横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

天井桟敷と由布院の歴史

2011-05-06 05:22:39 | 旅行、レストラン

朝、階段の工事のため、鍵を開けにクリニックへ。午後はテニス。

昨日書いた、天井桟敷について補足します。天井桟敷は由布院の最も有名な旅館亀の井別荘に併設された喫茶店です。亀の井別荘は、高いし予約がなかなか取れないし、一度も泊まったことがないのですが、天井桟敷は若いころから大好きで、よく行っています。

 

江戸時代の建物の梁や柱を使って造られており、ほの暗い店内にはグレゴリオ聖歌が流れ、窓からは緑と光のあふれる庭が眺められます。2階席には、コーヒーなどが木製の手動リフトで届けられるのも面白いのですが、若いころこの2階席がお気に入りだったのはそのためではなく、本棚に昭和20年代30年代のキネマ旬報のバックナンバーがずらりと並んでいたからです。

由布院はもともと盆地の小さな農村で、昭和40年代までは温泉と言ってもひなびた宿が何軒かあるだけでした。そこに、東宝で稲垣浩監督らの助監督をしていた、亀の井別荘の跡取り中谷健太郎さんや、玉ノ湯の婿溝口薫平さんら当時20代30代の若い世代が、ヨーロッパ各地の観光地や温泉保養地を視察してまわり、和なのに欧のセンスも感じさせる宿を造って、現在のような人気温泉になったのです。

彼らは由布院にゴルフ場建設計画ができたときには反対運動を行って中止させ、自然を残した、ゴルフ場もない歓楽街もない、現在に続く由布院のイメージを確かなものにしました。湯布院映画祭、ゆふいん音楽祭を始めたのも彼らです。

彼らはまた、由布院町民の多くを占める農家を味方にすることを忘れなかったようです。観光客が来るだけでは農家の人には迷惑なだけですが、中谷さんたちは地元の農家や酪農家の人たちに名産品となるようなものを工夫してもらい、それを宿の食事で出したり、店で売ったりしました。まちづくりには行政の力も必要だったと思います。現在の由布院をつくったもう一人の立役者は岩男穎一町長ですが、岩男氏は医師でもありました。

 

コメント
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