ひまわり日記 2

名古屋駅前のフリー雀荘スタッフと店の成長日記
http://ma-janghimawiri.sakura.ne.jp/

みぃでーす♪

2009-06-30 11:09:19 | Weblog
今日でひまわり卒業します☆

ひまわりで働いて02年ちょっと..

色々とあったけど今日が最後です。



これからわ麻雀をする機会が

あんまりないかもだけど



パチンコするよりわ麻雀したいと

思うようになったので



フリーデビューしちゃうかも♪




駒井サン、ゆうサン、幕サン、後藤サン・・・・・


その他の社員サンに女の子・・・



そしてひまわりのお客様・・・・・


今までありがとーございました☆★☆

なるみですっ

2009-06-29 21:00:52 | Weblog
はじめましてです

今日で入って4回目です。
まだまだ慣れなくて
毎回緊張してます!笑

でもこれから頑張って仕事覚えたり
麻雀おぼえていくんで
よろしくおねがいします


昨日から学校が豚フルで休みで
うれしいよーな悲しいよーな感じで~
ぐーたら生活してます

とりあいずセールいきたいですっ

短いですが
ここらへんにしときま~す


晴れるといーな




ぢぁーーん!!

2009-06-29 11:48:15 | Weblog

あやかどす



前書き忘れたから今書きます






つか、私ってさ






何でこんなテキトーかつ大雑把なんだろちーん





これでもA型なんだよ(笑)





社員さんにもっかい血液検査した方が
いいって言われちゃったしさ



お兄ちゃんも前入院した時に
血液検査したらB型じゃなくてAB型だったし




私も血液検査しようかな?!




てか
私もAB型が良かったんですけど!!



天才になりたかったんですけど!!!



もうどうでもいいんですけど!!!





さよなら!!!

よーこです

2009-06-28 13:29:56 | Weblog
もうそろそろ文月となります。
いよいよ夏も本番です。

部屋で座っているだけでも汗が出る。
なんて便利な天然サウナ!!・・・などとポジティブシンキングに身を委ねつつ、やはりむわっと空気にむかっとする季節です。

さて、そんな世間話で和んだところで、回想記など書いてみます。

なんとびっくり10回目です。

今をさかのぼること三年前、初一人旅、初海外の、回想日記です。



******************


2006年、7月6日。

ファームに到着。

ここでのわたしの仕事は、主に馬の世話だった。
労働力を奉仕する代わりに、衣食の保証がある。

シドニーからだいぶ北上したとはいえ、季節で言えば、まだまだ冬まっさかり。朝晩はかなり冷え込み、馬の朝の餌やりをするときは、凍りそうなほどだった。

お世辞にも綺麗とはいいがたい家。インテリア並に蜘蛛の巣がはっている。天井からぶらさがるでかい蜘蛛さながらぬいぐるみのよう。


うん・・・、きたばっかでなんですけど、帰っていいかしら。


食事は自給自足。街から遠く離れた場所にいるので、
オーナーに材料の買い出しを頼み、当番制でそれを調理していく。

あの子は美味しい唐揚げをつくった。
あの子はカレーを。
わたしは・・・。



当時の日記を読み返すと、今日は何を食べたというのはたまに書いてあるけれど、自分が作ったときの記録がない。
当番は必ずまわってくるから、何かはつくっていたはずなのに。不思議すぎる。

でもたまに、「今日はリンゴケーキをつくった」などと書いてある。
わたし作り方知らないはずなのになあ。まったくもって不思議だ。

何はともあれ、ファームでの日々は過ぎていく。


ジャージに長靴、すっぴんで、ひたすら日焼け止めをぬって、手袋をして。
雨の中、ぐしゃぐしゃなラウンドを歩き回り、ぐしゃぐしゃになったボロ(いわゆる馬糞)拾い。

台車にのせて運ぶけれど、重くて重くて、しまいには肩が上がらなくなった。

5、6人が過ごす家に、シャワーは1つ。
タンクに水をためて、お湯をわかしているので、最後のほうになると、まずお湯がでない。出るのは冷たい水ばかり。さらには水すら出なくなる。

凍死凍死とうしぃいいとつぶやきながら、シャワーを浴びた。

馬に対して、弱気をみせてはいけない。なめられるから。
などという話を聞いて、虚勢をはってみたりもした。

耳が後ろをむくと、怯えている印。
かみつくかもしれないと思って、びくびくとしていた。

馬の体を洗うときも、下手に後ろにまわると蹴られると、下手したら骨折や、命にかかわると、やっぱりおどおどと洗った。

ある日、馬に乗ったときのこと。


インストラクター、お客さん、そして最後尾にわたしがついて、山を散策していた。

途中で足をとめた馬を動かそうと、腹をけった瞬間、それは起こった。

一瞬だった。

突然、乗っていた馬が駆け出したのだ。
速歩とか、そういうレベルじゃない。
将軍様走り(わたし命名。

木々をすり抜け、道なき道を駆け下りる。
振り落とされたら、怪我じゃすまない。

ちょっとそこ、崖、がけぇえええええっつ


インストラクターが何か叫んでいる。


必死に馬の背の上でバランスを取りながら、たぶんけっこう死にそうなのに、走馬灯って、出てこないもんだなあと思ったものだ。
馬にのってるのになあと。

あとから、お客さんが、「めっちゃいい笑顔だったね」と感想をいってくれた。

いや、歯をくいしばっていただけっす。

インストラクターも、バランス力がいいね!とほめてくれた。

でも、もう二度といいです。。。。


ある日、ボス格の馬が有刺鉄線にひっかかった。暴れて、さらに食い込む。動いたために、さらに複雑に絡まり合ってしまっていた。

そんな中で、スタッフの一人は、自分に鉄線が絡まるのも恐れず、懸命にそれをほどこうとした。

馬も暴れ、鉄線が手に食い込む。
彼女はそれでも、一心不乱にとり続けた。

彼女は動物のお医者さんを目指している子だった。


馬は、かわいいと思う。
長いまつげ。つぶらな瞳。
背中にだきつくと、柔らかくて、とても、暖かい。

甘えるようにすりよってくれたときの、あのかわいさは、何より嬉しい。

くたくたになって働いた後、みなで集まって、トランプをした。
息が白くなるほどの寒さの中、外にでて、満天の星空を眺めた。

気持ち悪くなるほどの星空。
目をこらすと、流れ星がいくつも流れていった。

天の川。
星の川。いくつも、途方もない数の星が集まって、夜空を流れる川ができている。きらきらしていて、空が眩しかった。

知らず、息を止めていた。

ああ、わたしはこれがみたくてオーストラリアにきたんだ、と呆然としながら思ったものだ。

時がたつのも忘れるほど、寒さも忘れるほど、わたしたちは立ち尽くした。


さて、人間とは、状況になれるもので。

早朝の餌やりも、慣れた。
穴の空いた長靴で雨のふった広場のボロ拾い。うんちと泥の混じったエキスが長靴の中にしみこんで、えーと、これは素足で泥うんちの中を歩いているっていうんじゃないかなーとか思ったり。

部屋の中でちゅーちゅーいうネズミも、ごそごそとかけずり回るでかいゴキブリも、いやいやながらも慣れてしまった。アリが行進しているハチミツをパンにぬって食べるまでに成長した。

ただ、たまにかかってくる英語の電話では、言ったものだ。
「ああああいきゃーんとすぴーくいいんぐりーっしゅ」
「PARDON?」って返されました。

なんでかまったくもって慣れないんですねエーゴ。

オーストラリアきて、学校かよったあげくの4ヶ月目の人間の現状です。へらり。



ある日は、みんなで土ボタルを見に行った。
森を歩くと、土壁に、ぼんやりといくつもの光が現れる。

上を見上げると、満天の星。そして下にも、満天の星空のような青白いホタルが、輝いていた。


上にも下にも星空があるねって、みなできゃっきゃっしてた。





よくも悪くもいろいろあった一ヶ月。
出発のときが近づいていた。


旅立つ前は、いつもどきどきする。
長いこととどまっていた場所から出るときは特に。




カレンダーは、季節が8月になったことを示していた。






*********************************************


馬も星空も、蛍も。そのときできた友達も。
わたしにとって、とてもとて思い出深いものだったのです。

・・・ですが、それよりなにより、ある意味このオーストラリアで、もっとも思い出深い出来事がありました。

聞くも涙、語るも涙、その内容は。






超、太った。





今まで人生生きてきて、ベスト オブ 太った です。
のちに体重計ではかると、プラス8キロ。

いやいやいや。

ジャージがきつくなるって、ありえなくねーって。
当時の写真みても、あらー。ぱんぱんですわねーみたいな。



オーストラリアでは、いくつかジンクスがあります。

いわく、オーストラリアにワーキングホリデイにいくと、必ず三回恋をする。

いわく。

オーストラリアにワーキングホリデイにいくと、日本人の女の子は8キロ太る・・・。



当時のいたいけなワタクシは、そんなジンクスをかみ締めながら、輝く星空に涙を浮かべてみたものでした。

しげしげだぉー

2009-06-25 22:23:27 | Weblog
 チョリーッス←ユッキーナ気取り


 この前ぁたしの中で大事件が起きました


大学のサークルでピザパーティを部室でしたんですが、トイレ行きたいし
手がべたべただからトイレに行きたいなと思って、でも前夜になると
トイレの電気つかなかったなーと思い出し、一緒にいたАちゃんに
「電気つかないよね?」と聞いたところ、分かんないから
とりぁえず行ってみようということに


それでいってみたらやっぱりつかない


で、どうしようかと迷ってたらАちゃんが
「男子トイレ使えばいぃんじゃない?」と。


その意見にぁたしもあー、それでいっか(゜∀゜)

というノリで男子トイレへGO


まぁ一応誰かいるか確認を。。。とチラッと入り口を見たら





人がいたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





9割だれもいないだろう想定で行ってたぁたしはマヂでびびった


中の人が後輩で「何してんすか」と言ってたけどそれどころじゃなぃ
プチパニック状態のあたしはそっこうダッシュでАちゃんに
「中に人がいたーーー」と言い
2人で逃げ出し、しかしトイレはともかく手は洗いたかったので
引き返して流し台で手を洗いつつ、さっきの出来事を説明。


そしたらそこに後輩が「何してんすかっ笑」
と登場



 「違うんだって話聞いてっ」とぁたしは必死に
ことのいきさつを必死で説明


まぁ一般的意見として、後輩に「いや、何で人がいない想定でいってんすか呆笑 
ダンスの人とかいるんだから誰か入ってても
ぉかしくないでしょう」とばっさり全否定(/∀\;)


ごもっとも~と思ったけど。普通に考えたら分かること
だけども。この時のうちらは脳みそおかしかったんだね(。∀゜)




まぁめちゃくちゃ恥ずかしい体験をしてしまったわけなんですが、
この時の救いはチャック開ける前だったのと知ってる子で
弁明できたことですね



ぢゃなかったらぁたし完全なる痴女決定でしたからーーーーー



 

よーこです

2009-06-20 14:53:41 | Weblog
先日は梅雨らしく、豪雨となっておりました。
雷が鳴り響き、柄にもなく小鳩のように震えていたものです。
その理由が空腹だというところが、ちょっと残念ではあります(残念?

何はともあれ、今日も今日とて回想日記などいってみます。

2006年のはじめから、約一年間、初海外、初一人旅をしたときの思い出日記です。



*******************



さようなら、バイロンベイ。
またいつか、きっと戻ってくる。
そんな確信めいたものを胸に、わたしたちは旅支度を整えた。

朝9時40分に出発するバスを予約した。
グレイハウンドのバスがきたら、本当にさようならだ。
バスがきたら・・・バス・・・



が。

こない。


何でやねん。

30分待とうが、一時間待とうが、こない。
それでもわたしと、旅の相方Kちゃんは、じりじりとバスを待った。

何をかくそう、オーストラリアの交通事情は、国民性同様、とてもラフだ。
30分の遅刻はざらで、電車にいたっては、毎日がタイムトラベルといっても過言ではない。

たとえば、シドニーの駅のホームでは、時刻案内が表示される。

「あと**分で電車がきます」という表示だ。

「あと3分で電車がきます」との表示に安心してはいけない。
一瞬顔をそらし、再び表示を目にすると、「あと20分で電車がきます」。

なんでやねんと思いながらため息をついて、また視線を戻すと、「あと1分で電車がきます」。

ほんとなんでやねん。

そんな毎日だったので、バスの時刻がずれることなど予想済み。
とはいえ、さすがに2時間もこないなんておかしい。
バス会社に連絡しても、「確かに通っているはずですけど」と、なしのつぶて。


「なんでこないんだろうねえ」
「そうだよね~。他の会社のバスなら何回か通ってるけど・・・プレミアムとか、MCなんたらとか・・・」
「もしかしてそれだったりして」
「だってグレハンって表示なかったじゃん」
「そうだよね~」



それでした。
MCなんたらってバスが、グレイハウンドのバスでした。

後で聞いた話によると、バスの横面にでっかくMCなんたらって表記がされていて、バスの正面に、「グレイハウンド」って表記があったらしい。


見えないっちゅーねん。
まぎらわしいっちゅーねん。

結局12時に再びバスがきて、運転手のおっちゃんに事情を話したら、のせてってくれるとのこと。

ラッキ。

そして午後4時。
わたしたちは、ようやく日本人率NO1(当社比)のサーファーズパラダイスに到着した。

バスから降りた瞬間、驚いた。
暑い。
というよりも、日差しが強い。今この同じ時期で、シドニーではコートを着る生活だというのに。

さすがオーストラリア。

今回の宿は、バスストップの宿案内所のところにあったひとつ。
リンカーンで迎えにきてくれるという文章にひかれ、決定。

宿自体はごく普通のバッパーだったけれど、リンカーンで迎え、というのは面白かった。

荷物を置いて、さっそく町をぶらつく。
う~ん、日本人がごっつ多いわあ。というか、アジア人の比率、すごく多いんじゃないかな。
ショッピング街をぶらぶらしていても、歩けば日本人にあたる、という勢い。

名前の通り、サーファーが集まる町。
ビーチにそうように近代的な街がある。
といっても、シドニーほどビジネスチックではない。ショッピングとレジャーの街、という印象がある。

超巨大マーケット、カラーラマーケットなどに行き、そうしてわたしはサーフィンの三日間スクールを申し込んだ。


日本人講師だというふれこみだったので、安心していたら、受講生八名くらいいまして、日本人わたし一人。
インストラクター二人のうち、一人は確かに日本人だったんですけども、当然英語なのね。民主主義なんて嫌いだ。

まあオーストラリアですからね!そらそーですよね!とか思いながらも、先生の話に耳を傾ける。

さて、説明も一通り終わり、さっそく実践。

「さあ、やっておいで!」

隣の人と距離をおいて、わたしも駆け出す。


ぱしゃぱしゃと泳いでいってー
いい波がきたと思ったらー・・・よいしょ!

お、のれた、のれた!
すごい、不思議な感覚。波にのるって・・・なんだろう。こんな感覚、はじめてだ!

一瞬の感動。

そしてドボン。

げほげほげほっつ

つ、辛・・・っ。でも、おもしろーい。

サーフィンは、挑戦してみると、意外と難しい。
サーフボードは予想以上に重く、柔らかい砂は足もとを簡単に沈める。一歩一歩歩いていくのも、かなりしんどい。
映画でよくみるような、波の間を通り抜けるような技は、プロでも難しいのだそう。

それでも、あの、波の上にのった感覚。
泳いでいるときとは全然違う、まるで雲の上にいるようなあの感覚に魅せられて、サーフィンをやる人もいるんじゃないだろうか。


さて、サーフィンスクールの間にも、ちょこちょこと街に出かけるわたし。
サーファーズパラダイスにある、ナビツアー(日本人エージェントの大手支店)にも顔を出し、二つの張り紙に目をとめる。


「ファームステイの募集」

ホースライジング・・・乗馬のファームか。
条件は、フリアコフリーミール(フリーアコモデーション=宿代ただ。労働力奉仕する代わりに、食住を保証してくれるってことです)。

ふーん。ちょっとやってみたいなあ。

などと思いながら、ちらりと隣を見ると



「麻雀」



・・・・。



・・・・何?


「麻雀する人募集してまーす」



・・・何?


オーストラリアまできて?
麻雀?

しかもわざわざ募集?

そりゃ、日本よりもやれないだろうけどさ。
だけど、募集なんて。わざわざしなくてもいいのに。
連絡先まで書いちゃってさ。まじですかねこの人たちは。あはは。


ぴっぽっぱ♪

「あ、もしもしー。よーこっていいまーす☆ 張り紙みたんですけどー。麻雀やりたいんですけどー(てへ☆」


電話するほうもするほうだ。

んで、行ってみた。

行った場所は、シティからはまた少し離れた場所の、とある家。
集まっていたのは、だいたい同年代の人たちだった。
麻雀をやりながら、話を聞く。
それぞれ日本からオーストラリアにやってきて、旅をして、いろいろなものを見てきた。
バイロンベイにも行ったことがあるという。
日本風の飾りを内職して、売り買いして生計をたてていたとか。

彼らはまた彼らなりのオーストラリアを歩いている。
少し胸に残る話をしながら、初日はなんだかんだで8$の負け。

そして二回目にして最後の麻雀。


徹マン。


33$勝ち。ほっほーい。


そして、サーファーズパラダイスに到着して、三日が経過しようとしていた。


それは突然だった。



「うち、日本に帰らなあかん」
Kちゃんが言った。
「え?」


思わず、あっけにとられた顔で彼女を見た。

家の事情での、緊急帰国。
明日にはブリスベンにいって、飛行機のチケットがとれ次第、帰国しなければならない。
動揺する内心を押し隠し、上ずった声でわたしは聞いた。

「でも、また帰ってくるんでしょう? また、旅するよね?」
「したいねんけど・・・」


わからない。帰ってみないことには、わからない、と彼女は言った。
一緒にブルームの月の階段を見ようって言ったのに。

いつのまにか、Kちゃんが一緒にいるという安心と、居心地のよさになれてしまっていた。

わたしは言った。


「わたし、サーファーズから少し離れたところで、ファームステイするよ」
「ファームステイ?」
「うん、募集の張り紙見つけたんだ。カランビンってところで、ファームステイ。一ヶ月ぐらい、する。Kちゃん、戻ってくるかもしれないんでしょう? だったら、もしかしたら、わたしのファームステイが終わるころにKちゃんが帰ってくるかもしれない、そうしたらまた一緒に旅しようよ」

彼女は笑った。
そうできたらいいね、といってくれた。

そうして翌日。
Kちゃんはブリスベンへと旅だった。

わたしは最後のスクールに行き、そうして街をぶらつき、一人、宿へ戻った。

そういえば、と思う。

オーストラリアにきて以来、かもしれない。おかえりがない部屋に帰るのは。

シドニーで、シェアハウスを探して、仲良くもない、まったくの見知らぬ他人と暮らすという、初めての経験をした。しかも言葉の通じない韓国の女の子だ。

英語もマックスできないわたし。

何を話していいのかもわからない、気を遣う毎日も、お互いに仲良くなり、いろいろな話をして、そうして帰ってきたら誰かがいるという安心さに変わった。

旅をしてからは、Kちゃんがいた。
お互いが単独行動が好きで、一人でぶらつくことも多かったけれど、宿に戻ったら、どちらかがいて。

「あ、おかえりー」


その一言が、すごく嬉しかった。
今日、こんなことがあったんだよって、話すことが、楽しかった。
家族でもない、他人と暮らすということ。

それはいろいろあったけれど。

想像でもできなかった毎日は、大事な日々になった。



Kちゃんは、結局再びオーストラリアに帰ってくることはなかった。
それでも当時のわたしは、また彼女とこの地での再会を夢見て、その日は眠った。



カランビンのファームに電話をすると、男の人が電話に出た。

「hello?」
「あ、あの・・・」
「ああ、こんにちは」
「ナビツアーにあった張り紙を見たんですけど」
「ああ、いつからこれる?」
「明日とか・・・」
「いいですよ。明日、迎えの人間をやるので、きてください」






うわーあっさりんこ。



ま、オーストラリアらしいか。

広くなった部屋を見渡す。

そうしてわたしは、もう何度目かも忘れた荷造りを始めたのだった。






*****************

というわけでした。
他人と暮らすことって大変だけど、楽しいです。

とくに初対面の人と暮らす場合は、相性が結局ものをいいますが、はじめはOからのスタート。
お互いなんとなく、さぐりさぐり。

ためいきをついたり、一人でいるときにほっとしたり。
それでもいつかその人が大事な人になることもある。


オーストラリアで学んだことのひとつです。






まいデス(*^_^*)

2009-06-15 23:37:40 | Weblog
はじめましてーまいデス

ひまわりに来てヶ月になります

まだまだ麻雀勉強中ですが、

最近 本走に入らせてもらって

日々がんばってます

まだ②半人前ですが。。。

よろしくお願いしますっ

暖かく見守ってください

あさかですー

2009-06-15 09:03:59 | Weblog
お久しぶりです



この前巷で噂のエヴァ携帯を予約してきました!!



朝一でドコモショップに並んで開店と同時にかカウンターで受付をしてもらったんですが、予約開始数秒後








どこもショップの予約サーバーが完全に落ちて予約できず…!!




一応仮予約だけしてきました!











でもやっぱり取れてないと不安だった私…



近くの量販店に走って新たに予約を試みた結果














あっさり予約できました笑









あまりの嬉しさにみんなに報告したら携帯に10万なんて(笑)って馬鹿にされましたよ





しょうがないじゃない!好きなんだもん!





このために携帯ドコモに変えたんだから!!笑







発売までエヴァのためにひまわりで頑張ります


















よーこです

2009-06-14 17:04:54 | Weblog
おなかがすきました。
そんなときに安価で便利なコンビニがある。
まったくもって、すばらしき日本。

というわけで、早速回想日記などいってみます。
三年前、オーストラリアで一人旅をしていたときの日記です。

もはや何回書いたことか、続き物シリーズになっています。
もうええわ、などど言わず、飛ばし読みなどでよろしくお願いいたします。

***********



BAYRON BAY。

数あるオーストラリアの思い出の中で、今でも尚、まぶたを閉じると鮮明に思い出す。

目に染み入るような夕焼けを。
みなが集まった岩場を。
鏡のように太陽を反射するビーチを。

はじめて、強く、自分が自然の中にいると感じたあの場所を。


バイロンベイ。
その名前を初めて聞いたのは、いつの、誰からだっただろう。

音楽の町。
アーティストの町。
サーファーの町。
マリファナの町。

シドニーにいる間も、旅の途中も。
その名前は何度か耳にした。

「絶対、おすすめだよ!」


まだ何も知らない時期。
シドニーからいろいろとお世話になったTAKKさんが、そう教えてくれた。

はじめての連れ、Kちゃんと旅をするきっかけになったのも、この町だった。

「バイロンベイに行きたい」

ぽろりともらした言葉。

「うちも行きたい」

だったら、一緒に旅しない?
そんな流れがあって、そうしてわたしたちは動き出した。


2006年、6月15日。

わたしたちは、念願の町にたどりついた。

バイロンは、どこかそれまでの町と違っていた。
「異国の町」の匂いがする。
当然、これまでもわたしたちは「異国」を旅していたのだけれど、この町は、ある意味本の、物語の中で出てくるような場所だったのだ。

バス停についたわたしたちを迎えたのは、ここでもやはり、宿の勧誘スタッフたちだった。

その中のひとつ、「Arts Factory」の看板の前で足をとめる。
そこは、バイロンに行くなら是非この宿がいい!と、何人かの友人たちに進められたところだった。

町の中心からは少し外れてはいるが、そこはまるでひとつの村のようだった。

木に囲まれたアーツファクトリー。

広いキャンプサイトがあり、コテージのような宿がある。
バーがあり、シネマがあり、カルチャースクールができるステージがあった。
その予定表をみると、ヨガや、ダンス・・・む。居合道がある。

思わず扉をたたく。

すいませーん。ちょっとやってみてもいいですか?
……あ、一時間$10。ぐ。た、高………いやいや。やってみたいもの。払うさ。やります。お願いしまーす。

居合道。
字、そのもの。まさに「居合」だ。
剣をぬき、踏み込む。

学生時代、合気道を学ぶ一環として、剣術もほんのすこしだけやった。
木刀は意外なほど重くて、まっすぐふれないわ手がしびれるわ、姿勢が悪いと怒られるわ、ウケ損ねて頭にウケるわ。剣をウケずにみなにウケた。な記憶がある。

それでもうまく剣と剣が重なった瞬間、ときたま、カンっつと、小気味のいい音を出せるときがあり、あの感覚が好きだった。

きんと張り詰めた空気。

ここでの先生は、異国の人で、日本語で教えてくれるわけではない。
それでも、同じ武道だからだろうか、単語がわからなくても、文章がわからなくても、なんとなく、意味がわかる。師範の言葉と重なる。

久しぶりの稽古に、少し日本を懐かしく思い出した。

そんなときに、同じバッパーに泊まっている日本人の男の子と知り合った。

商魂たくましいその子の名前は、I。

「日本人だー。どこからきたんですかー?」
「三重ー」
「おー。わたし愛知なんですよー。大学とかしってたりしてー」
「**大学だけど……」



って、後輩じゃん!


しかも彼が専攻していた学科の先生が、わが合気道部の顧問だというから、面白い。



さて、バイロンにはライトハウスというところがある。
オーストラリア最東端に位置する灯台だ。
夕焼け、朝焼けツアーがいたるところで開催されているが、お勧めなのは絶対に徒歩!

かなり距離があるけれど、途中も絶好の散歩コース。ライトハウスまでの坂道(山道?)も、じっくり歩いたほうが気持ちいいと思う。

イルカはそこかしこにいるし、運がよければ鯨も見える。

ライトハウスまで登って、おいしいおいしいアイスを食べて、カプチーノを飲んで、再び町までくだる。


・・・・あー。帰りはちみっとしんどいなこりゃ。

結局最後のほうはぜいぜい言いながらビーチまで戻り、水着に着替えて海へ!

波がちょっと高いけれど、なれると楽しい。
聞いた話によると、バイロンの波は三角なのだそう。
だから、サーファーが集まるのだという。

海で思う存分ぱしゃぱしゃして、気がすんだわたしたちは、ビーチに上がり、そうしてふと、気づいた。

岩場から、音がする。

オーストラリアの先住民族の、アボリジニーのような格好をしたおじさんたち。女の子。
白人のおじいさん。

みな思い思いにタイコをたたき、ギターをひき、いろいろな楽器を奏ではじめた。


うわ、すごい、楽しそう・・・・!!!

わたしはしばらく、時間がたつのも忘れて彼らを見ていた。


足が動きかける。頭の中を、ぐるぐると思考が回転する。

やりたい。でも……、いや、このまま大人しく宿に帰ったほうがいいじゃん。何の問題もなく、宿に戻って、いい思い出としてしまっておけばいいじゃない。

でも、待って。後悔する。話しかけなきゃ、後悔する。

やらずに後悔するよりは、やって後悔したほうがいい!


葛藤をたちきったのは、一瞬だった。

オーストラリアに行くことを決めたときの感覚がよみがえる。


「Excuse me!」


わたしも、仲間にいれてください!


いっぱいいっぱいだったわたしの言葉に、彼らは、何の気なしにうなずいた。
もちろんどうぞ。と。

あっさりと、まるで、仲間にいうように。

アボリジニーみたいだと思った人は、ワン、といった。
インドネシア出身の人だという。
とんがり帽子に、長いちりちりの髪。日に焼けた顔。優しい目。

竜の形をした、自作のディジュリドゥを吹いた。
生まれたときからやっているような風なのに、実はまだはじめて間もないのだという。

そばにいた女のひとは、I美さんといった。
日本の女の人だった。

ワンさんと、まるで親子か兄弟のように似ている。
笑顔がすごくすごくステキな人。

2人がタイコをたたき出す。
そのリズムに合わせて、みながギターを、ディジュリドゥを、フルートを奏で出す。

まるでリズムもわからないわたしに、ワンさんはタイコをひとつ貸してくれ、好きなようにたたきな、といった。

みなに合わせて、小さく、そしてだんだん大きくたたきだす。

タイコをたたく振動が、腹にずんと響く。

顔をあげると、I美さんが笑う。
わたしも笑う。

風が頬にあたる。
岩場からは、夕焼けが見えた。
波が満ちゆくビーチが。
光の筋が。
大きな空が。

この感覚を、何ていえばいいんだろう。
自然を感じた。

自分が自然の中にいるんだって、このときはじめて、強く感じた。
それはとても不思議な、そして大きな感動だった。


彼らは、別に特に約束をして集まったわけではないのだという。
ワンさんはいった。
夕陽が綺麗なとき、自分たちはここにくるんだよ、と。


そうしてわたしは、そのタイコが、ジャンベという名前をもつことを教えてもらった。




わたしたちがバイロンベイにいたのは二週間ほどだったけれど、その中で晴れていたのは、ほんとうに数日間のことだった。
今思えば、ついたすぐに海に泳ぎにいっていてよかったと思う。

それからまもなく天気がくずれ、豪雨になることも珍しくなかった。
気温は冷え込み、防寒する必要があった。



ある日、Kちゃんと2人して、バイロンの教会にいった。
いわゆる「善意の食事」があると聞いたのだ。

行ってみて、驚いた。
予想以上に豪華。肉はなかったけれど、サラダも主食も、デザートまであった。
テラスにテーブルやイスが並び、みな楽しそうに食事をしている。
まるでレストランのようだ。

Iがいう。

日本で、こんなことをしたら、はたして同じように人が集まるのだろうか?「ほどこしを受ける」と、「恥」と思って、こないのではないだろうか。


バイロンの教会で。

子どもが、若い男女が、旅人が、年配の方が、みな穏やかに談笑している。

どうなんだろう、と思う。何にしろ、この国は、オープンなことが多い。


雨の日の合間をぬって、わたしたちはいろいろなところに出かけた。

ワンさんとI美さんに誘われて、バンガローマーケットへ行った。
ヒッピーたちが集まるパーティへ。

モンゴルのパオみたいな家の中で、お香の匂いがたちこめる。
明かりはろうそくだ。

ジャンベやディジュをはじめとする、さまざまな楽器が並べられ、みなが好きなものをとっていく。

誰かがギターを鳴らすと、あわせるようにジャンベが叩かれる。
そうしてディジュが、木琴の音が呼応する。

綺麗な女の人が、前にでる。
透き通るような歌声が流れ出る。
男のひとが、地の底から響くような声で、呪文なような言葉をつむぎだす。




本の中に迷い込んだみたいだ。




そんな感動をしながら、わたしはマラカスをとって、ひとりほくそ笑む。


そーれチャッチャッチャ。



ある日は、ニンビンという、バイロンから少し離れた町にも行った。

Kちゃんと2人、歩いていると、おじさんに声をかけられた。


「ミチクサ?」



ミチクサ・・・いやま、そりゃ、ぶらぶら歩いてるだけだから、道草といったら道草くってるのかもしれないけど、変な日本語を知っているなあ。


「YES、YES、MICHIKUSAアルヨー」


うなずくと、彼はこそこそと懐から何やらとりだす。

ちらりと見て、慌てて首をふる。


いや、草は草だけど、そっちの草ですか!






そんな毎日を過ごしながら、いつのまにか二週間がたっていた。

ある日、Kちゃんが言った。




「そろそろ、行く?」



予想外の言葉を耳にした気がした。
いつまでもいるような気がしたのだ。

そう思ったとき、それがまたわたしを驚かせた。

旅をやめて、ずっとここに住んでもいいと思いはじめていたのだと。

ワンさんたちと演奏するのが楽しい。
せっかくリズムを覚えてきたのに。
名前を読んでくれるようになったのに。


けれど、旅をしたい。
見たいところが、行きたいところがある。

期限ぎりぎりまでここにとどまって、そうすることで得るものがあるだろう。
でも、旅をしなければ見れないものが、まだ、まだたくさんある。




迷って迷って、そうして、わたしたちは旅立つことにした。



ラストナイト。6月30日。



最後のセッション。
歌をうたった。日本語で、めちゃくちゃな歌詞をつけて。

I美さんがいった。


「人間って、水なんだよ」


いいことば、きれいなもの、たくさんみて、きいて、吸収するんだよ。



「またどっかで会えるだろうから、寂しくないやん」


Kちゃんがいう。

あっけらかんとした言葉に、なぜかそんな気がしてくる。


また、きっと会える。




そうして7月1日。


わたしたちは、次の町へと旅立ったのだった。







****************




というわけでした。



ああおなかがすきました。

もはや腹どころか、頭の中もからっぽです・・・・。


やよいっくす。誕生日は前夜祭と後夜祭があると思います。

2009-06-12 07:15:01 | Weblog
このあいだ、
以前働いてた職場の仲良い人々と
誕生日パーティしてきました。



いい年こいて誕生日パーティです!!



メインは昔の上司だったんですが、
気づけばあたしの分のケーキまで!
あんw カンドーーゥ!


こっちがあたしの。
リラックマ大好き♪
このケーキ屋さん絵がすごいうまいよね!
ドラゴンボールすごいうまいもん!!



飾りつけもばっちりなんです。
毎年パーティしてるから使いまわしてるけど
2年ものですw


今は、みんなそれぞれ違う仕事してるけど
毎回ちょこちょこ集まっては
パーティしてのんだくれてるいい友達です。
最近は、運転手することが多いので
だーだーに飲まなくなったけど酒宴はたのしいね~
でもたまにはお酒のみたーーーーーい!
何飲む??辛いの好き。ちびちびいけるのがいいよね。
芋とか、かーってくて鼻からすーって抜けるあの感覚たまんなくない?
うぃ。あはは


最近の出来事。
こないだ映画みてきた。
天使と悪魔 
ダヴィンチコードの続きっつうかシリーズみたいなやつ。
面白いねーー。どんどんシリーズ化希望~

りえちゃんとご飯してきた
寿司ってきた。カニカニにくにくいってたわりにさっぱりとスシ!
そのあとコメダいってだらだらしてきました


今後の予定は、
GOEMONみたーい。映像美を!!
しゃぶしゃぶ祭り×2回
わたし誕生日なんで誕生日会