横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

日本耳鼻咽喉科学会

2011-05-19 17:10:42 | 院長ブログ

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帰りの新幹線でiPhoneから送信しました。Wi-Fiはなかなかつながらず、何回かトライしているうちに、ようやくつながりましたが、車内インターネットのサービスは、高速で移動中なのに対応する独特のシステムで、通信速度が遅く、アクセスが集中すると、つながらないとのことでした。なんとか送信できたのですが、写真がサムネイルになってしまい、今日は文字もうまく遅れませんでした。そこで帰宅後に記事を書き足しています。

今日は京都国際会館で学会です。去年の5月もこの同じ会場でアレルギー学会があったのですが、そのときは小児副鼻腔炎に関するシンポジウムのシンポジストをやらせていただいて、いつになく緊張ぎみで参加した学会でした。今回は自分の発表はなく、目一杯自分のための勉強ができます。

この学会は耳鼻科の学会の中で、最も大きな学術講演会です。

自分の知識を常に新しくしていくために、学会に出席することは、絶対に必要です。一方で学会に出席するためには、休診にしなければなりません。それでいつも悩むのですが、たいていは3日間の学会の期間のうち、最も自分に必要なプログラムのある日、1日だけ休診にして出席することが多いです。1日だけでも、朝からずっと勉強すれば、かなりの成果が得られます。また、新しい医学書や医療器械の展示も必ず行われるので、これも目的のひとつとなります。今日は本を4冊買い、いくつか新しい器械に目星をつけました。

今日は、難聴について、山口大学の山下教授の面白い講演を聞けました。

1. 子供のころにウイルス感染(おたふくなど)や外傷で受けた内耳の”傷”が、メニエール病の原因となっている可能性がある・・・メニエール病は、どうしても遺伝的な要因が見つからない病気なのです。メニエール後天説は、ミネソタのDr.パパレラらが、何十年も前にたてた仮説だそうで、最近見直されているとのことでした。Dr.パパレラは耳科学の大家で、私も20年ぐらい前にミネソタに行って、その”神の手”の手術を見せてもらったことがあります。

2. 難聴にはフリーラジカル(活性酸素)が大きく関与しているが、それに対してコエンザイムQ10が有効!

3. 老化に伴う有毛細胞の障害は、熱ショック応答の誘導で減少する。有毛細胞というのは、内耳の音を感じる感覚細胞ですが、スウェーデンのルシア祭の頭のろうそくのようなかたちの(と言って、山下教授は、下の写真と同じようなスライドを出してくれました)、毛がはえた細胞です。熱ショック応答というのは、生命の起源のころから生物が持っているという、細胞のストレスに対する防御機構です。この熱ショック応答を誘導すると、老化による難聴が予防できるとのこと。そして、よく使われる胃薬のひとつであるセルベックスにその働きがあるとのこと。胃薬で老化が予防できる!

まだ研究段階だったり、難聴の専門家以外に聞かせるため、かなり誇張したり簡略化したところもあったようですので、あわててサプリメントや胃薬を買いに行かないで下さい。

その他、今日はiPS細胞の山中教授の特別講演もおもしろかった。

明日以降も、東京医大泌尿器科の秦野教授の内視鏡手術支援システムダビンチについての講演など、面白そうなものがあるのですが、今回はあきらめて帰って来ました。

 

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京都

2011-05-18 18:52:57 | 旅行、レストラン

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明日の学会に出席するために京都に来ています。

  南禅寺の水路閣と庭園

午後時間があったので、ミニ観光。南禅寺の三門に登って写真。歌舞伎の石川五右衛門はここからの景色を見て、絶景かな絶景かなと言いますが。確かにすばらしい景色です。でも、山の木に大量の黄色い花が咲いているのが、花粉症の原因にならないのか気になります。遠目で見たところと、かすかに匂う独特のにおいは、栗の花のようなのですが。京都ってそんなに栗の木があるのでしょうか。

ググってみると、これはシイのようです。東山のシイは1961年に比べて3倍に増えており、このままでは落葉樹を駆逐して、京都の山に紅葉が見られなくなることが懸念されているとのことでした。http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/ecology/eco/eco73.html

禅林寺。南禅寺は禅林寺の南という意味で、こちらがある意味本家です。

南禅寺から禅林寺へ。ここは静けさの中に、付属の永観堂幼稚園の子どもたちの歓声だけが遠くに聞こえて、本当に落ち着けます。

さらに平安神宮まで足を伸ばしました。小吉のおみくじには、”見ずや君はあすは散りなむ花だにも力のかぎりひと時を咲く” 神様より頂いた、この大切な命を生ある限り力いっぱい花咲かせ、この世で自分に課せられた勤めを果たし心の満足を得るのが幸せである、とありました。

 平安神宮と神苑泰平閣

 

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デアゴスティーニ

2011-05-14 08:37:01 | 院長ブログ

今朝出かける用意をしながら見ていたテレビで、デアゴスティーニが取り上げられていました。いろいろなテーマの雑誌を、ときにCDやDVD、ときに全号揃えて完成する模型のパーツを付けて、毎週あるいは隔週発売する、会社です。

はじめて知ったのですが、イタリアでデアゴスティーニ社が設立されたのは、1901年、はじめは地図研究所だったとのこと。パートワーク(分冊)出版の第一号は、マルコポーロの東方見聞録だった(1959年)とのこと。歴史のある会社だったのです。

もうひとつ印象に残ったのは、日本法人のデアゴスティーニ・ジャパンの社員の大多数が女性であること。売っているのは、城の模型だとか、鉱物標本だとか、天体模型だとか、男性が欲しがりそうなものばかりなのですが、男性が企画するとひとつのことに深くのめりこみすぎて、うまくいかないとのこと。女性の方が、男性が欲しがりそうなおもちゃを、冷静に企画できるとのこと。男性の心理なんて、女性にはお見通しということですね。

私は、毎週少しずつ部品を揃えるなどというのは、ちょっと苦手なので、あまりお世話になっていませんが、クールジャズコレクションhttp://deagostini.jp/cjc/というシリーズは、だいぶ買いました。ジャズをよく聞いていたのはLPの時代だったので、CDはあまり持っておらず、懐かしい曲を効率よく揃えられて、ありがたかったのです。

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ベイスターズの先発投手

2011-05-11 17:38:44 | スポーツ

今日は雨。午前中は小学校の健康診断。昼は久しぶりにRAANI。午後はクリニック階段工事の続き。

最近ベイスターズは4連勝と好調ですが、現在の最大の問題は先発投手です。

予想されていた先発ローテーションは、三浦(3)、清水(10)、山本(オリックス:8)、大家(7)、リーチ(新外国人)、高崎(1)の6人でした。括弧内は、昨年の勝ち星です。新外国人リーチを除いた5人の合計は29勝です。優勝には80勝前後が必要です。もともと全く足りていませでした。

ところが現在、リーチは地震のあと帰国したまま戻ってこない、清水は故障、ベテランの三浦、大家は不調で、予定の6人のうち、1軍に残っているのは山本と高崎のふたりだけです。

ふた枠を、真下(高卒2年目、先日虫垂炎で入院したが、手術はせずに復帰して、昨日プロ初白星)、須田(新人。未勝利)が埋め、あとはいろいろな投手が入れ替わり立ち代わり出たり、通常中6日でローテーションするところを中4日にしたりして、凌いでいる状況です。毎日誰が先発するか、発表されるまで分かりません。

横浜ベイスターズに先発投手が足りないのは、今に始まったことではありません。1998年の優勝時の先発投手も、川村投手を除けば、三浦投手も含めて、大洋ホエールズ時代に入団した投手でした。1993年ベイスターズが誕生して18年の間に入団した生え抜き投手の二桁勝利は、川村投手(現2軍投手コーチ)が2回、吉見投手(現ロッテ)と戸叶投手がそれぞれ1回、この3人だけです。18年間でたった3人、4回だけです。これはちょっと、異常です。ドラフトの失敗なのか、育成の失敗なのか。

しかし、今期は希望があります。高卒2年目の投手が、先発で勝利をあげたのは、ベイスターズ始まって以来のことです。高崎も、まだ今期1勝ですが、安定した投球は、2002年の吉見投手以来の生え抜き二桁勝利投手の誕生を期待させます。クローザーの山口投手は逸材ですし、今期は中継ぎ投手陣が久々に揃っているし、打線もそれほど悪くないので、先発投手が勝利をあげやすくなっています。新人の須田や、田中(21歳)、阿斗里(21歳)にも期待したいと思います。

 

 

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節電

2011-05-09 08:34:59 | 院長ブログ

地震、計画停電以降クリニックで行った節電対策は、

1. エアコンの分解掃除。 効率が高まり、節電効果があるそうです。

2. 電球の多くをLED電球に交換。 クリニックを暗くするわけにはいかないので、消費電力の少ないLED電球に。

3. エアコンの出力を控えめに。

またこの夏は、午後の一番暑い時間帯(2時から3時まで)にはクリニックを開けないことも、考慮中です。

先日のブログに書いた、今後の原発への選択肢のうち、私は2.省エネ、新エネルギーの開発を進めながら、原発を減らしていき、将来は廃止することに賛成です。いずれにしても、今までのように野放図にエネルギーを使うことはやめなければなりません。

1980年には、現在の半分の発電量で賄えていたということを、今回初めて知りました。1980年といえば、私が社会人になった年です。産業で使われるエネルギーがどれぐらい増えたのかはわかりませんが、自分の家が使っていたエネルギーについては分かります。当時は、まずエアコン(クーラー:冷房専用)は一家に一台あるだけでした。テレビも一家に1台。パソコンはまだ存在していません。暖房はガスストーブが一台と電気ごたつがひとつ。お湯が使えるのは台所と風呂だけで、洗面所は水だけ。冷蔵庫は半分ぐらいの大きさ。食器洗い機はなし。洗濯機はあるが、乾燥機はなし。電子レンジはあったかどうか、憶えていません。

先日、昭和30年代(1958年ごろ)の東京を舞台にした、「3丁目の夕日」をテレビで見ました。これに出てくる子供たちは、私より7歳ぐらい上ですが、ほぼ同世代。このころ3種の神器と呼ばれていたのが、洗濯機、冷蔵庫、テレビです。この3つはまだあまり普及しておらず、これらを揃えるのが夢であった時代です。3種の神器以前に家庭で使われていた電気は、電灯とラジオと扇風機ぐらいだったのです。3種の神器の後、3Cと言って、車Car、カラーテレビ、クーラーが普及しはじめたのは、1960年代後半以降です。

電気の使い方を1958年に戻すのは不可能でも、1980年に戻すことは不可能ではない気もします。そう思うと、かなりの節電は可能です。もっともパソコンだけは手放せませんけど。

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