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ベルリン便り

ドイツの大学でドキュメンタリー映画を制作しています。

チェチェン やめられない戦争 / アンナ・ポリトコフスカヤ

2024年07月28日 | 





 「チェチェン やめられない戦争」


記憶に強く残った章

・耳がきこえないっていいなあ
・クラーヴァばあさんに明け暮れた年
・将軍たち、すなわち新興財閥
・奇跡の石油パラダイス
・「西欧派」と「東洋派」
・国連事務総長の椅子の代価
・あとがき「ノルド・オスト」のあと






Anna Politkovskaya: Putin's Russia

2022年06月10日 | 












何にも変っていない。
ジャーナリストは過去から現在まで、沢山殺されて。何一つ変っていない。
ショルツとベアボックの言動には、いつも辟易させられ。マクロンがこれからロシアとの関係を上手に保つためロシアに屈辱を与えるなと。
彼らがメルケルのような思想のもと政治をしてきたのなら、耳を傾けてくれる善良な人々は相応にいるはず。でもそうではないから。
言葉だけが奇麗な服を着せられ、中でなんか、お尻からしっぽがはえた、昔話や神話の挿絵なんかで見たデビルが斜め横とか下とか見て舌打ちしたり、ニヒルに笑ってるみたいな。とってもいやな気持ち。
プーチンは今まで散々人殺しの指示を出してきた。今回はウクライナ政府がメディアを分かっていたから。世界中の人達が知っている。

奇麗な言葉を使っても、そのしっぽと舌打ちが本質を教えている。

マクロン再選は、マクロンの政治が大っ嫌いだけど、ルペンの極右フランスになることは絶対に避けなければと動いた人たちの支持あってで。彼は少し柔らかさを見せ始めたけれど。
人々は誠実な説明を求めている。ネットができて、グローバル化して。情報が沢山あって。何でもない普通の人が、分野外のことでも、ものすごく長けていたりする。政治家たちは専門の仕事をしていると思っているけれど、彼ら以上に政治に長けた一般人が沢山いる。

2000年代の本だけど、何にも変っていない。
変れるのかもしれない、それなのに、西側に変るつもりがない国がある。


川瀬敏郎 「一日一花」

2021年07月07日 | 






友達に本を2冊送ってもらった。
1冊は華道家、川瀬敏郎さんの「一日一花」。

華やかなフラワーアレンジメントとは異なる。
侘び寂びの方。
決まりを学んでいない人にも分かる、「静け」「生命力」。
癒しのような部分があってなんかずっと気になっていた本。

川瀬さんがどうしてこの本を作る事になったのか、1枚1枚の作品をみて、文章を読んで、ああそうだったんだと知った。





*****


去年会えなかったからと、プレゼントがひとつ本たちと一緒に届いた。
ずっと興味があったものだったから、嬉しかった。
さすが長年の友、分かってくれている。
日本で学生だった頃、電車の中で彼女とサイゼリアや、伊勢丹のチェックの買い物袋や、東京タワーについて「あ、うんの呼吸」で会話をしクスクス笑っていた頃を思い出した。
サイゼリアの時なんて、君とわたしの着ていた服まで思い出したよ。記憶に色も音もあって、、、面白い。

『 Wirtschaftswunder 』 Josef Heinrich Darchinger

2021年04月25日 | 







『 Wirtschaftswunder 』   Josef Heinrich Darchinger 


戦後ドイツ、幼稚園での1枚。
なんとなく東ドイツなのかなと眺めていたら、「ヘッセン」と記載があった。
ヘッセン州は西、フランクフルトやヴィースバーデンの州。フランス・アメリカの占領地域だった。

水玉模様の食器がかわいい:)


この写真集、情報の伝わりやすい写真(子どもと建物が多い)と、短いけれど丁寧な解説がありおすすめ。


HOUSE OF PLANTS ⑥

2021年02月08日 | 



「HOUSE OF PLANTS」より




この本の植物の写真、やっぱり大好き。


視点、切り取り方、光。本当にきれい。


(イラストだったり、紙だったり、製本だったり総合して見ると、いろいろと残念だなあと思う本。違う方と組んでもう一度本にしてくれないかな。)





Zlata's diary

2020年12月17日 | 



Thursday , 10 December 1992


Dear Mimmy,

And so Braco and his family joined the list of hundreds of families in Sarajevo who are left with nothing. Absolutely nothing.Everything they had has been destroyed.But they managed to save their lives.That's the most important thing.
They're at Seka's mother's now. They came to see us.They were sad,they cried. It's awful what they've been through. They need peace and quiet.But where are they going to find that here? We'll help them as much as we can. Mummy has given them a lot of clothes, because it's cold and they have nothing. Other people have helped them too. And will help them again. It's lucky that there are good people around who will give a helping hand to those in need.
Braco is the saddest of all. He cried when he told us about Miso. TERRIBLE!

Love,
Zlata











中国のセルビア大進出をいやだなと思う。
ブチッチさん、習さんは、残念だけれどあなたの兄さんではないよ。


2020年02月22日 | 



幾つかの本を送って欲しいと友人にお願いしていた。林さんの本は「ヤスディの祈り」をお願いしていたけれど、届いたのは「キルギスの誘拐結婚」だった。困ったなと思った。リクエストと異なる本が届いたことは、絶対に必要な資料だった訳ではないから気にしていないのだけれど。このテーマに対して、どんな価値観を持ちどう言葉にするのか、求められていることを分かっているけれど、わたしはわたしの答えを持ってしまっていて、わたしの前に出来るものなら来ないでと思っていた。
登場人物に対して、読み手があまりにも入り組んだ感情を持ってしまう。結果としてわたしたちは幸せよと言われても、発端が乱暴。
林さんは、物を撮るのがとても上手。乱暴に始まった生活だとしても、静かな日常に愛を感じたのだろうと思った。

「平和の種をまく」大塚敦子

2020年02月18日 | 

大塚敦子さんが、著書「平和の種をまく」のあとがきに書かれている最後の章です。


幾つかの文章をわたしの思いや共感で選び取るよりも、この章全てを多くの方に読んでもらいたいと思いました。

本当に良い本だと思います。
お子さんやお孫さん、姪御さんや甥御さん、、、お友達のお子さん、、、プレゼントにおすすめします。
2006年に初版が出版されています。



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 ” 誰かがあおらなければ戦争は始まらない

 日本から眺めていたときは、あれほど遠い国だと思っていたボスニアで、つくづく実感したのは、「ボスニアの戦争は決して他人事ではない」ということです。民族の対立という点だけに目を奪われると、ボスニアのような多民族国家ではない日本には関係ない話、となってしまいます。けれど、私が現地で学んだのは、どの国にも通じる普遍的な事実でした。
 それは、戦争というものは、誰かが仕掛け、敵意をあおあなければ始まらない、ということです。そして、その誰かとは、自分たちの政治目的のために、人びとに他の民族や国家などへの恐怖心を植えつける政治指導者やメディアであることが多いのです。
 恐怖や不信、異なる考え方を受け入れない不寛容は、戦争をしたい人びとにとってはとても好都合です。過剰な防衛や先制攻撃などの引き金になりやすからです。すでに世界中でそのような戦争が起こっているし、日本でもじゅうぶん起こりうることでしょう。関東大震災で在日朝鮮人の人たちを虐殺したのは、約80年前。中国や朝鮮半島を侵略したアジア太平洋戦争が終わったのは、つい60年前のことなのです。
 ボスニアと単純に比べることはできませんが、日本でも大都市では隣人どうしの交流が薄くなり、個人がそれぞれの空間に閉じこもるようになっています。その結果、自分とは異なる価値観やライフスタイルを持つ他者に対し、寛容よりも、不信や恐ればかりが増大している状況です。その意味でも、ボスニアの人びとが戦争の傷あとを乗り越え、平和を取りもどそうとするプロセスから、日本の私たちが学べることはたくさんあるように思います。
 エミナのまわりの人びとも言っていたように、ふつうの人たちは、誰も戦争なんかしたくありませんでした。なのに、気がついたら、戦争が始まっていたのです。そんなことにならないためには、いったいどうしたらいいのでしょうか。
 答えの一つは、集団ではなく、ひとりひとりの個人を見ることでしょう。所属する集団に関係なく、人間どうしとして交流することです。エミナとかナダという個人の名前ではなく、ボスニアク、セルビア人という集団の名前でひとくくりにされるようになったとき、戦争の危険は増大します。私が農園で出会ったある女性は、スレブレニツアの虐殺で夫と父親を殺されましたが、「セルビア人に殺された」と言うかわりに、「あいつ」と呼ぶ一人の架空の人間に怒りをぶつけていました。そうやって、無意識のうちに、セルビア人全体を憎むことを避けていたのではないかと私には思えます。
 恐怖や不信をあおる動きに対して、ひとりひとりの個人がいかにそれに抵抗し、相手を人としてみつめつづけられるかどうかが、戦争を防ぐ重要な鍵なのではないでしょうか。 ” 

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平和の種をまくーーーボスニアの少女エミナ  大塚敦子

2018年03月23日 | 
https://www.atsukophoto.com/archives/category/newpub/page/2?md=2


わたしの尊敬するフォトジャーナリスト「大塚敦子」さんのサイトです。
昨年手にした彼女の著書「平和の種をまくーーーボスニアの少女エミナ」とても素敵な本です。
大塚さんの大人に伝わる丁寧な文章、子どもに伝わる人を包みこむ愛情と優しさ。
どこまでも被写体を大切に思っている一枚一枚の写真。

英語のウェブサイトもあります。外国の方にもぜひ!