高村光太郎が妻の知恵子が亡くなった時書いた詩「レモン哀歌」が凄く好き。
20歳の頃、地元の美術館へ知恵子が病床で作った切り絵の展覧会を観にいった。
光太郎の愛と、彼女を見守る優しさと、寂しさと。
知恵子の病気と、そこで生まれた、作品は、何か一線を越えていた。
わたしは20代の前半で、大学を探す為にヨーロッパを回った。
ベルリンのホステルでメールを開いたら、親友から「レモン哀歌」が届いていた。
昨年一年間大学のアトリエで過ごした時間は、過去との対峙だった。
環境、街の雰囲気、人々によって、わたしの生活習慣や、思考回路は大きく異なる事を知った一年間。
ぼんやりと、光太郎と知恵子のことを思う時間も何度かあった。
昨日、ふと、「レモン哀歌」を読みたいなと思い、ネットで調べた。
偶然みつけたサイトがなかなか面白くて。
グレングールドに、
伊能忠敬、
大塩平八郎、わたしの好きな人たちが名前をつらね、時間を忘れ、読みすすめた。
沢山読んでみて、このサイトの制作者の視点がいいなあと思った。
マルコムXの
気を付けていないと、新聞(メディア)はあなたが「苦しんでいる人たちを嫌うように」仕向け、「苦しめている人たちを愛するように」誘導するでしょう
って言葉を引用したり、
マーティン・L・キングJrの
後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ
って言葉を引用したり。
上記の二人の事が好きかと言われたら、実はノー。
なぜならこの二人を「善良な人」とは思っていないから。
だけれど、彼らの言っている事は分かるし、誰かがそれを言葉にし、行動にしなければならなかった。
当時それが出来たのが、彼らだった。
トップページに貼ってあるリンク先も面白い。
自分に判断基準を置いて、多くの資料を読んでいる人達には、よいと思う。