真夏日、という単語もしばしば耳にするようになった今日この頃。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、お久しぶりの過去日記などいってみます。
3年前、初海外、初一人旅をしたオーストラリアでの、回想日記です。
*********************
シドニーを出発してから、二つ目に訪れた町、ポートマッコーリ。
長距離バスから降りたって、まず感動したものがある。
オーストラリアで勢力を二分する大手スーパーの一つ、コールスが24時間営業。
ピザーラやドミノピザもあったのだ。
前回の町があまりに閑散としていたせいで、わたしと旅の相棒、Kちゃんはそれだけでひどく感動したものだ。
さて、バス停には、何人かの宿の客引きがきていた。
オーストラリアでは、長距離バスで移動する旅人が多いので、バスの到着時間がくると、たいてい宿のスタッフが、客引きにやってくるのだ。
わたしたちはその中の一つ、「Ozzy Pozzy」という宿に泊まることにした。
オーナーは、ゆっくりと話してくれるおじーちゃん。彼の運転する車にのって、わたしたちは宿にたどりついた。
部屋はコテージ風に独立している四人部屋で、他の泊まり客がいなかったため、独占状態。けれど暖房もなく、トイレもシャワーも外にある。
当時の季節は、6月。オーストラリアでは冬の時期。まだシドニーから離れていないこの位置では気温も低い。う~む。寒い……。
天気がいいのが救いだ。
荷物を置いて、わたしたちは町を散策することにした。
オーストラリアの東側は、海岸沿いの町が主で、だいたいどの町も海がすぐ近くにある。
特に目的もなく、海を見失わないように、海岸にそって歩く。
風が気持ちいい、散歩日和のこの日。
波打ち際で、ブギーボートで遊ぶ人たち。寒そうなのによくやるわ~と思いつつ、楽しそう。
途中で、食べ物専門の安いスーパーを見つけ、なぜかパンプキンを購入。1キロ50C(50円)で、かなりお得。
煮物にしてみると、ちょっと甘みがたりないけど、なかなか美味だった。
海を見て、波の音と鳥の声を聞いて、目的もなくぶらぶらと歩く。
散歩は楽しかった。
ポートマッコーリは、穏やかでいい街だった。
他愛もなく会話をしていたそのとき、一台の車がわたしたちのそばを通った。
若者四人組。
通り間際に、彼らが何かを行った。
「××××!!!」
よく聞き取れず、実際意味は、いまいちわからなかった。
たとえばそれは、「へい、彼女!」とか「やあ!」みたいな挨拶だったかもしれない。
だけど口調的に、たぶん侮辱的なものだったような気がする。
気のせいだと思いながらも、悪意のような棘が、あざ笑うかのような笑い声が、耳の奥に残った。
このオーストラリアで、アジア人が差別されるという話はよく聞く。
日本人限定で差別されることもある。
日本は、オーストラリアの歴史がはじまって以来、唯一オーストラリアに攻撃を、爆撃を届かせた国なのだ。
恥ずかしながらわたしは、この地にくるまでそんなことを知らなかった。
何人もの日本人がこの地で亡くなったことも。
日本人墓地があることも。
そしてそこが荒らされたと、わたしがいる間にも、ニュースで流された。
かつての戦争。わたしがまだ生まれる前の、いまだに禍根が続く出来事。
わたしがシドニーで知り合った友人は、オーストラリアの田舎を旅していたとき、生卵をぶつけられたと言った。
彼は怒るより、悲しくなったといった。
何故だろう。
関係ないとはいわない。それでも何故、だ。
日本人さ。
戦争をした、同じ日本人さ。でもわたしたちが何をした? わたしが、あなたたちに何をした?
仲良くしようと思うのは、悪いことなのだろうか。
ずっと憎まれなければいけないのだろうか。
そうして、お互いに嫌い続けるのだろうか。
かつてシドニーの学校で、先生が言った。
「アンザックDAYは、日本人は出歩かないほうがいいよ」
「何故」、と誰かが聞いた。
「日本人だとわかると、攻撃されるかもしれないからね」
わたしは幸いなことに、そこまで差別にあわなかった。
みな優しかった。
差別するような人ばかりじゃない。
むしろ少数だと思う。
そして日本の中でも、特定の国に対する差別意識があることは知っている。
悲しむよりも、怒るよりも、どうしてだろうと不思議に思う。
卵を投げつけた、嘲笑した、そのことが、人を傷つけることだと知っているはずなのに。かつて傷つけた日本人を責め、傷つけ、今度は自分がその対象になりうるかもしれないことを、気づいているのだろうか。
いろいろな国の人にあい、話し、思うことはある。
勉強して習うだけではない。歴史は暗記するものではなく、人の心にいまだ根付いて、行動原理になっている。
国民性。国の歴史。
いろんなものがまざって、このオーストラリアでは、多種多様な人種が、それぞれの国の歴史をもって生活している。
理解したいと、はじめて強く思った夜だった。
宿に戻り、わたしたちはリビングに行った。
この時期はちょうどワールドカップがやっていたのだ。
他の泊まり客たちと一緒になって、テレビ観戦。
ワールドカップに特に興味はなかったけれど、こんなときだと愛国心が芽生えるえのか、思い切り日本を応援した。
対戦国は、おりしもオーストラリアだった。
リビングで、日本人はわたしとKちゃんの二人だけ。
結局日本は1-2で負け、勝敗が決した瞬間、一緒に観戦していたどこかのヨーロピアンが喜ぶ。
「いえーい日本負けー!」
ちょっと頬がひくついたところで、別のヨーロピアンが言う。
「いや、残念だったね。俺は日本も応援してたよ・・・」
でも目が笑ってるー!
ぶーぶーいいながら、みなとわかれ、就寝。
結局わたしたちは、このポートマッコーリで一泊を過ごした。
たった一泊だけれど、いろいろなことが起こった気がした。
翌朝。バスパスに記載された電話番号を押す。
「はい。ご予約番号と、行き先をどうぞ」
「次は、コフスハーバーへ」
コフスハーバー。
シドニーにいるときから、Kちゃんと行こうと決めていた街のひとつ。
そこには、有名なあるものがあったのだ。
**********************************
というわけで、毎度長々しく・・・なんていう文章も、もう何度目になるでしょう。
しかもちょうどいい感じに「次回へ続く」のような終わり方です。
長々しいあまりに、みなさま途中で力つきていることだと思います。
何はともあれ、よい夜をお過ごしください・・・
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、お久しぶりの過去日記などいってみます。
3年前、初海外、初一人旅をしたオーストラリアでの、回想日記です。
*********************
シドニーを出発してから、二つ目に訪れた町、ポートマッコーリ。
長距離バスから降りたって、まず感動したものがある。
オーストラリアで勢力を二分する大手スーパーの一つ、コールスが24時間営業。
ピザーラやドミノピザもあったのだ。
前回の町があまりに閑散としていたせいで、わたしと旅の相棒、Kちゃんはそれだけでひどく感動したものだ。
さて、バス停には、何人かの宿の客引きがきていた。
オーストラリアでは、長距離バスで移動する旅人が多いので、バスの到着時間がくると、たいてい宿のスタッフが、客引きにやってくるのだ。
わたしたちはその中の一つ、「Ozzy Pozzy」という宿に泊まることにした。
オーナーは、ゆっくりと話してくれるおじーちゃん。彼の運転する車にのって、わたしたちは宿にたどりついた。
部屋はコテージ風に独立している四人部屋で、他の泊まり客がいなかったため、独占状態。けれど暖房もなく、トイレもシャワーも外にある。
当時の季節は、6月。オーストラリアでは冬の時期。まだシドニーから離れていないこの位置では気温も低い。う~む。寒い……。
天気がいいのが救いだ。
荷物を置いて、わたしたちは町を散策することにした。
オーストラリアの東側は、海岸沿いの町が主で、だいたいどの町も海がすぐ近くにある。
特に目的もなく、海を見失わないように、海岸にそって歩く。
風が気持ちいい、散歩日和のこの日。
波打ち際で、ブギーボートで遊ぶ人たち。寒そうなのによくやるわ~と思いつつ、楽しそう。
途中で、食べ物専門の安いスーパーを見つけ、なぜかパンプキンを購入。1キロ50C(50円)で、かなりお得。
煮物にしてみると、ちょっと甘みがたりないけど、なかなか美味だった。
海を見て、波の音と鳥の声を聞いて、目的もなくぶらぶらと歩く。
散歩は楽しかった。
ポートマッコーリは、穏やかでいい街だった。
他愛もなく会話をしていたそのとき、一台の車がわたしたちのそばを通った。
若者四人組。
通り間際に、彼らが何かを行った。
「××××!!!」
よく聞き取れず、実際意味は、いまいちわからなかった。
たとえばそれは、「へい、彼女!」とか「やあ!」みたいな挨拶だったかもしれない。
だけど口調的に、たぶん侮辱的なものだったような気がする。
気のせいだと思いながらも、悪意のような棘が、あざ笑うかのような笑い声が、耳の奥に残った。
このオーストラリアで、アジア人が差別されるという話はよく聞く。
日本人限定で差別されることもある。
日本は、オーストラリアの歴史がはじまって以来、唯一オーストラリアに攻撃を、爆撃を届かせた国なのだ。
恥ずかしながらわたしは、この地にくるまでそんなことを知らなかった。
何人もの日本人がこの地で亡くなったことも。
日本人墓地があることも。
そしてそこが荒らされたと、わたしがいる間にも、ニュースで流された。
かつての戦争。わたしがまだ生まれる前の、いまだに禍根が続く出来事。
わたしがシドニーで知り合った友人は、オーストラリアの田舎を旅していたとき、生卵をぶつけられたと言った。
彼は怒るより、悲しくなったといった。
何故だろう。
関係ないとはいわない。それでも何故、だ。
日本人さ。
戦争をした、同じ日本人さ。でもわたしたちが何をした? わたしが、あなたたちに何をした?
仲良くしようと思うのは、悪いことなのだろうか。
ずっと憎まれなければいけないのだろうか。
そうして、お互いに嫌い続けるのだろうか。
かつてシドニーの学校で、先生が言った。
「アンザックDAYは、日本人は出歩かないほうがいいよ」
「何故」、と誰かが聞いた。
「日本人だとわかると、攻撃されるかもしれないからね」
わたしは幸いなことに、そこまで差別にあわなかった。
みな優しかった。
差別するような人ばかりじゃない。
むしろ少数だと思う。
そして日本の中でも、特定の国に対する差別意識があることは知っている。
悲しむよりも、怒るよりも、どうしてだろうと不思議に思う。
卵を投げつけた、嘲笑した、そのことが、人を傷つけることだと知っているはずなのに。かつて傷つけた日本人を責め、傷つけ、今度は自分がその対象になりうるかもしれないことを、気づいているのだろうか。
いろいろな国の人にあい、話し、思うことはある。
勉強して習うだけではない。歴史は暗記するものではなく、人の心にいまだ根付いて、行動原理になっている。
国民性。国の歴史。
いろんなものがまざって、このオーストラリアでは、多種多様な人種が、それぞれの国の歴史をもって生活している。
理解したいと、はじめて強く思った夜だった。
宿に戻り、わたしたちはリビングに行った。
この時期はちょうどワールドカップがやっていたのだ。
他の泊まり客たちと一緒になって、テレビ観戦。
ワールドカップに特に興味はなかったけれど、こんなときだと愛国心が芽生えるえのか、思い切り日本を応援した。
対戦国は、おりしもオーストラリアだった。
リビングで、日本人はわたしとKちゃんの二人だけ。
結局日本は1-2で負け、勝敗が決した瞬間、一緒に観戦していたどこかのヨーロピアンが喜ぶ。
「いえーい日本負けー!」
ちょっと頬がひくついたところで、別のヨーロピアンが言う。
「いや、残念だったね。俺は日本も応援してたよ・・・」
でも目が笑ってるー!
ぶーぶーいいながら、みなとわかれ、就寝。
結局わたしたちは、このポートマッコーリで一泊を過ごした。
たった一泊だけれど、いろいろなことが起こった気がした。
翌朝。バスパスに記載された電話番号を押す。
「はい。ご予約番号と、行き先をどうぞ」
「次は、コフスハーバーへ」
コフスハーバー。
シドニーにいるときから、Kちゃんと行こうと決めていた街のひとつ。
そこには、有名なあるものがあったのだ。
**********************************
というわけで、毎度長々しく・・・なんていう文章も、もう何度目になるでしょう。
しかもちょうどいい感じに「次回へ続く」のような終わり方です。
長々しいあまりに、みなさま途中で力つきていることだと思います。
何はともあれ、よい夜をお過ごしください・・・