Иваново детство / Ivan's Childhood



英語の字幕付きをネットで見つける事が出来たので、彼と岩井俊二監督の「ラブレター」を観ました。
随分長い間ドキュメンタリーとばかり接点を持ち、ドキュメンタリー作品ばかりを好み、たまに芸術としての作品を観るにしても歴史や問題定義、問題との接点や背後があるものでしたので久しぶりに純粋な芸術映画でした。
ストーリーの面白さ、静けさや空気感の伝わる映像、、、酒井美紀はこの映画になくてはならない人、それくらい力がありました。(お父さんが亡くなったことを受け入れるシーンの彼女は本当に素敵でした。)
ひろこさんも樹ちゃんも大切な人の死を経験している、その経験をふたりとも受け止めている(ひろこさんの場合この映画の中で)、人にとって大切な時間です。
数日前にこの映画を観たのですが、今日になってなぜかこの映画のシーンとクラムチャウダーをいっしょにふと描いてしまいます;)
最近すっかり映画熱それからスープ熱、、、まさに芸術の秋食欲の秋の私です。
風邪を引いている樹ちゃんと冬と雪、温かくて白色のクラムチャウダーだから?
お家に帰ったらクラムチャウダーを作りたい!
秋の夜長、暖かいお部屋で温かいクラムチャウダーにラブレターをぜひ。
余談ですが、観賞後彼にありがとうと言われました。
長文テキストの作成をしながら時折映画に目をやっていた彼でしたが、一応内容を理解していた様子。
映画の内容を理解しつつ、気持ちよくテキストを仕上げられたみたい。
取りかかっている作品と今いる自分の立ち位置がぴったりとあっている時の集中力や物事の進み具合の自然な流れを私も知っている。
きっと何かが合い心地よかったのでしょう、よかったです。
さよなら子供たち
わたしの大好きな「5月のミル」「地下鉄のザジ」のルイマル監督、彼の自伝的作品です。
最近ゴダール、トリュフォー、フェリー二と、、、ヌーベルバーグを再度。
ルイマルのこの作品は初めて観ました。
戦時中だけれど、この映画に出てくる神学校の子たちがみんなきちんとした服装で、フランスは戦争の影響を大きく受けなかったのか?それとも神学校に通う子はみんな裕福だったのか?と疑問。
①フランスは北から中央部までと海岸沿いをドイツに侵略された。侵略されるにあたり国境沿いで戦いがあったが、沖縄のような地上戦はなかったため(おそらく)、戦時下と言っても軍人やユダヤ人や国境沿い住民以外今までどおりの生活を送っていたのではないか。
②当時フランスは(ほぼ)全員がクリスチャンだったので、神学校に通う子供の家族が特別に裕福だったわけではないのでは。
のちにルイマルの事を調べていて。
彼はトゥムリー(ベルギーとの国境に接する)という街で生まれ育っていますが、裕福なお家の出身、家柄の良い子供たちが集まる場所が舞台になっているだろうこと。
この時代の一般的フランス人はどのような生活を送っていたのだろう、、、。
ルイマル、、、
「5月のミル」で音楽の美しさ(ステファン・グラッペリ)と5月革命についてと、歴史に残る出来事の中で自分の周りにある今を切り取り映画に、それは観た人たちの心に強く残る、人の奥深くにメッセージを残すのが上手な人だ、
「地下鉄のザジ」で、映画って面白い、楽しいーーーっ!っていう、何かを好きになるのに一番最初に持てたら本当に心地よいだろう気持ちを与えてくれた人だった。
今回「さよなら子供たち」を観て、映像がとてもきれい、ルイマルって絶対優しい人だ、他者を思いやる心が芯にある人が持っている特有の穏やかさがあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ジュリアンとボネの友情。
転校生のボネ。
ジュリアンは自分よりも成績のよいボネに興味を持つ。
ボネは偽名を使いユダヤ人だということをかくし学校にかくまわれていることをジュリアンは知る。
わたしの大好きな「5月のミル」「地下鉄のザジ」のルイマル監督、彼の自伝的作品です。
最近ゴダール、トリュフォー、フェリー二と、、、ヌーベルバーグを再度。
ルイマルのこの作品は初めて観ました。
戦時中だけれど、この映画に出てくる神学校の子たちがみんなきちんとした服装で、フランスは戦争の影響を大きく受けなかったのか?それとも神学校に通う子はみんな裕福だったのか?と疑問。
①フランスは北から中央部までと海岸沿いをドイツに侵略された。侵略されるにあたり国境沿いで戦いがあったが、沖縄のような地上戦はなかったため(おそらく)、戦時下と言っても軍人やユダヤ人や国境沿い住民以外今までどおりの生活を送っていたのではないか。
②当時フランスは(ほぼ)全員がクリスチャンだったので、神学校に通う子供の家族が特別に裕福だったわけではないのでは。
のちにルイマルの事を調べていて。
彼はトゥムリー(ベルギーとの国境に接する)という街で生まれ育っていますが、裕福なお家の出身、家柄の良い子供たちが集まる場所が舞台になっているだろうこと。
この時代の一般的フランス人はどのような生活を送っていたのだろう、、、。
ルイマル、、、
「5月のミル」で音楽の美しさ(ステファン・グラッペリ)と5月革命についてと、歴史に残る出来事の中で自分の周りにある今を切り取り映画に、それは観た人たちの心に強く残る、人の奥深くにメッセージを残すのが上手な人だ、
「地下鉄のザジ」で、映画って面白い、楽しいーーーっ!っていう、何かを好きになるのに一番最初に持てたら本当に心地よいだろう気持ちを与えてくれた人だった。
今回「さよなら子供たち」を観て、映像がとてもきれい、ルイマルって絶対優しい人だ、他者を思いやる心が芯にある人が持っている特有の穏やかさがあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ジュリアンとボネの友情。
転校生のボネ。
ジュリアンは自分よりも成績のよいボネに興味を持つ。
ボネは偽名を使いユダヤ人だということをかくし学校にかくまわれていることをジュリアンは知る。
Une Femme est une Femme (película completa subtitulada)
Grbavica Trailer
ネットで観られないかなと探しましたが予告編のみでした。
ベルリン映画祭で最高の金熊賞を受賞しているので、ドイツのレンタルビデオ屋さんで探してみよう。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督、2作目「サラエボ、希望の街角」ではもっとサラエボの街が伝わる作品になっているみたい。
ヤンヨンヒがそうだった、「個」(個人的繋がり)からみる今自分の目の前にある社会。視点を街や国にも置いた作品。
「サラエボの花」目を通したレビューをここへ転載しておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(サイトより)
「サラエボ」という地名を始めて聞いたのは確か小学校6年生の社会の授業で、第一次世界大戦のキッカケになった『サラエボ事件』(オーストリア皇太子夫妻が暗殺された事件)が起こった土地だと教わった。
そのあとも中学・高校の歴史の授業で『サラエボ事件』の起こった土地としてその名前を聞いたくらいで歴史の授業意外でその名前を聞くことはなかった。
ただボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(以下ボスニア紛争)で大きな被害を受けている町として高校生の頃に教わったのが例外的だった。
(ちなみに観たのは今年1月です。「UPすんのおせーよ!」とかツッコまないように)
結論から言うと
「民族紛争を扱った映画観るのはいつもキツいけど、今回は余計にキツい。」
1990年代初頭、私はというと何の不自由もなく中学・高校生活を送っていましたが、世界では『ベルリンの壁崩壊』によって『冷戦終結』となり『ソ連崩壊』したあと、ソ連の衛星国であった東ヨーロッパ諸国は次々に独立・民主化し、アフリカでもルワンダ内戦(これを題材にした映画が『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』)やソマリア内戦(これを題材にした映画が『ブラックホーク・ダウン』)といった民族紛争が起こっていました。
新聞には連日『虐殺』や『内戦激化』なんて文字が踊り、ニュースでも頻繁に言われてましたが、そこは10代。
たいした興味も示さず、遠い異国の地での出来事で自分にはあまり関わりのないことと思っていました。
あれから20年近くたった近年、民族紛争を題材にした映画が日本でも公開されることが多くなり私も少しづつ勉強するようになりました。
で、勉強していくうちに近年の民族紛争で一番情報量が多いのがこの作品の元ネタになってるボスニア紛争だという事に気づきます。
ココからはチョットお勉強。
お勉強に興味ない方はすっ飛ばして読んで下さい。
旧ユーゴスラビアはアドリア海を挟んでイタリア半島がすぐそこにあるというバルカン半島にありイタリア、オーストリア、ギリシアと隣接するヨーロッパ地域にありました。
バルカン半島は『ヨーロッパの火薬庫』と言われるくらい民族・宗教等で複雑な地域で旧ユーゴも御多分に漏れず複雑な民族体系・宗教体系の国でした。
それでも旧ユーゴは第二次世界大戦後、チトーのもと社会主義国ながら旧ソ連とは異なる独自路線を歩んで平和でした。
ちなみにチトー政権下の旧ユーゴはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソヴォの2つの自治州によって構成され、多民族国家で
「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」
と表現されるくらい複雑な国。
チトーが生きてる間は独立機運が強まる事もなく1つの国として維持していたものの、チトー死後あっと言う間に崩壊の道をたどります。
(それでもサラエボオリンピックが行なわれた1980年代はまだ安定を保ってた。)
1990年代の混乱にあって凄惨を極めたのがボスニア紛争。
ボスニア・ヘルツェゴビナにはセルビア人(民族構成比約30%)・クロアチア人(民族構成比約20%)・ボシュニャク人(民族構成比約45%)が居て、それぞれ正教会・カトリック・イスラムを信仰するという旧ユーゴの中でも複雑な民族構成。
チトー政権下では和やかだったセルビア人とクロアチア人も紛争が始まると第一次世界大戦後からの険悪さに戻り対立するようになります。
そこにボシュニャック人も加わり一層話が複雑になっていき、結果死者は勿論のこと、大量の難民が発生・民族浄化等が行われたのです。
しかしルワンダやソマリアと違って紛争地域がヨーロッパだったこと・争ってるのが白人同士ということもあり国連軍の介入は素早かったです。
また『ルワンダの涙』で女性記者が
「ボスニアでは白人女性の死体を見る度に泣いていた。あれが自分の母親だったらと思うと毎日泣かずにはいられなかった。・・・しかしルワンダでは涙が出てこない。 死体として転がってるのはたただのアフリカ人・・・」
っていう台詞に代表されるように白人にとっては感情移入しやすく視聴率も取れると考えたのかメディアも積極的に現地取材します。
そのお陰という言い方は御幣があるかもしれないけれど、アフリカの紛争よりも認知度は高いし、その当時の情報量も圧倒的に多いです。
だからというわけではないですが今回みた『サラエボの花』はネタバレというほどのネタバレもありません。
最初の方でエスマを起こしに来たサラがふざけてエスマの体に馬乗りになり両手を上から押さえつけた瞬間のエスマの表情とその後の激しい怒りかたで
「あぁ、エスマはレイプの被害にあったんだな。」
とすぐにわかります。
その後にもバスに乗ったエスマが男の胸毛と体に当たった腹でバスを降りてしまうシーン、ナイトクラブで同僚女性の乳をガン見する男性を見てロッカーに駆け込むシーン等でエスマが被害者であるという考えは確信になります。
娘のサラは母親がレイプ被害者であることは全く知らない様子。(っていうかあえて言う親もいないんで知らなくて当然)
ただいま反抗期の真っ最中で母親のエスマは勿論、エスマがいない間に様子を見に来てくれているエスマの友人にも悪態をつく始末。
しかし、気になる男の子も居るようで・・・。
でも一番気がかりなのは修学旅行に行けるかどうか。
エスマから自分の父親はシャヒードと聞かされていたサラは父親がシャヒードである証明書さえ出せば旅費が免除されるのに、なかなか証明書を出さないエスマに父親に対しての疑惑を持ってしまいます。
反抗期と母親への不信でイライラするサラは爆発寸前。
紆余曲折を経て終に(と言うか突発的なカンジで)サラに真実を話してしまうエスマなんですが、かなり悲しいです。
ウスウス気づいていたとは言え母親に
「お前はチュトニック兵士の間に生まれた子だ!」
「収容所で犯されて妊娠したんだ。お前は『私生児』だ!『私生児』なんだよっ!!」
って言われる娘の立場。
いつかは娘に真実を話さなくてはならないとわかっていたけど
「お前はチュトニック兵士の間に生まれた子だ!」
「収容所で犯されて妊娠したんだ。お前は『私生児』だ!『私生児』なんだよっ!!」
という勢いでしか言えなかった母親の立場。
あまりにも悲しすぎです・・・。
私はそういう被害にあったこともないし、子供を産んだ経験もないけど、同じ女性としてコレはツラ過ぎる。
いつも以上にキツかったのは同性だからだろうなって思いました。
ブラトゥナッツでボシュニャク人の武装グループがセルビア人を攻撃しセルビア人の老若男女に多数の犠牲者が出たのはわかる。
だからと言って報復でボシュニャク人の男子を一人残らず虐殺し、残された女性に対して集団レイプ・強制出産って戦略が許されるわけがないし、許したくない。
女性にとってレイプされた挙句に望まぬ出産なんて民族云々よりツライことだよ。
救いだったのは最後にエスマがセラピーで
「妊娠中に自分のお腹をゲンコツで叩いた。流産するかもと思って力の限り叩いた。でも無駄だった。お腹はドンドン大きくなったのに毎日数人ずつやって来て犯され続けた。出産した後『その子は見たくもないから連れて行って』と言ったわ。すると赤ん坊の泣き声が部屋中に響き、翌日には母乳があふれだしたわ。私は『その子にお乳をあげるわ。でも1回だけよ。』と言った。その子を腕に抱き上げると弱々しく小さくてとてもキレイな女の子だった。私はこの世にこんなにも美しいものがあることを知らなかった。」
と告白するシーンとバスに乗ってエスマに手をふるサラのシーン。
セラピーに通ってても頑なに告白しようとしなかったエスマが告白することでエスマ自身少しは前向きに歩いていけるようになったとわかるし、サラも真実を受け入れた上で悲観的にならずに成長していくんだなって希望を持たされます。
最後にマザー・テレサの言葉を。
『女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れ、神様が女性に与えた最高の贈り物―それが母性なのです』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この人のレビューを読んだ時(ある白人記者のエピソード)最近わたしがパートナーと議論したときの事が頭をよぎった。
(ちなみにこの人のレビューは、多くの人が簡単にサラエボの事とこの映画を理解出来る良さと、以下にわたしが書くことの本質をついている悲しさが同居しているように思う。)
「なぜ日本人と中国人の一部はにたにたと笑っているのか。」と彼に聞かれた。彼にそう聞かれた前には他に話の脈絡がある。
あるわたしの身近な人にわたしが一つの問題に対して「もしも、あなたがわたしならどうする?」と聞いたら「わたしは○○という問題を持っていないから判らない、知らない。」という返答をもらっていて、、、。質問をした相手がとても身近な人である事、それから、この問題というのが例えば不妊や離婚、いじめ、事故による障害など、背後関係まで具体的に認識をし、その間誰かを傷つける事や自身が傷つくだろう事もあり、(自分にとって、もしくは社会的人間的に成熟した何かしらの強者には捕らわれていない)専門家と関わりようやく先が見えてくるだろう問題だと思っていたので、、、上記の回答をもらった時、あまりにもショックで「今思い出すと少し笑いがこぼれるかもしれない。」とわたしはパートナーに言った。
彼は「僕だったら、身近な人からそんな事を言われたら悲しくてしかたないよ。」と。
そこから話がふくらみ「日本人や中国人は(一部)(彼はアメリカ人の一部もと言っていた。)、感情の機能が正常に働いていないのじゃないのか?」と。
どうなんでしょう、、、。
実際映画やテレビドラマを観て、わたしも感じていた事ではあります。
日本を離れ3年目の頃デンマーク人に同じ質問をされた事もあります。
デンマーク人に聞かれたときはよく分からなくて「海外でリラックス出来ている人達が多いのかもしれないですね。」と答えたけれど。
パートナーに聞かれたときは、こう答えた、
「深い愛と安心感を知らない世代。ただたたかれたりお仕置きなんかもあって。かといってドイツ人みたいにカウンセリングの世界が理論と実践ではなく、教えと試みだったりで与えられやってみる、「個(自分)」は他者との共感の為ではなく、「勝手」を喝采する事だと勘違い。自分1人で解決する能力が無く、かといって適格者に相談をする能力もなく。
どうしょうもない痛みを知っていて、その痛みの解決の仕方を知らない人達もいるように思う。
こういう状態から感情の機能が正常に働いていない人達がいるのではないか。」
実はこう書いて、今思う事があります。
その時の感情を正常に処理出来ないのはやはり悲しい事だと。
一つの問題に対し人間的に正常に感情が働かないのは、その人個の場合と、社会から、家族から、交友関係から、、、。
そう、この人のレビューの白人記者の一文章を読んだ時、この事を思い出し、、、そして考えた。
すこしわたしのパートナーが軽蔑を示したように感じたのもあると思う。
わたしは軽蔑を取り除いた返答をしたかった、だけどその時出来なかった、自分の未熟に対しての反省。
「白人の一部は(パーセンテージを調べた事がないからはっきりした事は言えないけれど)自分たちが世界の中で一番優れていて、世界は自分たちを中心に動いていて。ーーー」そんなふうにもわたしは答えてしまった。
この白人記者の言葉に対しても、わたしが持っている感情だと思う。
ただわたしの場合、ココに対する回答を否定のみではなく、個と、社会と、教育と、家族と、交友関係と、、、見たいんだろうなあ、、、的確な伝わる言葉を探したいんだろうな、、、。
ネットで観られないかなと探しましたが予告編のみでした。
ベルリン映画祭で最高の金熊賞を受賞しているので、ドイツのレンタルビデオ屋さんで探してみよう。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督、2作目「サラエボ、希望の街角」ではもっとサラエボの街が伝わる作品になっているみたい。
ヤンヨンヒがそうだった、「個」(個人的繋がり)からみる今自分の目の前にある社会。視点を街や国にも置いた作品。
「サラエボの花」目を通したレビューをここへ転載しておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(サイトより)
「サラエボ」という地名を始めて聞いたのは確か小学校6年生の社会の授業で、第一次世界大戦のキッカケになった『サラエボ事件』(オーストリア皇太子夫妻が暗殺された事件)が起こった土地だと教わった。
そのあとも中学・高校の歴史の授業で『サラエボ事件』の起こった土地としてその名前を聞いたくらいで歴史の授業意外でその名前を聞くことはなかった。
ただボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(以下ボスニア紛争)で大きな被害を受けている町として高校生の頃に教わったのが例外的だった。
(ちなみに観たのは今年1月です。「UPすんのおせーよ!」とかツッコまないように)
結論から言うと
「民族紛争を扱った映画観るのはいつもキツいけど、今回は余計にキツい。」
1990年代初頭、私はというと何の不自由もなく中学・高校生活を送っていましたが、世界では『ベルリンの壁崩壊』によって『冷戦終結』となり『ソ連崩壊』したあと、ソ連の衛星国であった東ヨーロッパ諸国は次々に独立・民主化し、アフリカでもルワンダ内戦(これを題材にした映画が『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』)やソマリア内戦(これを題材にした映画が『ブラックホーク・ダウン』)といった民族紛争が起こっていました。
新聞には連日『虐殺』や『内戦激化』なんて文字が踊り、ニュースでも頻繁に言われてましたが、そこは10代。
たいした興味も示さず、遠い異国の地での出来事で自分にはあまり関わりのないことと思っていました。
あれから20年近くたった近年、民族紛争を題材にした映画が日本でも公開されることが多くなり私も少しづつ勉強するようになりました。
で、勉強していくうちに近年の民族紛争で一番情報量が多いのがこの作品の元ネタになってるボスニア紛争だという事に気づきます。
ココからはチョットお勉強。
お勉強に興味ない方はすっ飛ばして読んで下さい。
旧ユーゴスラビアはアドリア海を挟んでイタリア半島がすぐそこにあるというバルカン半島にありイタリア、オーストリア、ギリシアと隣接するヨーロッパ地域にありました。
バルカン半島は『ヨーロッパの火薬庫』と言われるくらい民族・宗教等で複雑な地域で旧ユーゴも御多分に漏れず複雑な民族体系・宗教体系の国でした。
それでも旧ユーゴは第二次世界大戦後、チトーのもと社会主義国ながら旧ソ連とは異なる独自路線を歩んで平和でした。
ちなみにチトー政権下の旧ユーゴはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソヴォの2つの自治州によって構成され、多民族国家で
「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」
と表現されるくらい複雑な国。
チトーが生きてる間は独立機運が強まる事もなく1つの国として維持していたものの、チトー死後あっと言う間に崩壊の道をたどります。
(それでもサラエボオリンピックが行なわれた1980年代はまだ安定を保ってた。)
1990年代の混乱にあって凄惨を極めたのがボスニア紛争。
ボスニア・ヘルツェゴビナにはセルビア人(民族構成比約30%)・クロアチア人(民族構成比約20%)・ボシュニャク人(民族構成比約45%)が居て、それぞれ正教会・カトリック・イスラムを信仰するという旧ユーゴの中でも複雑な民族構成。
チトー政権下では和やかだったセルビア人とクロアチア人も紛争が始まると第一次世界大戦後からの険悪さに戻り対立するようになります。
そこにボシュニャック人も加わり一層話が複雑になっていき、結果死者は勿論のこと、大量の難民が発生・民族浄化等が行われたのです。
しかしルワンダやソマリアと違って紛争地域がヨーロッパだったこと・争ってるのが白人同士ということもあり国連軍の介入は素早かったです。
また『ルワンダの涙』で女性記者が
「ボスニアでは白人女性の死体を見る度に泣いていた。あれが自分の母親だったらと思うと毎日泣かずにはいられなかった。・・・しかしルワンダでは涙が出てこない。 死体として転がってるのはたただのアフリカ人・・・」
っていう台詞に代表されるように白人にとっては感情移入しやすく視聴率も取れると考えたのかメディアも積極的に現地取材します。
そのお陰という言い方は御幣があるかもしれないけれど、アフリカの紛争よりも認知度は高いし、その当時の情報量も圧倒的に多いです。
だからというわけではないですが今回みた『サラエボの花』はネタバレというほどのネタバレもありません。
最初の方でエスマを起こしに来たサラがふざけてエスマの体に馬乗りになり両手を上から押さえつけた瞬間のエスマの表情とその後の激しい怒りかたで
「あぁ、エスマはレイプの被害にあったんだな。」
とすぐにわかります。
その後にもバスに乗ったエスマが男の胸毛と体に当たった腹でバスを降りてしまうシーン、ナイトクラブで同僚女性の乳をガン見する男性を見てロッカーに駆け込むシーン等でエスマが被害者であるという考えは確信になります。
娘のサラは母親がレイプ被害者であることは全く知らない様子。(っていうかあえて言う親もいないんで知らなくて当然)
ただいま反抗期の真っ最中で母親のエスマは勿論、エスマがいない間に様子を見に来てくれているエスマの友人にも悪態をつく始末。
しかし、気になる男の子も居るようで・・・。
でも一番気がかりなのは修学旅行に行けるかどうか。
エスマから自分の父親はシャヒードと聞かされていたサラは父親がシャヒードである証明書さえ出せば旅費が免除されるのに、なかなか証明書を出さないエスマに父親に対しての疑惑を持ってしまいます。
反抗期と母親への不信でイライラするサラは爆発寸前。
紆余曲折を経て終に(と言うか突発的なカンジで)サラに真実を話してしまうエスマなんですが、かなり悲しいです。
ウスウス気づいていたとは言え母親に
「お前はチュトニック兵士の間に生まれた子だ!」
「収容所で犯されて妊娠したんだ。お前は『私生児』だ!『私生児』なんだよっ!!」
って言われる娘の立場。
いつかは娘に真実を話さなくてはならないとわかっていたけど
「お前はチュトニック兵士の間に生まれた子だ!」
「収容所で犯されて妊娠したんだ。お前は『私生児』だ!『私生児』なんだよっ!!」
という勢いでしか言えなかった母親の立場。
あまりにも悲しすぎです・・・。
私はそういう被害にあったこともないし、子供を産んだ経験もないけど、同じ女性としてコレはツラ過ぎる。
いつも以上にキツかったのは同性だからだろうなって思いました。
ブラトゥナッツでボシュニャク人の武装グループがセルビア人を攻撃しセルビア人の老若男女に多数の犠牲者が出たのはわかる。
だからと言って報復でボシュニャク人の男子を一人残らず虐殺し、残された女性に対して集団レイプ・強制出産って戦略が許されるわけがないし、許したくない。
女性にとってレイプされた挙句に望まぬ出産なんて民族云々よりツライことだよ。
救いだったのは最後にエスマがセラピーで
「妊娠中に自分のお腹をゲンコツで叩いた。流産するかもと思って力の限り叩いた。でも無駄だった。お腹はドンドン大きくなったのに毎日数人ずつやって来て犯され続けた。出産した後『その子は見たくもないから連れて行って』と言ったわ。すると赤ん坊の泣き声が部屋中に響き、翌日には母乳があふれだしたわ。私は『その子にお乳をあげるわ。でも1回だけよ。』と言った。その子を腕に抱き上げると弱々しく小さくてとてもキレイな女の子だった。私はこの世にこんなにも美しいものがあることを知らなかった。」
と告白するシーンとバスに乗ってエスマに手をふるサラのシーン。
セラピーに通ってても頑なに告白しようとしなかったエスマが告白することでエスマ自身少しは前向きに歩いていけるようになったとわかるし、サラも真実を受け入れた上で悲観的にならずに成長していくんだなって希望を持たされます。
最後にマザー・テレサの言葉を。
『女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れ、神様が女性に与えた最高の贈り物―それが母性なのです』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この人のレビューを読んだ時(ある白人記者のエピソード)最近わたしがパートナーと議論したときの事が頭をよぎった。
(ちなみにこの人のレビューは、多くの人が簡単にサラエボの事とこの映画を理解出来る良さと、以下にわたしが書くことの本質をついている悲しさが同居しているように思う。)
「なぜ日本人と中国人の一部はにたにたと笑っているのか。」と彼に聞かれた。彼にそう聞かれた前には他に話の脈絡がある。
あるわたしの身近な人にわたしが一つの問題に対して「もしも、あなたがわたしならどうする?」と聞いたら「わたしは○○という問題を持っていないから判らない、知らない。」という返答をもらっていて、、、。質問をした相手がとても身近な人である事、それから、この問題というのが例えば不妊や離婚、いじめ、事故による障害など、背後関係まで具体的に認識をし、その間誰かを傷つける事や自身が傷つくだろう事もあり、(自分にとって、もしくは社会的人間的に成熟した何かしらの強者には捕らわれていない)専門家と関わりようやく先が見えてくるだろう問題だと思っていたので、、、上記の回答をもらった時、あまりにもショックで「今思い出すと少し笑いがこぼれるかもしれない。」とわたしはパートナーに言った。
彼は「僕だったら、身近な人からそんな事を言われたら悲しくてしかたないよ。」と。
そこから話がふくらみ「日本人や中国人は(一部)(彼はアメリカ人の一部もと言っていた。)、感情の機能が正常に働いていないのじゃないのか?」と。
どうなんでしょう、、、。
実際映画やテレビドラマを観て、わたしも感じていた事ではあります。
日本を離れ3年目の頃デンマーク人に同じ質問をされた事もあります。
デンマーク人に聞かれたときはよく分からなくて「海外でリラックス出来ている人達が多いのかもしれないですね。」と答えたけれど。
パートナーに聞かれたときは、こう答えた、
「深い愛と安心感を知らない世代。ただたたかれたりお仕置きなんかもあって。かといってドイツ人みたいにカウンセリングの世界が理論と実践ではなく、教えと試みだったりで与えられやってみる、「個(自分)」は他者との共感の為ではなく、「勝手」を喝采する事だと勘違い。自分1人で解決する能力が無く、かといって適格者に相談をする能力もなく。
どうしょうもない痛みを知っていて、その痛みの解決の仕方を知らない人達もいるように思う。
こういう状態から感情の機能が正常に働いていない人達がいるのではないか。」
実はこう書いて、今思う事があります。
その時の感情を正常に処理出来ないのはやはり悲しい事だと。
一つの問題に対し人間的に正常に感情が働かないのは、その人個の場合と、社会から、家族から、交友関係から、、、。
そう、この人のレビューの白人記者の一文章を読んだ時、この事を思い出し、、、そして考えた。
すこしわたしのパートナーが軽蔑を示したように感じたのもあると思う。
わたしは軽蔑を取り除いた返答をしたかった、だけどその時出来なかった、自分の未熟に対しての反省。
「白人の一部は(パーセンテージを調べた事がないからはっきりした事は言えないけれど)自分たちが世界の中で一番優れていて、世界は自分たちを中心に動いていて。ーーー」そんなふうにもわたしは答えてしまった。
この白人記者の言葉に対しても、わたしが持っている感情だと思う。
ただわたしの場合、ココに対する回答を否定のみではなく、個と、社会と、教育と、家族と、交友関係と、、、見たいんだろうなあ、、、的確な伝わる言葉を探したいんだろうな、、、。