ガラケー時代の写真なんで、かなり酷いです。

寒蘭は蕾の時の採光と、昼夜の気温差で、赤の発色がよくなります。

今から10年くらい前の写真だと思います。
転勤で山梨県の富士山の麓の町に住んでいました。標高が850メートルあたりの所のアパートをかりたので、夏でも、お盆前後しかクーラーを使わなかった覚えがあります。

寒蘭は蕾の時の採光と、昼夜の気温差で、赤の発色がよくなります。
夜はとてもよく冷えるので、東京で咲かせるよりも、とても綺麗に咲きました。
だた、気温が低いと、花軸の上がりが悪くなるのでそのバランスをとりながら、寒くなりそうなくらいなら、夜はお風呂場にうつしたりしながら咲かせた赤鳳です。

この時は確か、21本立の木にしていたとおもいます、葉も60センチ以上あり、最大の赤鳳の株と言ってもよいと思われます。
花型も登録時の解説にある平方に近い三角咲きに咲いています。
だた、花の大きさが足りなかったと記憶しています。

私の好きな紀州寒蘭赤花、赤鳳について、


地図をたよりに、あっているかわからない道を何時間もかけて、不安になりながら進んで行ったのを記憶しています。手前の松根の集落には、赤鳳の登録者、糸へんに交

写真はありませんが、ある年、2輪で咲いた時花が大きく咲きました。その時、あの話に確信をもつようになりました。
過去のブログから、赤鳳の写真をスマホに取り込みましたので、今後紹介していきます。
以前、見に行った樺谷の入り口の樺谷橋の写真が出てきました。


地図をたよりに、あっているかわからない道を何時間もかけて、不安になりながら進んで行ったのを記憶しています。手前の松根の集落には、赤鳳の登録者、糸へんに交
に頁、糸へんに吉に頁、多分、こうきつさんと、読むのだと思うのですが、お宅がありました。お話しでも聞かせてもらおうかとおもいましたが、もう誰も住んでいない状態でした。
赤鳳の登録は1973年、私が生まれる一年前です。
私の寒蘭の師匠は、赤鳳が「どえりゃあ、花を咲かせる時があるんだよ」と、蘭舎にその時の写真を飾ってあるのを指差して、私が新宮に遊びに来るたびに、同じ話をよくしてくれました。
写真なので、本当にそうなのかな?といつも思っていました。

写真はありませんが、ある年、2輪で咲いた時花が大きく咲きました。その時、あの話に確信をもつようになりました。
いつか、よく咲くことを願って赤鳳を作り続けています。