
茶屋沼公園も桜の名所なのに・・・
来年の春までは片付くんでしょうか?
積雪の十万劫山周回(2015.1.18)
「その1 花見山公園」「その2 しのぶの細道」の続きです。

あの雪の重みで倒れた篠竹で覆われた道を、もう一度突破するのは勘弁願いたく・・・と、予定変更。
十万劫山山頂出発 12:40

花見山分岐でしのぶの細道に合流したときから・・・
いろんな動物のものが入れ替わり立ち替わり、ずっと続いているアニマルトレース。
電波塔に見向きもしないで
雪がなければ未舗装の車道をズンズン下って行けば、視線の先に天徳寺。
十万劫山東登山口? 12:55
変型十字路・・・いや、直進は天徳寺の墓地だから変型丁字路。
林道だと思っていましたが、「路肩注意・福島市」の標柱が立っているから市道?
アニマルトレースと一緒に私も左折。
動物たちにとっても轍は歩き易い?

振り返って・・・
左が私のもので右が動物のもの。
互いに仲良く轍を分け合って。

背の高い車は通せんぼ!?
元よりこの車道は未舗装路。
少々酷な道なので、車で走る気にはならないけれど (^^ゞ
車道に圧し掛かる倒木は、少しばかりヒヤヒヤしながら通過。


突然の背後から強風で、雪玉がコロコロと自分を追い越していく。
板山付近。
左カーブを曲がらず、そのまま・・・
なんとなく道が見えた!
直進して斜面を登る。
最初は薮が薄かったものの、281mピーク手前でどんどん濃くなる薮に阻まれて (-_-;)

往復5分ばかりの成果のない探検の後・・・大人しく帰ります。
荒れた砂利道から舗装路に変わる場所には「南無・・・」
供養塔?


竹林も雪の重みで倒れる。
茶屋の桜 13:47

茶屋の桜は福島市指定天然記念物。
その傍らには「南妙法蓮華経」供養塔。
「塩の道」
江戸時代から明治の始めまで、相馬原釜で生産または海運によって陸揚げされた塩は
八木沢峠(現飯舘村)から、秋山(現川俣町)を経て
塩の平・渡利の笹峠、板山、更に茶屋の桜を通り福島へ運ばれていました。
この道が近年「塩の道」と呼ばれています。
当時、茶屋の桜には往来の人々が憩う茶屋があり
ここから少し下ると二つ沼を挟んで北向き問屋、南向き問屋の二軒の塩問屋がありました。
道々には供養塔、道標、休み場が所々にあって、これらは今でも地名や遺跡として残されています。
県道308号山口渡利線 13:50
交差点の傍らには十万劫ハイキングコースの案内板。
でも・・・老朽化していて判読不可 (-_-;)
県道に左折して少し進めばウォーキングトレイルの道標。
ここから坂道を登って茶臼森配水池を経由、花見山方面(花の谷コース)に向かう手もありますが
昨年、散策した時に配水池から先は伐採地跡の篠竹の藪道と判明。
ということで躊躇なく茶屋沼方面へ。
ちなみに「塩の道」の案内板はここに。

元は山之入バス待合所。

かなり古い看板に書かれている電話番号は・・・
例えば「(1)二三四五」といった感じ。
茶屋沼(二つ沼) 13:58

どこかで見た事があるアングル。
自宅近くにも多数、自宅庭にも埋めてある。
もう慣れっこになってしまいましたが、いろいろお邪魔な緑。
なにも桜の名所の目立つ場所に置いておかなくても・・・と思うんですが
場所がないからしょうがないんでしょう。


ソメイヨシノの向こう。
安達太良山は雪雲の中で見えません。
少しばかりの休憩後、その緑の間をすり抜けて南側の車道へ。

できれば山頂で眺めたかった・・・

吾妻小富士と一切経山と家形山。
桜清水 14:20

「桜清水」
この澄みきった湧き水は、渡利三清水のひとつと言われており、年中涸れることはありません。
西行法師が掘りあてたとも伝えられています。
昔、大波・山口そして遠くは小手郷(川俣方面)の人々がこの道を通りましたが
この場所は、山から町に入る前に身繕いをするために
或いは町からの帰り、山に入る足ごしらえをするための格好の休み場でした。
又、養蚕が盛んな頃は近郷の「糸とり水」として珍重されました。
ここの水を使うと生糸の艶がよくなり、高く売れると言われ
はるばる遠くから汲みに来る人もいました。

ピントが・・・
何回も撮り直して、やっとの一枚。


山際・・・水路沿いの歩行者専用のウォーキングトレイルを進んで、小橋を渡れば

福島市ウォーキングトレイル駐車場のすぐ傍の道標。
駐車場 14:38

福島市ウォーキングトレイル全体ルートマップ。
今回のルートと弁天山と福島市小鳥の森をうまく組み合わせて歩いたら・・・おまけに信夫山も。
累積標高差は1000m超で距離は???
これは無理だわ (^^ゞ
これでおしまいです。
雪に落ちる影は青みがかってきれいですね。
まっすぐきれいなアニマルトレースはいったい誰や誰がつけたんでしょうね?
ウサギ、タヌキ、キツネ、テン、、、
クマさんには大人しく冬眠してていただくのが吉!
福島の塩は、そうか、相馬から来てたんですね。
去年の記事に塩竈神社の話がありましたけど、
あれは上杉謙信の家来への炊き出し用に使われたものでしたか。
あんな大きい釜よく運んで来たなあ。。。
相馬からだと、塩を運ぶにはやっぱり馬を使ったのかなあと、
背中に塩俵積んだ馬が一列に並んでパッカパッカひづめの跡を作るさま想像してしまいました。
ちょっと違う景色に見えますね
フワフワの雪面に落ちる影。
そこに踏み込むのは絵を乱すようで申し訳なく思うぐらいきれいでした。
十万劫山にはイノシシがいるはずなんですが・・・
今回見つけたアニマルトレースに蹄の持ち主、そしてクマなどの大型の動物のものはないようでした。
雪が降った直後でなければ、他にもリスとかネズミだとか小さな動物のものも見つけられたのかも?
もしかすると相馬原釜の「釜」は塩釜の釜?
阿武隈山地を越えて二つ沼の塩問屋まで運ばれてきた塩。
その後、阿武隈川右岸の渡利から左岸の福島城下に船で運ばれたとか。