あっという間の1年でした。
1年前の今頃は、食べ物を受け付けず、水しか口にできなくなって3週間が経ち、
いつもと違う息づかいに慌てて、掛かりつけではない少し遠い病院へ急ぎました。
車中も初診の手続きを進めている時も、私の手の中に抱かれた愛犬は身動き一つせず、
ぐったりと身を預けていました。途中イビキの様な音が聞こえたりもして。
診察結果を医師から聞きながら、覚悟をきめていました。
今夜か明日か、2~3日生きられるか、それは分からない。けれど長くは無いと。
帰りの車中もずっとぐったり抱かれている愛犬。
喉が渇き、水を飲みに動こうとしても立てなくなっていました。
静かに静かに夜が更け、いつもの様にいつものベッドへ寝かせ夜中にも水が欲しくて
ベッドから降りるのですが、足が転ぶので支えてやっていました。
白々と明るくなって朝を迎えることが出来ました。
が、愛犬はもう横たわったまま呼吸をしているだけでした。
どうかこのまま静かに逝ってほしいとさえ思う時間が過ぎて行きました。
が、そう簡単には行かないもので、弱った体に痙攣という恐怖が1度ならずも2度も襲いました。
何故?こんな辛い思いを最後にしなければならないのかと、何も出来ない自分が情けなかった。
ただ体を撫でてやる事しかできなかった。涙が止まらない。
そして、愛犬が最後に力を振り絞って声を出したのは本当の飼い主である次女が来たとき。
3回「う~う~う~」と。これが最後でした。私は愛犬の暖かい胸に手を当てていました。
手足をぎゅーーーっと伸ばし、ハートの鼓動は消えました。
2019年9月2日に愛犬は虹の橋を渡りました。
1周忌法要は個別でしようと決め、命日ではなく翌日の3日と決めていたのですが、
どうやら娘の子供が風邪を引いた様で、結局は法要には私だけが行くことになったのです。
昨日お骨と写真を娘から預かり、1年前まで過ごしていた懐かしい部屋へ安置しました。
「久しぶりに帰ってきたね。」