ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◇ 映画『ハイヒールを履いた女』予告編 

『ハイヒールを履いた女』予告編 

 

原題は『I,ANNA』
例によって、だからなんだ?という実につまらない邦題。
原題『I,ANNA』の方が、よほど、好奇心をそそられやしないかと、思うのだけれど。
ほんと、邦題については、いい加減に真面目に考えてほしいものだ。

 

やはり、シャーロット・ランプリングの異彩は相変わらず。


シャーロット・ランプリングの印象を深く焼き付けた『THE NIGHT POTER』(邦題『愛の嵐』)から39年後の公開映画だというがが、まったくイメージは変わっていないことに驚く。

 

『ハイヒールを履いた女』(『I,ANNA』)は、サイコミステリーとでもいうのだろうか、映画の殺人事件を巡って刑事と、その場にいた女ANNNA役のシャーロット・ランプリングとの出会いの偶然には違和感がない。
しかしアンナが、独身者出会い系パーティに行くあたりから、あれ?これってなに?という感覚が湧く。しかしアンナの素振りから、観ている自分が考え過ぎかと思うほど、成り行きの展開がまっとう。

にも関わらず、どんどん、緊迫感が増していく。
孫を連れて公園へ行く下りでは、孫の赤ちゃんが描写されず、乳母車の取ってだけ、揺れるブランコには孫のキアラは乗っていない。
さすが、ええ?この描写はなんだ? 
これって刑事物じゃなくてサイコ物?と、私も感じ始める。

骨折した腕にギブスをしており、そのギブスをしいている皮膚への異常な掻痒感の描写も異様が漂う。

ラストまで、その見ている者への、振り幅は激しく、結局、観終わった後に、シャーロット・ランプリングの演技の異様性に、異彩は、『THE NIGHT POTER』を彷彿とさせられる。

 

それにしても刑事役の演出には、ちょっと疑問。
まぁ、アンナに惚れたにしても、行動が刑事として、これはないでしょという感じ。当初は啓示的直感の捜査かと思いきや、案外、普通の女に惚れ込んだストーカーまがいなんだけど、ラストで劇的なシーンの役割を担う。
ここ、ちょっと監督、脚本に、もちょっと観客を納得させるだけの演出を熟慮して欲しい。

 

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いすれにしても、シャーロット・ランプリングという女優の個性が、際だった映画だった。
彼女は年齢を重ねても、あの異様さ、冷淡さ、普通さに潜む異彩さは、まったく変わっていない。
それに、驚嘆である。

 

 

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