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横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

プラド美術館

2011-06-28 22:59:09 | 絵画・音楽・文学

マドリッドのプラド美術館の所蔵品は、かつて世界一の大国であった時代のスペインの、歴代の王のコレクションです。

王朝全盛期の宮廷画家ベラスケス、王朝末期の異端の画家ゴヤ、トレドのギリシア人エル・グレコといったスペインの巨匠たちの作品の豊富なことは、言うにおよびません。

  

しかし、スペインの絵画と並んで、あるいはそれ以上に必見なのが、北方絵画のコレクションです。今のオランダ、ベルギーおよびフランス北部の一部であるネーデルランドが、スペイン・ハプスブルク家の領地だったためかも知れません。そうでなくても北方絵画は、イタリアルネサンスと並び立つような、大きな存在なのです。ボッスの快楽の園、ブリューゲルの死の勝利、ファン・デル・ウェイデンの十字架降下、等々、傑作が目白押しです。イタリアやフランスの絵画と異なる文化がそこにあります。

16世紀には、ミラノやナポリもスペイン領になり、イタリアの絵画もたくさんこの美術館にあります。

一方、スペインは、ピカソ、ダリ、ミロという現代美術の巨匠も産んでいますが、彼らはいずれもカタルーニャ地方生まれ、あるいはバルセロナ育ちです。バルセロナを中心としたカタルーニャ地方は、マドリッドを中心とするスペインの中で、異なった言語を持ち、文化も異なります。ピカソ美術館もミロ美術館もマドリッドではなく、バルセロナにあります。

 

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オルセー美術館

2011-06-26 22:21:54 | 絵画・音楽・文学

一度は行ってみたい、何度でも行ってみたい美術館 、第二弾はオルセー美術館です。またパリですが、パリは芸術の都ですから。

建物は1900年のパリ万国博覧会に合わせて建造されたオルセー駅の駅舎だったものです。1986年に美術館となり、1848年(2月革命)から1914年(第一次世界大戦)までの作品を受け持ち、それより古いものはルーヴル、新しいものはポンピドーセンターが受け持つとのことです。

したがってオルセーには、印象派(旧印象派美術館の収蔵品をすべて引き継いでいます)と、印象派に先立つ新古典主義やアカデミズム(印象派はアカデミズムに対する反発から生まれた)と、自然主義、写実主義の作品が展示されています。

私の入学した大学の入試は、一次試験(学科試験)のあと2次試験(面接のみ)がありました。面接官の教授となぜか絵の話になり、どんな絵が好きかと問われ、ゴッホが好きだった田舎の高校生の私は、生意気にも後期印象派が好きだと答えました。Post-impressionnismeは正確にはポスト印象派ですから、印象派には含まれないという意味になりますが、当時は後期印象派と訳すのが一般的でした。昨年国立新美術館で行われた展覧会も、オルセー美術館展(ポスト印象派)となっており、最近はポスト印象派と呼ぶようになっているようです。

ルーヴルの主役がモナリザなら、オルセーの主役はムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876)でしょうか。幾多の印象派の名作が揃っている中でも、このルノワールの大作は際だっています。また、日傘の女(1886)は、モネの作品の中でも好きなもののひとつです。私の若い頃のアイドル、ゴッホの作品にもいいものがあります(オーヴェールの教会:1890)。ミレー(落穂拾い:1857)やコローといった、印象派とは一線を画す自然主義の画家たちも、印象派とほぼ同時代なのは、意外な気もします。

   

アカデミズムは、印象派が登場した当時のフランス画壇の中心で、ダヴィッドやアングルの流れをくむ、美しい絵もたくさんあります。もしアカデミズムの画家たちがもう少し早く生まれていたら、評価は全く異なったかも知れません。完成度においては、印象派の画家たちより上なのです。しかし、過去の技術を洗練させただけでは、時代に置いていかれてしまうという好例でもあります。下はその代表者のひとり、ウィリアム・アドルフ・ブグローのヴィーナスの誕生(1879)。彼らは、感傷的、保守的、ブルジョア的などと批判されました。でも私はブグローもけして嫌いではありません。

印象派が好きな人は、オランジェリー美術館も必ず訪れて下さい。規模は小さいですが、名作揃いです。見物は睡蓮の間。晩年のモネが国の要請を受けて仕上げた、楕円形の部屋の壁全面が睡蓮の絵という部屋です。印象派と呼ばれる画家は多くても、フランスにとって、モネとルノワールは別格だったようです。二人とも長寿で、名声を得るとともに多くの作品を残しました。

 

 

 

 

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ルーヴル美術館

2011-06-26 19:00:03 | 絵画・音楽・文学

絵が好きで、旅行で真っ先の訪れるのは美術館です。一度は行ってみたい、何度でも行ってみたい美術館シリーズにトライしてみます。

世界一の美術館は、異論のある方もいらっしゃるとは思いますが、やはりルーヴル美術館です。所蔵物の数、展示物の数、そしてその内容、やはり他の追随を許さないというところではないでしょうか。パリのセーヌ河岸、元は宮殿だった建物ですが、ミッテラン大統領の時代に改装されて、映画ダ・ヴィンチ・コードの中でも重要な意味を持って紹介されたピラミッドが中庭にできています。

最も人気のあるのはモナリザです。私が大学に入り上京した直後に、上野の国立博物館にモナリザがやってきて、見に行きました。長時間並んでようやくモナリザの前にたどり着いても、立ち止まることは許されず、一瞬の出会いでしたが、その神秘的な微笑みは、記憶に刻みつけられました。ルーヴルでなら、人だかりはやはり多いですが、望むなら何時間も見ていられます。ダ・ヴィンチはフランスのフランソワ1世に招かれ、フランスで亡くなったのですが、モナリザもダ・ヴィンチとともにフランスに来て、以降フランスに留まっているのです。

モナリザは特別に防弾ガラス付きのケースに収められて展示されているのですが、その他のダ・ヴィンチやラファエロらのイタリアルネサンスの名画、ダヴィッド、アングル、ドラクロワに至るフランスの名画その他が、その辺の至る所に無造作に飾られ、絵画だけでも2-3日では見きれません。

     

その上、彫刻、工芸品、エジプトなどの古代美術、イスラム美術など、1週間でも見きれません。一度は行ってみたい、何度でも行ってみたい美術館の筆頭です。

 

 

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音楽の趣味のルーツ

2011-01-02 16:32:22 | 絵画・音楽・文学

今回の帰省中、古いLPも見つけました。

高校生の頃、父の知人にオーディオマニアでジャズ好きの放射線技師さんがいて、父は自宅を建てたとき、その人のアドバイスで音響を考えた部屋をつくり、オーディオセットも購入しました。スピーカーこそイギリスの少し高価なものでしたが、プレーヤー、カートリッジ、アンプはそれぞれ違う国内メーカーの一般的なものなのに、絶妙な組み合わせだったのでしょう、その部屋で聴く音楽は確かにすばらしい音でした。

その技師さんが、音楽に興味のなかった私に音楽を教えてあげようということで、3枚のLPをくれました。

1枚目はマイルスデイビスの名が冠されていますが、ソニー・ロリンズなどスターが何人も参加したセッションで、ここで目立っているのはMJQのミルト・ジャクソンとピアノのセロニアス・モンクでした。

2枚目は5拍子という変則リズムのテイク・ファイブをフューチャーしたブルーベック・カルテットのタイムアウト、アルトサックスのポール・デスモントもすばらしいのですが、ジョー・モレロのドラムには鳥肌が立ちました。

3枚目はストラヴィンスキーの春の祭典、今では歴史的名盤とも言われるこの盤は、当時は発売されたばかりでした。

それぞれ、本流のジャズ、西海岸の白人による変則ジャズ、新しいクラシック?、の例として選んでくださり、どれが好きかと問われました。私は、春の祭典も面白いとは思ったものの、ジャズの2枚はどちらも大好きになり、高校生の頃はジャズばかり聴いていました。

ジャズはウェザー・リポートぐらいまでで、新しいものはあまり知りません。今はクラシックもヴァイオリンを中心に聴くし、よいと思ったら、J-popであろうがロックであろうが、演歌であろうが聴きますが、私の音楽の趣味のルーツは、やはりこの3枚です。

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アンパンマンとやなせたかしさん

2010-11-25 00:25:05 | 絵画・音楽・文学

うちは小さな患者さんが多いので、診察室にアンパンマンがおいてあるのですが、月曜日、忙しい一日が終わってふと見ると、大小のアンパンマンが重なってトーテムポール状態になっていました。

スタッフの誰かが、仕事中のちょっとした合間にやったようです。あの忙しい日に、まだ心の余裕があったようで、こちらもほっとした気持になりました。忙しいときに、仕事に集中することはもちろん大事なのですが、その上で心に余裕がないとかえってミスが出やすいし、患者さんにやさしく接することができません。

ところで、3歳以下のお子さんの間でのアンパンマンの人気は、想像を超えたものがあるようです。顔の認識というのは、脳にとってかなり高度な働きらしいのですが、パパの顔を正しく認識できないのか、診察室で私のことを「パパ」と言ってしまうような小さい子が、アンパンマンを見ればしっかり「アンパンマン」と言うのには驚きます。

原作はやなせたかしさん。先日の日曜日にNHKの短歌の番組に出ていらっしゃったのをお見かけしましたが、91歳まだ矍鑠としていらっしゃいました。

やなせさんは、50代後半にアンパンマンを世に出す10年以上前から、小学生だった私たちには、既に有名な漫画家でした。後にガッチャマン、ハクション大魔王、ヤッターマンで有名になった吉田竜夫=タツノコプロのテレビアニメ第一作、「宇宙エース」の主題歌の作詞をやなせさんが担当されており、小学校の同級生の多くが誤解して、宇宙エースはやなせたかしさんの漫画だと主張していたのを憶えています。たしかに、そのころのお仕事は作詞やイラストの方が主だったようです。NHKのみんなのうたで、「手のひらを太陽に」などの作詞とともにご自分で絵も描かれていて、それが印象的で、子供だった私たちは有名な漫画家と認識していたのかも知れません。

やなせさんは、今は休刊してしまっている「詩とメルヘン」の編集長としても知られれています。私自身は詩に興味があったわけではないのですが、大学生のとき友人が、詩を投稿して掲載されたのを自慢していたので、その雑誌の存在を知りました。やなせさんの本分は、詩人なのかも知れません。

 

 

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