„Wir schweigen nicht,
wir sind Euer böses Gewissen;
die Weiße Rose läßt euch keine Ruhe!“
wir sind Euer böses Gewissen;
die Weiße Rose läßt euch keine Ruhe!“
Die weisse Rose
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第三帝国を負かそうと死んで行った
ガブリエル・グルーダー・ポニ記者
ニューヨークタイムズ紙
1993年6月12日付け
1943年、21歳のソフィー・ショル(Sophie Scholl)、兄のハンス(Hans Scholl、23歳)、そして仲間の医学生たち、 アレックス・シュモレル(Alex Schmorell)、ウィリー・グラーフ(Willi Graf)、クリストフ・プロープスト(Christoph Probst)-三人の父親-そして、 クルト・フーバー(Kurt Huber)ミュンヘン大学教授はミュンヘンで処刑された。彼等たちの犯罪は政府反対のビラ- -それは「白いバラ」と呼ばれていた--を公表したことにあった。 彼等たちは「戦争努力、兵力増強に反対、さらには我が国民の国家社会主義的な生き方を転覆させようと、・・・負け犬的な思想を広め、「指導者」を卑しめた結果、帝国の敵を助け、 帝国軍隊の安全を弱めた」と判決に記されている。
* 学生たちは個人的な抵抗から 大っぴらに、つまり匿名的に抵抗する境界線を如何に超えたのだろうか。ミュンヘンで皆が会ったとき、「同じく志を共にする者」、つまりナチに反対する仲間であると お互いに認め合った。シュモレルは人々が政府に対して苦しみや怒りを口に出して言えるそんな懇談会サロンを幾つか設けた。そこに於いて学生たちは大学内にも厳しい抑圧があること、またポーランドではユダヤ人の虐殺 があったことを知った。
* そんなある晩のこと、誰かが発言した。「出来ることといったら戦争が終わるのを待って、毎日自分がやらなければならないことに気を使っていることしかない」、と。 それに対してハンスは答えた。「エーゲ海のどっかの島をひとつ借りて、そこで世界観について講義でもしたらどうだろうか?」
* 学生たちの不快感が亢進するにつれ、広まりつつある道徳的な臆病さに対して欲求不満と恥の思いが募るのであった。ソフィー・ショルは記している。「色々な恐怖に耳を傾けないでいる方が簡単、でも現状見ると他のことは全て二の次としなければならない」と。
* まもなくハンスとアレックスは最初のビラを書き配った。そこには「他の人が始めるのを皆が待っていると復讐の女神ネメシスの伝言者が確実に近寄って来るだろう、、、、だから一人一人は、、ファシズムと全体主義に反対して動かなければならない」。彼等たちの個人主義とは利己的なものではな かった。自分たちの道徳的、市民的責任についてより一層はっきりと自覚することになった。