「tac」様 こんばんは!コメントありがどうございました。在原業平の「名をしおば・・・」の和歌はこの歌の背景を知ることによってすごく納得のいく歌です。
とてもよい機会ですので、今夜は平安のイケメン在原業平についてお話してみたいと思います。
在原業平(825-880)平城天皇の第一皇子阿保親王の第5子。母は桓武天皇の第八皇女伊都内親王。このような皇統の血筋でありながら「薬子の変」に巻き込まれて父阿保親王が左遷。親王の子どもたちはすべて「在原」の姓を賜って臣籍に下った。しかし、朝廷においては圧倒的な勢力を誇る藤原氏の風下にあることを余儀なくされた。この藤原摂関体制から疎外された代償行為としてなのか・・眉目秀麗・自由気儘な色好み・優れた歌才を風流の道にその生涯を蕩尽した。
彼の歌は華麗にして哀切な情感をたたえている。
王朝第一の色好みとされるのは、数多くの女性と浮名を立てたというのではなく常人の触れるべからざる禁断の女性に恐れ気もなく挑んでいることだからである。あえて禁忌に挑むその恋の冒険は自ら破滅することを願うかのようであり、その事の中に彼の本質があると思います。その一例は伊勢斎宮恬子内親王との情交(伊勢物語第六十九段)そしてもうひとつが二条の后藤原高子との恋。彼女は藤原長良の娘で皇族以外ではじめて摂政となった叔父良房の養女となり、将来の天皇の后となるべく「后がね」として深窓に育てられていましたが、業平と恋に落ちてしまいます。成就するわけはなく彼女は 兄たちによって引き戻され清和天皇の后となり、陽成天皇の母となります。その兄の一人は藤原基経で陽成天皇の時代の関白ですね。歴史で習ったと思いますが、皇族以外での初の関白です。藤原摂関政治の始まりです。
失意のうちに彼は東下りをするわけですが、当時、関東は「東夷」の地・・この草深い武蔵の国から下総の国へ行こうとして「すみだがわ」を渡ろうとしていると、「みやこどり」・・・ユリカモメです。という鳥をみつけ、この辺境の地で「みやこ」という名をもつなんてと彼は都、京を思い出すのです。・・・ということを踏まえて・・・
名をしおば・・都という名前をもつならば
いざ言問はん都鳥・・聞いてみたいよ都鳥よ
わが思ふ人は・・私が恋しいと思っている人は
ありやなしやと・・・今どうしているかわかりますか
ということになります。
この歌では わが思う人は伊勢にいる斎宮ではなく都にいる、二条の后高子という推測になるわけです。
余談ですが、業平は陽成天皇の時代になると急激に出世します(藤原氏ほどではありませんが)これは二条の后の力ではないか とも言われています。
二条の后はただの深窓のお姫様ではありません。その後も奔放の恋をして皇太后の地位を剥奪されています(その後復権しましたが・・・)ですので、若い頃の業平との恋も決して業平の言いなりになっていたのではないと思います。
言問・・・こととい という響きのよさとこの恋歌によって橋やお団子の名前にのこることになりました。業平も橋の名前になっていますが(こちらは隅田川ではなく)なにより町の名前として今も生きています。
とてもよい機会ですので、今夜は平安のイケメン在原業平についてお話してみたいと思います。
在原業平(825-880)平城天皇の第一皇子阿保親王の第5子。母は桓武天皇の第八皇女伊都内親王。このような皇統の血筋でありながら「薬子の変」に巻き込まれて父阿保親王が左遷。親王の子どもたちはすべて「在原」の姓を賜って臣籍に下った。しかし、朝廷においては圧倒的な勢力を誇る藤原氏の風下にあることを余儀なくされた。この藤原摂関体制から疎外された代償行為としてなのか・・眉目秀麗・自由気儘な色好み・優れた歌才を風流の道にその生涯を蕩尽した。
彼の歌は華麗にして哀切な情感をたたえている。
王朝第一の色好みとされるのは、数多くの女性と浮名を立てたというのではなく常人の触れるべからざる禁断の女性に恐れ気もなく挑んでいることだからである。あえて禁忌に挑むその恋の冒険は自ら破滅することを願うかのようであり、その事の中に彼の本質があると思います。その一例は伊勢斎宮恬子内親王との情交(伊勢物語第六十九段)そしてもうひとつが二条の后藤原高子との恋。彼女は藤原長良の娘で皇族以外ではじめて摂政となった叔父良房の養女となり、将来の天皇の后となるべく「后がね」として深窓に育てられていましたが、業平と恋に落ちてしまいます。成就するわけはなく彼女は 兄たちによって引き戻され清和天皇の后となり、陽成天皇の母となります。その兄の一人は藤原基経で陽成天皇の時代の関白ですね。歴史で習ったと思いますが、皇族以外での初の関白です。藤原摂関政治の始まりです。
失意のうちに彼は東下りをするわけですが、当時、関東は「東夷」の地・・この草深い武蔵の国から下総の国へ行こうとして「すみだがわ」を渡ろうとしていると、「みやこどり」・・・ユリカモメです。という鳥をみつけ、この辺境の地で「みやこ」という名をもつなんてと彼は都、京を思い出すのです。・・・ということを踏まえて・・・
名をしおば・・都という名前をもつならば
いざ言問はん都鳥・・聞いてみたいよ都鳥よ
わが思ふ人は・・私が恋しいと思っている人は
ありやなしやと・・・今どうしているかわかりますか
ということになります。
この歌では わが思う人は伊勢にいる斎宮ではなく都にいる、二条の后高子という推測になるわけです。
余談ですが、業平は陽成天皇の時代になると急激に出世します(藤原氏ほどではありませんが)これは二条の后の力ではないか とも言われています。
二条の后はただの深窓のお姫様ではありません。その後も奔放の恋をして皇太后の地位を剥奪されています(その後復権しましたが・・・)ですので、若い頃の業平との恋も決して業平の言いなりになっていたのではないと思います。
言問・・・こととい という響きのよさとこの恋歌によって橋やお団子の名前にのこることになりました。業平も橋の名前になっていますが(こちらは隅田川ではなく)なにより町の名前として今も生きています。