「サラダ記念日」を読み返していたら、
相聞歌なべて身に沁むこの夕べ一首残らず丸をつけおり
という歌を見つけました。
俵万智さんは早稲田の国文科の出身で、高校の国語の先生でもありましたので、万葉集などは専門です。でもここでいう「相聞歌」は現代でいう「恋の歌」と解釈できます。
万葉集以降の勅撰和歌集には「相聞」の部立はなくなって「恋」という部立になっていきます。互いに相手の消息を尋ね合う という意味から恋の歌 という性格だけが引き継がれていきます。相聞ときけば 恋の歌ということになっております。
俵さんが○をした相聞歌はどんなものだったのでしょうか?
愛の歌、恋の歌といわずに「相聞歌」と表したことで、味わい深い歌になった一首です。
相聞歌なべて身に沁むこの夕べ一首残らず丸をつけおり
という歌を見つけました。
俵万智さんは早稲田の国文科の出身で、高校の国語の先生でもありましたので、万葉集などは専門です。でもここでいう「相聞歌」は現代でいう「恋の歌」と解釈できます。
万葉集以降の勅撰和歌集には「相聞」の部立はなくなって「恋」という部立になっていきます。互いに相手の消息を尋ね合う という意味から恋の歌 という性格だけが引き継がれていきます。相聞ときけば 恋の歌ということになっております。
俵さんが○をした相聞歌はどんなものだったのでしょうか?
愛の歌、恋の歌といわずに「相聞歌」と表したことで、味わい深い歌になった一首です。