滋賀県・京都府とその周辺の山と滝

比良・鈴鹿山等の滋賀の山や京都北山を中心とした、山登り・滝巡りなどを写真で綴る個人記録帳です。

2019.05.23 熊野古道中辺路(滝尻王子~伏拝王子)その2

2019-05-23 23:42:09 | 和歌山の山
峠で握り飯をほおばり、近露に下りて行く。すぐに開けて展望台があり、ここからは近露の町を見下ろせる。東屋もあって気持ちのよい場所なので、ここで昼食にすれば良かった。花咲く道をさらに下ると近露の町に下り立つ。日置川にかかる橋を渡ると「近露王子」。

※「近露王子」は、熊野九十九王子の中でも最も早い時期から設けられたという。「ちかつゆ」という地名は、花山天皇が熊野詣をされた時に、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にすると、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられている。

近露では数軒の店があり、食料・飲料の調達ができる。宿も多く、近くに温泉施設もあって、現在でも宿場町。熊野本宮大社に向かうには通常は2泊3日の行程のようで、滝尻を出発してまずはここで1泊する人が多いようだ。
わたしは飲料を調達して先を急ぐ。町の中の道は日を遮るものがなく、直射日光が肌を突き刺す。


箸折峠を越えると山腹に点在する近露の集落を望むことができます。


ウマノアシガタでしょうか


これはアズマギク?もしくは園芸種?


日置川を渡ります。ここからはしばらく車道歩き。暑さがこたえそうです。


橋を渡るとすぐに近露王子社


見上げると青モミジが眩しい


近露にある店、山形屋


隣は商店、食料品が手に入ります。


その向かいの小屋
倉庫でしょうか。良い雰囲気です。


楠山坂入口から木陰の山道となるが、ほっこりする間もなく、またすぐに車道に出る。ここからしばらくは中腹の集落の中をぬう細い車道。
右手は視界が開け、青々とした山並みが見えるが直射日光はきつい。「比曾原王子」「野中伝馬所跡」のポイントが過ぎると、次にあるのは「継桜王子社」。

※「比曾原王子」は、現在碑のみが遺されていて、昔の社祠の痕跡は見出せない。

※「継桜王子」は、熊野九十九王子社のひとつ。野中の一方杉とよばれる9本の巨杉が
境内に聳える。

今までの畑と民家から構成される里の風景から、ここはがらりと雰囲気が変わり、杉の巨木が一つの森を形成し、近寄りがたい雰囲気があるが反対に吸い込まれていきそうな、まさに神が宿る神秘的な雰囲気を醸し出している場所になっている。直径3mほどの杉の巨木が9本聳え、その中を石段が祠へ続いている。巨木に見守れながらその隙間から別世界へ導かれるような不思議さを感じる。
この巨杉群は「野中の一方杉」と言う。一方というのは枝張りが那智山の方角一方だけに伸びているからだそうである。そうだろうか?そういうことにしておこう。
この木は神社合祀で伐採の危機にさらされたが、南方熊楠の反対で残されたとのこと。
巨木が好きな私にはとても居心地が良い場所で、いつまでも身をゆだねていたいがそうもいかない。再び石段を下り、ありがとうございましたとあいさつして、再び熊野古道を本宮大社に向かって足を運ぶ。


日差しのきつい舗装道路を登るのは疲れます。でもいろんな野の花が咲いていてホッコリします。これはタツナミソウの仲間でしょうか。


次の王子は、比曾原王子


山腹の民家をつなぐ道を進むと継桜王子社です。


継桜王子


ここには野中の一方杉と呼ばれている直径が2~3mもある大杉が9本もあり壮観です。


その中でも最大の杉


ここは大杉の森で日差しが遮られホッコリするところ


古道沿いでは、茶屋店番の女性、バイクの男性、玄関先で何かを干していたご夫婦ほか、みなさん「こんにちは」と挨拶してくださる。こちらもニコッと微笑んで「こんんちは、あついですね」と返す。たったそれだけのことなのに気持ちが良い。ここの住人さんはみなさんフレンドリーで、心に余裕があるように思える。
「秀衡桜」から少し進むと、右手に掲示板があった。集落の連絡板かと思いきや、そこに掲示されていたのは滝写真の数々。いずれも写真を2枚並べて貼られ、平行に同時に2つの滝を見ると3Dに見えるというもの。それも地元の滝かと思えば、静岡県や高知県の滝まで。そして写真をご自由にお持ち帰りください、とのこと。
普通はみなさんならおそらく、なぜここで全国の滝?と思うだろうが、わたしはすぐさまなぜと思う前に、これはただ者ではないぞと思う。滝マニアの方がこの集落にいらっしゃるのだろう。何を隠そう私も滝マニアで、近年は滝に行くよりも山を登ることがメインになってはいるが、今まで結構な数の滝を訪れたし、これまた何を隠そう全国の滝のデータベースを作ってホームページで公開していたりするのである。
これはこの方とゆっくり滝談義でもしたいところだが、今日の行程はまだまだ長く、30分遅れ出発のビハインドは途中5分ビハインドまで縮めたが、今はまた15分遅れとなっている。滝談義などしようものなら何時間でもしゃべっていそうである。ここは静かに通り過ぎることにする。
掲示板を見ているときは気づかなかったのだが、家に帰ってから写真を見ると「瀑やんの滝巡り」とある。しかも掲示板の縁にはURLも記されている。「瀑やん」って聞いたことあるかも知れないと思ってHPをチェックすると、やはりネット上でお見かけする方だった。実際にはお目にかかったことはなく、ネットでもおしゃべりはしたことはなかったが、共通の知り合いもいるはずで、おそらく瀑やんも私のことを知っておられるのではないだろうか。
こんなところにその方がお住まいだったとは、びっくりである。

さてさて、熊野本宮大社へはまだまだ4つ以上の峠を越えていかなければならない。先を急ぐ。ところが「安倍晴明の腰かけ石」を過ぎると、またまた面白いものを見つけて足を止めることになった。
「ボクのオチッコ冷しコーヒー販売所」である。手作りの木製小便小僧のお○ん○んから出る冷水で飲料が冷やしてある無人販売所で、小便小僧の肩から提げられたバッグに100円をチャリンと入れて缶ジュースを買うというもの。ほのぼのとしていて思わず足を止めてしまう。
なかなかユニークな方が多い地域らしい。

道幅の狭い舗装路から、やや広い車道に出て「中川王子」を越えて進む。午後になり一日で一番暑い時間帯となった。一点の雲もない天頂からは強烈な直射日光が差し込み、アスファルトも熱せられて、上からも下からも熱気が体を襲ってくる。でも、ここでさらに遅れるわけにはいかない。足を速める。
古道の雰囲気はなく、景色も単調気味だが、谷を横断する箇所にはいくつかの小さな滝が懸かっており、清涼感は特に感じないものの、わたしにはほっこりする存在だ。高尾トンネル入口を過ぎると、すこし登りとなり右手に視界が開け、「小広王子」のある小広峠に着く。継桜王子から先には気が引かれる箇所がいくつかあったので、この区間はちょっと時間がかかって、再び30分遅れになってしまっている。

※「中川王子」は、中ノ河王子ともいわれ、現在は碑が残るのみ。

※「小広王子」は、上部が欠けた碑が残るのみ。道路建設工事で跡地も現在はない。


継桜王子横にある、とがの茶屋


秀衡桜


南の山並み
柄が面白い


こんなのがありました。


滝好きさんがこの集落におられるのでしょうか。お会いしてゆっくり滝談義したいところですが、先を急ぎます。
瀑やんさん、ネット検索してわかりました。HPやブログを見たことがありました。もしかしたらわたしのことを知っておられるかもしれません。


その先にはこんなのが……
なかなか面白い集落です。


木陰はいいのですが、照り返しのきつい舗装路は結構体力を消耗します。ちょっと足の付け根が痛くなってきました。


中川王子を過ぎると、道路沿いにいくつかの無名の小滝を見ることができます。


小広王子のある小広峠に着きました。ここからは木陰を下るのでひと息つけます。


峠を越えると日陰となりひと息つける。ショートカットの山道を下りると再び車道でトイレがあり、その先に分岐があってまっすぐ車道を行くと小広峠のバス停に行ける。ここを第2レスキューポイントに設定していたが、無事に通過。分岐を左に鋭角に折れて橋を渡ったところにある休憩所で2回目の昼食。パンとエネルギーゼリー飲料で燃料補給。

この先は人家もない深い山中の山道が続く。次の集落(発心門)までは大きな峠を3つ越えなければならない。次のレスキューポイントまでは結構な距離がある。気合いを入れて峠道を登る。「熊瀬川王子」を見て草鞋峠へ一気に登る。峠からの下りは再び石畳の古道。
谷に下ったところから本来は左折して「岩神王子」経由で進むルートなのだが、現在通行止め。迂回ルートは南側につけられ、距離的にはほとんど変わらないが、本来のルートより標高の高い峠を越えなければならない。

※「熊瀬川王子」の詳細は不明。王子間の平均距離は2km~3kmほどだが、小広王子からの距離は1kmもなく、小広王子と熊瀬川王子は同一との見方もある。

この岩上峠道は予想よりキツい道で、きっちり整備はされているものの普通の山道。古道の雰囲気がないどころか、日が差し込む区間も長く、思ったより体力を使うことになった。
この登りで久しぶりに人と会った。地元の方を除いては近露までに追い抜いた外人さん以来。峠からはトラバース気味に進み、下りとなると林道に出る。臨時の簡易トイレが設置されている。「蛇形地蔵」までもポイントとなるところもなく、面白くない風景の道。ちょっと足に疲れがみえてきているのでちょっと辛いところかも。
小さな水たまりから茶色いたくさんの蝶が一斉に飛び立つ。

下りきったところが「蛇形地蔵」。小広峠より遅れを8分縮めた。速さを競うわけではなく、あくまでも取材山旅なのだが、今は那智大社から速玉大社へと向かって移動中のYさんとは、17時までに本宮大社に着くと約束している。それ以上はYさんを長く待たせることとなるので、もしその時間に間に合いそうもなくなったら早めに連絡して、予め決めておいたレスキューポイントまで車で迎えに来てもらうことになっている。今回はそういった事情で時間制限があるので、時計を気にせざるを得ないのだ。
ここ「蛇形地蔵」は14時35分をリミットと設定していた。今は14時55分、20分のビハインド。出発が30分遅れだったので、ペースとしては10分速いが、時刻では20分遅れ、この先少しスピードアップをしなければならない。
正直この段階では熊野本宮大社に17時着は無理だろう、でも20分くらいなら待ってもらおうと考えていた。


川沿いの休憩所で2回目の昼食
その前には5本の大きなマムシグサが


少し登ると熊瀬川王子


熊野坂を登り草鞋峠を越すと、再び古道の雰囲気


橋の上からは水面に映った新緑がきれいに見えます。


なんとか蛾


迂回路は岩上峠という標高671mの峠を越えなければなりません。疲れてきた体にはかなりこたえる登りです。


上部は日差しがきつく暑さも加わります。


岩上峠から標高差380m下ると蛇形地蔵で、ここで本来の熊野古道に合流です。


「湯川集落跡」で再度エネルギー補給、「湯川王子」を取材して「三越峠」に向かう。まだまだ疲れてきたとはいえ、いつものように足が攣って芍薬甘草湯のお世話になることもなく、調子は悪くないので問題ないだろう。

※「湯川王子」は、皇族・貴紳の宿所が設けられていたとされる廃村湯川にあり、現在の社殿は、1983年に再建されたもの。

「三越峠」の関所をくぐり、下りとなる。谷に下りると足元に滝が落ちている。無名の滝だろうが、熊野古道中辺路ルート沿いに滝があるとは思っていなかったので、小広峠手前の小滝といい、これはわたしにはとてもうれしい存在。いつもなら滝を確認するために、道がなくても滝の下まで下りて、滝に正面から向かい合って対話をし写真を撮るのだが、今回は上から眺めるだけにしておく。

坂が緩やかになり、石垣だけが残る集落跡を過ぎ、崩壊地跡を進むと道は広くなる。
その先で右に下って「船玉神社」へと向かうのが通常ルートなのだが、ここも通行止め迂回となっていた。この情報はなかった。想定外。「船玉神社」と「猪鼻王子」には行けない。
迂回路はこのまま林道を進み、途中から立派な舗装路に合流してほぼ水平に発心門へと向かうもの。地図で見る限りでは高低差もあまりないし、遠回りするわけでもなさそうで、かえって時間短縮ができるのではないかと思えた。


川を渡ると湯川の集落跡があり、その奥に湯川王子社があります。


湯川から再び登りです。


登り切ったところは三越峠
関所跡があります。


峠より下ると無名の滝があります。落差10m以上ある立派な滝ですが名前はないようです。


旧集落の石垣の間を進みます。


ここで再び通行止め
迂回路に進むので、船玉神社、猪鼻王子には行けません。


迂回路は山腹に付けられた林道。高低差はあまりありませんが、距離があります。
その途中にもいくつかの滝があり、その中でも最大の滝がこの写真。見下ろすので推測ですが、落差20mほどあるように見えます。


林道から舗装路へ。写真は日陰ですが、ここは後ろから西日を受けて暑く、足も疲れ、ペースが急にダウンしてしまいました。


ところが、この道は高低差なく水平の道なので、谷と尾根をくねくねと縫っていくもので予想以上に時間がかかった。その上、舗装路に出てからは日が射し、再び上と下から体が熱せられて、急にペースダウンしてしまった。
足は動くがエネルギー不足に陥ったようだ。これはいけないと非常食のチョコやクッキーを食べようとするが、思っていたより疲れているようで、食欲がわかず、無理に食べるとかえって胃が気持ち悪くなってきた。
典型的なバテの症状だ。急激にそれが襲ってきたので、自分でもバテ始めていることに気づかなかった。気づいてもう少し前にエネルギー補給をすべきだった。
急激なペースダウンで「発心門王子」に着いたのは16時12分。湯川からここまでの区間で新たに30分の遅れを出してしまった。
この先体力が回復しても、これはどう考えても熊野本宮大社に着くのは17時半を回ることになりそう。仕方なくここでYさんにエスケープの要請を出す。「伏拝王子」に17時過ぎにに来てもらうことにする。

※「発心門王子」は熊野九十九王子の中でも格式の高い五体王子のひとつで、発心門とは「菩提心を発す門」という意味。聖域熊野本宮の入口で、以前は大鳥居が建っていたらしい。

無理矢理エネルギーゼリー飲料を摂ったので、胃が気持ち悪くて「発心門王子」をなかなかスタートできない。20分以上休んでようやく立ち上がる。
歩き出しこそ辛かったが、5分も歩くとエネルギー充填ができたおかげで、徐々に足どりが軽くなってきた。
舗装路では発心門の田園風景を眺め、山道に入るとシライトソウやフタリシズカなどの花を愛で、ペースを抑え気味で「伏拝王子」を目指す。途中木彫り工房があり、小さなスタンドギャラリーや八咫烏の道標がある。
中辺路コースは要所要所の王子や地蔵などの史跡、それに山や里の風景、そしてこういったほっこりするブレイクポイントなど、変化に富んでいてまったく飽きさせない、すばらしいコースだ。


へとへとになって発心門王子社にたどり着きました。
三越峠下まではほぼ予定通りのタイムで歩いていましたが、その後のペースダウンで予定より30分遅れです。さらにここで20分以上休憩。熊野本宮大社まで行くのは諦めました。


滝尻王子にもあった世界遺産石碑がここ発心門王子にもありました。


車で来る人も多そうです。


迎えを伏拝王子まで来てもらうことにして、ゆっくり山上の集落の中を歩きます。


シライトソウがいっぱい


木彫り工房があり、こんなギャラリーがありました。


木彫り工房前の八咫烏の道標


これは花の時期は終わっていますがウラシマソウではないでしょうか。京都や滋賀周辺ではあまり見かけませんが、今回道中多く見かけました。


「水呑王子」を通り過ぎると、一部石畳が残るところもあり雰囲気も良く、ペースも再び上がってきた。

※「水呑王子」は分校跡にひっそりあり、弘法大師が杖で地面を突いたところ、水が湧き出したと言われる王子。

伏拝集落は山上の集落、「高原霧の里」ほどではないが気持ちのよいところ。茶畑を越え、今は営業していない?売店?を越え、アザミ咲く小さな丘を登ると、そこは「伏拝王子」茶屋で、Yさんが「お疲れ様」と出迎えてくれた。

※「伏拝王子」は西から中辺路の道を通ってやってきた熊野詣での人々が、ここで初めて熊野本宮大社を望めた場所で、本宮大社に向かって伏して拝んだという王子。

体力も回復してきているので、あと30分か40分あれば熊野本宮大社に着くことはできただろうが、今日は遊びではないので仕方ない。タイムオーバー、ここで熊野古道取材歩き終了です。


山上の集落を結ぶ古道は平坦なので助かります。


マルバウツギ?


もうすぐ迎えが来ている伏拝王子です。


伏拝の集落
この先で無念、今回は熊野本宮大社まで5㎞ほどを残してリタイアです。


今回はポイントとなる王子や地蔵などの史跡と古道をメインに写真に収めた。ただ、一日中快晴で太陽高度が高く、樹林帯であっても古道にまで日が射し込んでいたため、日陰と日向とのコントラストが激しく、古道っぽいしっとり厳かな雰囲気の写真が撮れなかったのが残念。
それに雰囲気を出すために、古道や王子の石碑などは露出をマイナス補正で撮ったのが、どれもが露出適正かもしくはややオーバーになってしまっていた。
常用レンズが故障で修理に出しており、別の慣れていないレンズを使ったので、あまりこのレンズの特性がわかっていなかったのか、よく分からないが、仕事に使用する写真には補正をかける必要がありそうだ。

この仕事の企画をレギュラー化したいと考えている。それが決まれば、また小辺路や雲取越なども取材してみたいものだ。大峯奥駈道も歩きたいがちょっと企画意図から外れるので無理だろうな。


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