鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

出版界は不況を通り越して危機   出版文化の危機かメディアの変化か

2015-09-17 16:08:05 | 日記

筆者は現在『日本は近代思想をやり直せ』というタイトルの原稿を書き上げ、出版しようとあちこち折衝している。

この間出版界についていろいろな不景気な話を聞かされた。なにしろ昨今、出版界は不況を通り越して危機なんだそうだ。6月にも栗田出版販売という4番目に大きい取次店が倒産した。

出版不況という話は巷間にも知られているが、どの程度不況なのか一般にはよくわからない。新聞には毎日、本の広告があふれんばかりに載っているし、新聞雑誌の書評欄にも、さかんに書評が出ている。日本の出版文化、知的活動はなお旺盛なように見えるのだが、個別具体的、かつ商売的には成り立たない状態になっているらしいのだ。栗田の倒産はその深刻さを浮き彫りにしたようだ。

なにしろ最近の日本人は本を読まなくなったそうだ。そういえば、何年か前には電車のなかで勤め人はみな本を開いていた。日本人はさすがよく本を読むと外国人から云われものだ。それがいつの間にかマンガに変わり、最近では小型テレビのようなスマホというやつだ。電車に乗って驚くのは、まわりの皆が皆、うつむいてそれをいじくっている光景である。

筆者が書くような硬派系という本など、よほど大きな書店に行かないと置いてない。日本人の知力が落ちたと言われる現象なのだろう。さびしくも嘆かわしい限りだ。

こんなわけで堅い思想書など到底採算に合わないらしい。筆者のような横町の評論家が書いたものなど到底売れない。大学の学者達は研究費とか補助金とかがあり自腹を切らずに済むらしいが、普通は著者が自腹を切らないと出版社は持たないそうだ。

こんなわけで、筆者も折角大著を書いたが、大金を用意しないと出版の当てはない。それでもこの歳になって、著作意欲がわき、抑えがたい。現在、『サムライ精神の哲学』というタイトルで、サムライ精神について書いている。サムライ精神とは、今はなき階級に生まれ育った特殊な人格文化、精神文化であり、新渡戸稲造じゃないが、やはり今日の弛緩した日本人には有用なものではないかと直感している。

その次が『現代神としてのカネ』というタイトルで、貨幣経済のことについてどうしても書きたいと思っている。このブログに筆を運ぶことが間遠くなるばかりだ。

      蝉遠く夢もどこかのぼけ頭