ひまわり日記 2

名古屋駅前のフリー雀荘スタッフと店の成長日記
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よーこです

2009-06-14 17:04:54 | Weblog
おなかがすきました。
そんなときに安価で便利なコンビニがある。
まったくもって、すばらしき日本。

というわけで、早速回想日記などいってみます。
三年前、オーストラリアで一人旅をしていたときの日記です。

もはや何回書いたことか、続き物シリーズになっています。
もうええわ、などど言わず、飛ばし読みなどでよろしくお願いいたします。

***********



BAYRON BAY。

数あるオーストラリアの思い出の中で、今でも尚、まぶたを閉じると鮮明に思い出す。

目に染み入るような夕焼けを。
みなが集まった岩場を。
鏡のように太陽を反射するビーチを。

はじめて、強く、自分が自然の中にいると感じたあの場所を。


バイロンベイ。
その名前を初めて聞いたのは、いつの、誰からだっただろう。

音楽の町。
アーティストの町。
サーファーの町。
マリファナの町。

シドニーにいる間も、旅の途中も。
その名前は何度か耳にした。

「絶対、おすすめだよ!」


まだ何も知らない時期。
シドニーからいろいろとお世話になったTAKKさんが、そう教えてくれた。

はじめての連れ、Kちゃんと旅をするきっかけになったのも、この町だった。

「バイロンベイに行きたい」

ぽろりともらした言葉。

「うちも行きたい」

だったら、一緒に旅しない?
そんな流れがあって、そうしてわたしたちは動き出した。


2006年、6月15日。

わたしたちは、念願の町にたどりついた。

バイロンは、どこかそれまでの町と違っていた。
「異国の町」の匂いがする。
当然、これまでもわたしたちは「異国」を旅していたのだけれど、この町は、ある意味本の、物語の中で出てくるような場所だったのだ。

バス停についたわたしたちを迎えたのは、ここでもやはり、宿の勧誘スタッフたちだった。

その中のひとつ、「Arts Factory」の看板の前で足をとめる。
そこは、バイロンに行くなら是非この宿がいい!と、何人かの友人たちに進められたところだった。

町の中心からは少し外れてはいるが、そこはまるでひとつの村のようだった。

木に囲まれたアーツファクトリー。

広いキャンプサイトがあり、コテージのような宿がある。
バーがあり、シネマがあり、カルチャースクールができるステージがあった。
その予定表をみると、ヨガや、ダンス・・・む。居合道がある。

思わず扉をたたく。

すいませーん。ちょっとやってみてもいいですか?
……あ、一時間$10。ぐ。た、高………いやいや。やってみたいもの。払うさ。やります。お願いしまーす。

居合道。
字、そのもの。まさに「居合」だ。
剣をぬき、踏み込む。

学生時代、合気道を学ぶ一環として、剣術もほんのすこしだけやった。
木刀は意外なほど重くて、まっすぐふれないわ手がしびれるわ、姿勢が悪いと怒られるわ、ウケ損ねて頭にウケるわ。剣をウケずにみなにウケた。な記憶がある。

それでもうまく剣と剣が重なった瞬間、ときたま、カンっつと、小気味のいい音を出せるときがあり、あの感覚が好きだった。

きんと張り詰めた空気。

ここでの先生は、異国の人で、日本語で教えてくれるわけではない。
それでも、同じ武道だからだろうか、単語がわからなくても、文章がわからなくても、なんとなく、意味がわかる。師範の言葉と重なる。

久しぶりの稽古に、少し日本を懐かしく思い出した。

そんなときに、同じバッパーに泊まっている日本人の男の子と知り合った。

商魂たくましいその子の名前は、I。

「日本人だー。どこからきたんですかー?」
「三重ー」
「おー。わたし愛知なんですよー。大学とかしってたりしてー」
「**大学だけど……」



って、後輩じゃん!


しかも彼が専攻していた学科の先生が、わが合気道部の顧問だというから、面白い。



さて、バイロンにはライトハウスというところがある。
オーストラリア最東端に位置する灯台だ。
夕焼け、朝焼けツアーがいたるところで開催されているが、お勧めなのは絶対に徒歩!

かなり距離があるけれど、途中も絶好の散歩コース。ライトハウスまでの坂道(山道?)も、じっくり歩いたほうが気持ちいいと思う。

イルカはそこかしこにいるし、運がよければ鯨も見える。

ライトハウスまで登って、おいしいおいしいアイスを食べて、カプチーノを飲んで、再び町までくだる。


・・・・あー。帰りはちみっとしんどいなこりゃ。

結局最後のほうはぜいぜい言いながらビーチまで戻り、水着に着替えて海へ!

波がちょっと高いけれど、なれると楽しい。
聞いた話によると、バイロンの波は三角なのだそう。
だから、サーファーが集まるのだという。

海で思う存分ぱしゃぱしゃして、気がすんだわたしたちは、ビーチに上がり、そうしてふと、気づいた。

岩場から、音がする。

オーストラリアの先住民族の、アボリジニーのような格好をしたおじさんたち。女の子。
白人のおじいさん。

みな思い思いにタイコをたたき、ギターをひき、いろいろな楽器を奏ではじめた。


うわ、すごい、楽しそう・・・・!!!

わたしはしばらく、時間がたつのも忘れて彼らを見ていた。


足が動きかける。頭の中を、ぐるぐると思考が回転する。

やりたい。でも……、いや、このまま大人しく宿に帰ったほうがいいじゃん。何の問題もなく、宿に戻って、いい思い出としてしまっておけばいいじゃない。

でも、待って。後悔する。話しかけなきゃ、後悔する。

やらずに後悔するよりは、やって後悔したほうがいい!


葛藤をたちきったのは、一瞬だった。

オーストラリアに行くことを決めたときの感覚がよみがえる。


「Excuse me!」


わたしも、仲間にいれてください!


いっぱいいっぱいだったわたしの言葉に、彼らは、何の気なしにうなずいた。
もちろんどうぞ。と。

あっさりと、まるで、仲間にいうように。

アボリジニーみたいだと思った人は、ワン、といった。
インドネシア出身の人だという。
とんがり帽子に、長いちりちりの髪。日に焼けた顔。優しい目。

竜の形をした、自作のディジュリドゥを吹いた。
生まれたときからやっているような風なのに、実はまだはじめて間もないのだという。

そばにいた女のひとは、I美さんといった。
日本の女の人だった。

ワンさんと、まるで親子か兄弟のように似ている。
笑顔がすごくすごくステキな人。

2人がタイコをたたき出す。
そのリズムに合わせて、みながギターを、ディジュリドゥを、フルートを奏で出す。

まるでリズムもわからないわたしに、ワンさんはタイコをひとつ貸してくれ、好きなようにたたきな、といった。

みなに合わせて、小さく、そしてだんだん大きくたたきだす。

タイコをたたく振動が、腹にずんと響く。

顔をあげると、I美さんが笑う。
わたしも笑う。

風が頬にあたる。
岩場からは、夕焼けが見えた。
波が満ちゆくビーチが。
光の筋が。
大きな空が。

この感覚を、何ていえばいいんだろう。
自然を感じた。

自分が自然の中にいるんだって、このときはじめて、強く感じた。
それはとても不思議な、そして大きな感動だった。


彼らは、別に特に約束をして集まったわけではないのだという。
ワンさんはいった。
夕陽が綺麗なとき、自分たちはここにくるんだよ、と。


そうしてわたしは、そのタイコが、ジャンベという名前をもつことを教えてもらった。




わたしたちがバイロンベイにいたのは二週間ほどだったけれど、その中で晴れていたのは、ほんとうに数日間のことだった。
今思えば、ついたすぐに海に泳ぎにいっていてよかったと思う。

それからまもなく天気がくずれ、豪雨になることも珍しくなかった。
気温は冷え込み、防寒する必要があった。



ある日、Kちゃんと2人して、バイロンの教会にいった。
いわゆる「善意の食事」があると聞いたのだ。

行ってみて、驚いた。
予想以上に豪華。肉はなかったけれど、サラダも主食も、デザートまであった。
テラスにテーブルやイスが並び、みな楽しそうに食事をしている。
まるでレストランのようだ。

Iがいう。

日本で、こんなことをしたら、はたして同じように人が集まるのだろうか?「ほどこしを受ける」と、「恥」と思って、こないのではないだろうか。


バイロンの教会で。

子どもが、若い男女が、旅人が、年配の方が、みな穏やかに談笑している。

どうなんだろう、と思う。何にしろ、この国は、オープンなことが多い。


雨の日の合間をぬって、わたしたちはいろいろなところに出かけた。

ワンさんとI美さんに誘われて、バンガローマーケットへ行った。
ヒッピーたちが集まるパーティへ。

モンゴルのパオみたいな家の中で、お香の匂いがたちこめる。
明かりはろうそくだ。

ジャンベやディジュをはじめとする、さまざまな楽器が並べられ、みなが好きなものをとっていく。

誰かがギターを鳴らすと、あわせるようにジャンベが叩かれる。
そうしてディジュが、木琴の音が呼応する。

綺麗な女の人が、前にでる。
透き通るような歌声が流れ出る。
男のひとが、地の底から響くような声で、呪文なような言葉をつむぎだす。




本の中に迷い込んだみたいだ。




そんな感動をしながら、わたしはマラカスをとって、ひとりほくそ笑む。


そーれチャッチャッチャ。



ある日は、ニンビンという、バイロンから少し離れた町にも行った。

Kちゃんと2人、歩いていると、おじさんに声をかけられた。


「ミチクサ?」



ミチクサ・・・いやま、そりゃ、ぶらぶら歩いてるだけだから、道草といったら道草くってるのかもしれないけど、変な日本語を知っているなあ。


「YES、YES、MICHIKUSAアルヨー」


うなずくと、彼はこそこそと懐から何やらとりだす。

ちらりと見て、慌てて首をふる。


いや、草は草だけど、そっちの草ですか!






そんな毎日を過ごしながら、いつのまにか二週間がたっていた。

ある日、Kちゃんが言った。




「そろそろ、行く?」



予想外の言葉を耳にした気がした。
いつまでもいるような気がしたのだ。

そう思ったとき、それがまたわたしを驚かせた。

旅をやめて、ずっとここに住んでもいいと思いはじめていたのだと。

ワンさんたちと演奏するのが楽しい。
せっかくリズムを覚えてきたのに。
名前を読んでくれるようになったのに。


けれど、旅をしたい。
見たいところが、行きたいところがある。

期限ぎりぎりまでここにとどまって、そうすることで得るものがあるだろう。
でも、旅をしなければ見れないものが、まだ、まだたくさんある。




迷って迷って、そうして、わたしたちは旅立つことにした。



ラストナイト。6月30日。



最後のセッション。
歌をうたった。日本語で、めちゃくちゃな歌詞をつけて。

I美さんがいった。


「人間って、水なんだよ」


いいことば、きれいなもの、たくさんみて、きいて、吸収するんだよ。



「またどっかで会えるだろうから、寂しくないやん」


Kちゃんがいう。

あっけらかんとした言葉に、なぜかそんな気がしてくる。


また、きっと会える。




そうして7月1日。


わたしたちは、次の町へと旅立ったのだった。







****************




というわけでした。



ああおなかがすきました。

もはや腹どころか、頭の中もからっぽです・・・・。