ベルリン便り

ドイツの大学でドキュメンタリー映画を制作しています。

2023年10月08日 | 映画

Around the world for loves / Peynet

2021年06月22日 | 映画



四月物語

2021年03月21日 | 映画


土曜日の午後、コーヒーをゆっくりと入れてそれから、この映画を楽しみました。
春を感じるようになったら必ず観る、大好きな映画です。




ちなみに、松たかこさんの曲で一番好きなのは「空の鏡」というアルバム。PVも可愛いです。


Faces Places

2020年01月09日 | 映画
Faces Places

野いちご イングマール・ベルイマン

2018年03月18日 | 映画
https://ja.wikipedia.org/wiki/野いちご

野いちご イングマール・ベルイマン

ノルウェーの男の子に、良い映画だよ、と進めてもらった。
観たいので、めもを残しておきます。


Glenn Gould Hereafter FULL DOCUMENTARY

2017年10月22日 | 映画
Glenn Gould Hereafter FULL DOCUMENTARY

YEAR OF THE DRAGON - Trailer ( 1985 )

2017年09月24日 | 映画
YEAR OF THE DRAGON - Trailer ( 1985 )

「死とは」映画から考える・Night on the Galactic Railroad (English Dub)

2017年09月07日 | 映画
Night on the Galactic Railroad (English Dub)


10代の頃から好きな映画のひとつ。
英語字幕でもよいから「英語」と接点があるこの映画がみつかれば観たいと思っていた。
今日英語のこの映画を見つけたので、この文章を書きながら、この映画を観ている。

一章ごと、エスペランス語のタイトルがつく。映画の中に出てくる字は、すべてエスペランス語。社会の中で、もっとも他者にも敬意を払い、共存を求める行動よりも、社会の中で強い立場にある人たちの決定に、その他大勢は従う。社会を占める割合が高くなった何かが優先される。気づけば、エスペランス語よりも英語が世界の共通語として認識されるようになったように。

正しさと楽しさ、わたしは常に正しさについて考えてきた。楽しみなさいと言われても、わたしにとっての楽しみとはイコールわたしが心から救いたいと願う人たちの力になることであり、その楽しさのひとつである、込み入った複雑な感情を多くの人たちに「それはわたしの楽しみである」と、理解されない。わたしの楽しさは、わたしの大切な人たちの悲しみをどうにか受け止めたくて(できないと言われても、そんな言葉にとらわれず、行動を継続することであり)、自分自身が痛みに強くあらなければといつも言い聞かせる。

冷たい人と大勢に思われてもいいかな、が最近のわたし。
本当に大切な人たちに、あの人(わたし)を信じる、とわたしのルーツを明確に見てもらえたら。

生まれた限り、必ず人は「死」を迎える。
一人でも多くの人に、自身とその人の周りに恐怖や憎しみのない、穏やかな「死」を迎えて欲しい。いつもそう思う。

決定的にこれが欠如した死が、誰かの過失、殺人、自殺、戦争にある。

これを取り除く行動をする人たち、これを取り除く努力をする人たち、、、こういう人たちが一人でも増えることで、確実にここ、そこにある世界の中での「死」は姿をかえる。



心をみたいなあといつも思う。
それを強く意識するきっかけになったのが、アフガニスタンの爆撃で顔の原型を失った少女たちと関わったこと。
社会の中で人はいったい何を見て何を評価しているのだろうと時々思う。
フォトジャーナリスト、林典子さんのパキスタンの女性たちの記事でも、同じように感じた。
死について考えていたけれど、ここでは多くの人たちの外と内への価値観について、そして、痛みと悲しみと憎しみを伴った経験について。
外と内への価値観に対してはわたしはわたしなりの感覚を持っていて、それを今ここに書き出そうとはおもわないけれど(時間がかかるし、文章も簡潔には書けないと思う。整理する為の文章をまず書き始めなければいけない。)、痛みと悲しみと憎しみを伴った経験に対して。
憎しみは最終的に受け入れたいと思っている。ただしそれは、仕方ないとか、向き合う事を放棄したり忘れることで、憎しみの感情と決別し、決別したことで、もう憎んでいないと言ってしまったり思ってしまう、そういうたぐいじゃない。
責任の追求は必要だし、肯定や正当化を自分だけで繰り返すよりも、やっぱり、力がある人たちからのサポートが当事者をプラスの方向へ導きやすいし、また、自分で見つけた感覚に、それらの人たちからのサポートが優しさや愛情をプラスしてくれるように思う。もちろん、もっとも理想なのはそこに、恋人、パートナー、家族、親友といった当事者にとって身近な人たちの深い関わりがあることだけれども。彼らとの関係から、上記のネガティブな感情が生まれている場合、そこを要求はできないから。
痛みは現実としてマインドではなく、ここに書いた状況で言えばけがを負ったときの痛み、完治するまでの痛み。そして人によって、マインドのなかに生まれる痛み。マインドの中に生まれる痛みが、生まれないようにするこころみに関わっていきたい。これって絶対に当事者と、安定するまでは患者によるけれど最低でも2週間に一度、問題があきらかに小さいと思える人でもひと月に一度、定期的な継続した面会が必要で。
痛み、悲しみ、それらがあるポイントで強さと美しさに転換する。そこまで協力者がいるってとても大切だと思う。


この映画、タイタニック号の事故で亡くなった人たち以外、猫。

そこも、映画の中でエスペランス語が使われていることに反応したのと同様、社会の中で人が感じ、捉え、受け止めている核心を理想的に具現化していると思う。


なんだろう、、、最近わたしすこし強いです。そしてこの自分が嫌いです。
ああ、過去に戻りたい、思うのは自由、おやすみなさい。













Ein Artikel zu viel - Anna Politkowskaja

2017年05月07日 | 映画
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14+ Erste Liebesgeschichte (2015)

2017年04月29日 | 映画
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