるが、
そういう人にとって24時間はすべて自由に使えるのだが、
見方を変えると、時間の使い方を自分で考えなくてはならない、とも言える。
自分なりに日課を決め、それを継続する。
そうしないと、退屈してしまうことになるだろう。
私の場合、チェンマイに住み着いてから、退屈という気持ちを持ったことはない。
それは、好奇心旺盛で退屈している暇がない、というのとは少し違う。
たぶん、退屈を回避するよう事前に何かしようとする習慣が身に付いた、
といった感じだろうか。
遠い日、夏休みに友達が両親の田舎の実家などに行ってしまい、寂しかったこと。
大学時代、有り余る時間を持て余し、あ~~退屈だと思ったこと。
そういう経験から、いかに退屈というのが恐ろしいことであるかを学び、
自己防衛のため、自然にそれを回避することができるようになった、
そんなふうに思うのである。
さて、その1日24時間であるが、
毎日の日課としては、スポーツジムに行くことと勉強が大きな柱である。
勉強といっても強制されたものでないので、身に付くものではない。
しょせん「お勉強」である。
「お勉強」の効用の第1はカネがかからないこと。
思い起こすと、
学生時代、試験の前は小遣いの減り方がぐっと少なくなった。
会社員時代も、社内試験や半強制的に受けさせられた外部試験があったが、
試験の直前はやはりカネを使わなかった。
無職となった今、カネがかからない時間の使い方として勉強は最適なのである。
そして、「お勉強」の第2の効用は、ときどき、いやごく稀にではあるが、
へーなるほど、そーなのか、と感心することがあり、
なんとなく、視野が広がったような気になれることである。
具体的には何を勉強しているのか、ということだが、
勉強しているうちにだんだん難しくなってくるとすぐにテーマを
変えてしまう。
前回、前々回のチェンマイ滞在時は万葉集がテーマであった。
それ以前は経済(経済「学」のほう)をテーマにしたこともある。
万葉集はおもしろかったが、こんなのいくら勉強しても何の役にも立たない
ことに気づいた。
もともと、何かに役立てようとして勉強している訳でないとはいえ、
それでも実生活に役立つ可能性のあることがらをテーマにしたほうがいいのでは
ないかと思うようになった。
で、今回のチェンマイ滞在にあたり、英語を勉強しようと思い立った。
英語は中学生で始め、その後どれだけの時間をその勉強に費やしてきただろう。
もし、その時間を法律の勉強に振り分けていたら、弁護士になれていたのでは
ないか、それほどたくさん勉強した。
シンガポールに転勤し仕事でも使ったことはあるが、悲しいほどの英語力の
まま進歩しなかった。
外国語は勉強しないとどんどん忘れていく。
ここらあたりで、勉強し直すのも悪くないだろう。
ちょうど、NHKラジオの英語講座(入門、実践ビジネス英語)がインターネットで
ストリーミング再生されるようになった。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/2007/english/business/index.html
これをPCにダウンロードして繰り返して聞こう。
(ダウンロードのためのソフト)
他には、日本に居る時にNHKテレビの講座を録画して持ってきているし、
TimeやThe Economistなどを電子辞書片手に読んでみるのもいいだろう。
その英語であるが、最近、へーそうだったんだ、と思ったことがある。
(上記、第2の効用)
Neverという単語がある。
中学生でも知っている、基本語中の基本語。
私は、このNeverという語は、単なるNotを強めただけの意味だと思ってきた。
決して~~ない、全然~~ない、と。
ところが、Neverの基本となる意味は、
これまでずっと~~ない、これからもずっと~~ない、というような
ある時間の広がりにおける否定、だという。
例えば、ボクシングでダウンした選手に、あきらめるな頑張れと言う意味では
Don't give up.というべきであり、
これをNever give up.とすると、常にあきらめるな、という意味になってしまい
この場合は適切でない。
ふ~~ん、そういうことだったのか。
こんなこと、辞書には載ってないだろうと思い、手元の電子辞書を見ると、
「単にnotの強調ではない、否定の状態が不定期の期間に及ぶことをいう」
とあるではないか。
こんな単語、いちいち辞書なんか引かないからな、と思ったりする。
だが、Never mind.という表現がある。
ちょっとしたことで謝罪したときなどに、その返答として使われたりする。
これは現時点のことを言っているのだから、時の広がりを伴う
Neverの用法と矛盾するのではないか?
結論は、Never mind.は慣用句、つまり例外的な用法だそうである。
原則と慣用(例外)、言葉は難しい。